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クリスマスの色 




毎年、クリスマスにはテーマカラーを決めるのだが
(去年は銀と黒だった)

今年はどうしようかな

ロンドンの百貨店セルフフリッジ内のコンラン・ショップ
緑のコーナー

緑も素敵だなあ
緑と水色なんかどうだろう
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ディケンズ村のクリスマス




週末帰省していた娘が高校時代の親友と一緒に設置してくれた
わが家の瀬戸物のクリスマス・ヴィレッジ

結婚してすぐ(20年前!)、カナダ出張中の夫が買い求め
大切に持ち帰ってきたもの


こういうのを設置すると性格が出ると思う
空間の認識の違いが人によって違うとも言えるのか

わたしは一箇所にきゅっとまとめ、ものを互い違いに重ねるように設置するが

彼女らはどのシーンもよく眺められるように、
誰もが主役になれるように、横に広く広く設置して行った
(キャビネットのドアが開かないよ・笑)


別ショット





街灯も、建物も、全部ランプがつく

すぐに玉が切れてしまうのがやっかいなものの
これがあるとないでは全然違う



"Yes, Virginia, there is a Santa Claus"
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気球に乗って




百貨店リバティのクリスマスの飾り付けがあっさりとかわいらしい


この時期の年末準備はまだ余裕があって楽しめる

じきにロンドンでの消費活動は

繁華街の道やチューブの地下道がまっすぐ歩けず
店員さんを捕まえられず
支払いに行列ができ
お茶を飲むにも一苦労だ

そうなったら、気球に...は乗らないが、どこか彼方へ行きたくなるのだ
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「くるみ割り人形」の季節が今年も




昨夜、ロイヤル・バレエThe Nutcracker「くるみ割り人形」のオープニング・ナイトだった。

女王シュガー・プラムの精がマリアネラ・ヌネツ(Marianela Nunez)、彼女のプリンスがヴァディム・モンタギロフ(Vadim Montagirov)。

彼らの、究極の、完璧な、とてつもなくすばらしいグラン・パ・ド・ドゥで夢の世界はさらなる極みへ。
もう惚れ惚れ。神業か。
劇場自体が鳴るほど盛り上がった。


主人公クララは、まだ子供時代の甘い夢にまどろみつつ、乙女らしい恋愛と世界への憧れを胸に抱いている。

最近、知り合いのお嬢さんにボーイフレンドができたそうだ。
大変なジェントルマンらしい彼を見つめる彼女のキラキラした瞳はクララのであるように違いない。

そうでなくとも、ロイヤル・バレエで12月の魔法の粉なぞかけてもらわなくても、彼らにはすべてが輝いて見えているだろう。

しかし、わたしのような古狸には「くるみ割り人形」のようなファンタジーのキラキラした魔法の粉が必要なのである。
クララの夢の世界へと一緒に流され、まだこの世に帰って来ていない気分だ。今日は何が起ころうとお菓子の国の女王のような微笑みで対処できそう(笑)。


昨夜はわたしはFrederic Malleの名香のひとつ、Une Rose(薔薇に黒トリュフの香り)をつけていて、増上効果で劇場内の誰よりも舞い上がっていたと思う。
何年か前の「インサイト」(公開の勉強会のようなもの)で、ダイレクターのKevin O'Hareが、グラン・パ・ド・ドゥをリハーサルするダンサーに、"Expensive Perfume!"「高価な香水のように!』と注文をつけていたのを思い出す。

どのダンサーもどなたもとてもすばらしかったが、特に薔薇の精を踊った金子扶生(ふみ)さんが役にぴったりで華やかでうっとりさせられた。なんと美しいダンサーだろうか。


ロイヤル・バレエの舞台の華麗さとリッチさはどこにも負けない。ただ装置や衣装が中途半端に古びて来(ちょっと80年代風がすぎる)たのは否めないので来年くらいには刷新したらいいのになと個人的には思っている。


......

「くるみ割り人形」にもたくさんのバージョンがある。

わたしはロイヤル・バレエが、少女の夢のお話の細部まで辻褄を合わせようと説明に必死になり、細かいところまで伏線を張り、破綻がないように物語ろうとする筋の運び方はどうかとは思っている。

そうは言っても祝祭的な気分満載なのでそんなことはどうでもよくなってくるのだが。

なぜなら「くるみ割り人形」の話の重要な核は、少女がクリスマス・イヴに見た極限に華やかでかつ奇妙な夢だからだ。

夢の世界はこの世と隣り合って存在しているのだろうが、夢には夢の条理があり、覚醒しているときに夢を思い出すと整合性がない方が普通であり、またその点こそが夢を現実とは違ってファンタスティックにしている最大の理由なのだから、それはそれでそっとしておくべきで、現実世界で通用する説明のあれこれは不要、無粋、野暮だと思うのだ。

だから今年公開の映画のように、クララを選ばれた救世主に仕立て上げるなどもってのほかである。と、わたしは思っている。


https://twitter.com/TheRoyalBallet に、すてきなGIFがたくさん上がっているのでぜひぜひ。


(写真はROHから)
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舞踊家ができるまで




ロイヤル・バレエの男性プリンシパル、エドワード・ワトソン(Edward Watson)が、Insight(ロイヤル・オペラとバレエが企画する多様な形の勉強会のようなもの)をやるというので馳せ参じて来た。

The Makimg of a Dancer, in conversation with Edward Watson and Rick Guest

娘は小さい頃からエドワード・ワトソンの大ファンなのだ。


うむ、ワトソン氏、普通の洋服が似合わない(笑)。
彼には断然、フロックコートが似合う(「冬物語」や「オンディーヌ」を参照)。

イメージしていたよりも声が高く、ものすごくシャイで、娘が一緒に撮っていただいた写真の笑顔のなんと自然で柔和で優しそうなことか。

いかにもバレエの王子様である。

完璧なエレガントで強靭な身体。
舞台上で踊る映像を参考資料として少し見せられたのだが、均衡をとる上半身、ひとつひとつの動き、踊りの総体の和の美しさに胸を打たれた。


「インサイト」の内容としては、この度、ダンサーとしての「40歳の今」を残すため、超耽美的な写真集が製作され(欲しい。でも大判の箱に30枚の写真がルースで収められている式で、とても高そう...)、その完成発表をかねての3名対談(写真家とバレエ批評家)。

写真家のRick Guestは話の内容から頭の良さが伝わってくる。

キーワードは写真アーティストの舞踏アーティストに対する「ラヴ・コール」か。

事実、ゲスト氏は、舞台の上で踊るダンサーももちろん美しいが、真っ白のスタジオ内で自分の手が届く範囲で動くダンサー見るのは「恋に落ちる」経験のようなものだと言った(前々回の記事で、ホテルのサロンで、コート姿のままショパンのバラードを弾き始めた青年を見て、恋に落ちるというのはこういうことではなかったか、とわたしが感じたのと同じだと思った。卑近な例で失礼)。

目の前の完璧な身体、役柄を演じる表現力と精神性、同時にそこでは脆弱性がむき出しになっている、と。


インタビューを聞いて分かったのは、例えばエドワード・ワトソンは精神の不均衡や苦悩する役がとても似合う。彼は苦悩する精神を頭で考えてそのように演じるというよりも、全力投球で身体を使ったその結果、苦悩がおのずと表出する、という感じの役者なのかなと。

何を演るのか最初から分かってその感情を演じるというよりも、舞踏家の手段として全力で身体を使ったら自然と役柄が身体から流れ出してくる、と言えばいいか。

役柄の「必要は発明の母」ではなく、役柄の「発明は必要の母」状態とでも言えばいいのか。余計にわかりにくいかな...

あるいは、アーティストというのはどこからか流れてくる美の熱電子を伝える電球のフィラメントなのである、と。そのために身体を鍛え、精神を研ぎ澄まし、別次元から流れてくる神的な力の媒体となる、ような。

彼がいちばんの気に入りの役柄、演目は「冬物語」、「モノクローム」、「メタモロフォゼ」だそうだ。なるほど。



ロイヤル・バレエ全体のエピソードとしては、「冬物語」の練習中、シェイクスピア俳優がやって来て原作を朗読したら、ダンサー人の踊りも一気に変わったというエピソードがとても気に入った。



よくあることだと思うのだが、実際に会ってファンになってしまった。

何かにつけて「ゴージャスなエドワード・ワトソン」と繰り返すので、家の中では夫に苦笑いされている。


(写真は許可を得て撮影、掲載)
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