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欧州最古の城塞都市・カルカッソンヌ




遠くから見たカルカッソンヌは威容である。

拡大を続けた要塞に、増築された塔がニョキニョキそびえ(52塔!)、まさに絵本の挿絵の魔法の都市。

昔の人は、この都市が遠方の丘の上にそびえるのを旅の途中で眺めて驚いたに違いない。




もとをたどれば古代ローマ時代に形成された要塞を持つ都市機能なのだとか。

中世には、すでにあった城壁の外側にさらなる要塞が建設され、二重の防備が完成した。
丘の上の城塞、シテ(cité)を核とし、オード川対岸に広がる下街(ville basse)と合わさって発展。

欧州最古の城塞都市はフランスでも人気の国内旅行だそうである。


名物のカスレは白インゲンと鴨やポークソーセージの煮込み料理で、素朴で滋味。
中世の味がするなあ、なんて。







ここに来たら思いをはせずにいられないのが13世紀、ローマ・カトリック教会から異端視され、徹底的に破壊されたカタリ派の歴史だ。

それは宗教派閥の争いだけではなく、権力争いの政治であり、カタリ派弾圧のアルビジョワ十字軍(1209年 –1229年)がきっかけとなってフランスの北と南が統一された。これ重要、テストに出ます(笑)。

敗北した南仏諸侯は北仏諸侯(当時はまだ地位脆弱だったフランス王を含む)に従属を強いられ、また南部のオック語も否定され、公的な価値を剥奪(ヴィレル=コトレの勅令)されたのである。


つわものどもが夢のあと。
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『こんにちは、クールベさん』こんにちは





モンペリエ、ファーブル美術館。

目当てはクールベとバジール。

破天荒なクールベの人生はそれだけで映画になりそうだ。

バジールの短い人生にもとてつもなく惹かれる。
正しくない鑑賞方法だが正直に言う、彼の容姿が好みでもある。



Jean-Frédéric Bazille, "Vue de village", 1868




Gustave Courbet, "Bonjour, Monsieur Courbet", 1854



クールベのこの作品は、『さまよえるユダヤ人』(最後の審判の日まで地球上をさまよい歩く罰を受けたユダヤ人)がモチーフになっており、晴れ渡って穏やかなさまがかえって悲壮で胸を打つ。

バジールの描く南仏の空も。
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わが青春のモンペリエ





南仏、モンペリエ

こちらには1160年に礎を置くモンペリエ大学があり、わたしは80年代に初めて訪れ、大学生活を送るならばここしかないだろうと夢想したのだった。

かのノストラダムスも学んだモンペリエ大学。





ただ単に夢に見ただけなのに、いつまでたっても奇妙な感覚がある。
まるでほんとうに青春時代を過ごしたかのような感覚だ。

実際のわたしが青春を過ごしたのは、神戸、京都、中東とアメリカなのだが。


人がそのように錯覚しがちな、そういう街というのはありえるのかもしれない。
自分が実際過ごしたわけではなくても、他の誰かが過ごした集合知が堆積しているからなのかも...





街角のあちこちに見つかる、あらかじめ失われた青春を求めて。
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ラングドック=ルシヨン




ラングドック=ルシヨンのワイン(Vignoble du Languedoc-Roussillon)は、このような気候の元で生産される。

なだらかな丘の斜面に、銀色にきらめきながらどこまでも続くぶどう畑。

文字通りの地中海性気候で、夏場は乾燥して暑く、冬は湿潤で温暖、植えっぱなしで放っておいてもどんどんぶどうができるのだそうだ。
もちろん古くからワインが生産され、テーブル・ワイン(日常に飲むそこそこのワイン)の産地として知られてきた。

フランスでは水よりワインが安い...と言われたのはこの地方のワインの大量生産量があったからだろう。

近年では、量よりも質が求められるようになり、「ボルドーなどから、厳しい規制にとらわれず自由によいワインを作りたいという優れた醸造家が多数移入して」(Wikipediaより)よりおもしろいワインが生産されるようになったそうだ。


断酒して早何年? あんなに飲んでいたのに、もうほとんど飲みたいと思わなくなった。

が、テロワールを背景にした特徴的な食品には、何にでもとても興味がある。
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谷間の百合・トゥール





マンテーニャの2枚のテンペラ画(聖ゼノ祭壇画の一部)を収蔵するトゥール美術館が昨日再開した。


トゥールはフランスの国土のちょうど真ん中あたりに位置する。

古城が80はあるというロワール川沿いにある街で、バルザックやジャン・フーケの出身地だ。

なるほど、『谷間の百合』はロワール沿いの土地のイメージ(田園生活風景by人間喜劇)で描かれたのだなとしみじみ感じる。


8世紀、フランク王国とウマイヤ朝の間で起こったトゥール・ポワチエの戦いの地でもある。
イベリア半島の西ゴート王国を征服していたイスラム政権が、フランク王国の内戦に乗じて攻め入って来、メロヴィング朝の宰相のカール・マルテルが防衛した。すごいスケール。
(街の広場の中世の建物の像の顔がどれも削がれているのは、この時に攻めて来た偶像を否定するイスラム軍の仕業かと思った!)


ゆったりした田園を背景にしつつ、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼の中継地でもあり、ロワール産のワインはロワール川を船で運ばれ、ルイ11世の首都でもあった...昔から東西の往来が盛んな土地柄だったのだろう。





マンテーニャの『オリーヴ山の祈り』Agony in the Garden(1457–59)と『復活』The resurrection(1459)、この辺りまでは兄弟徒弟であったベリーニと作風が似ているが、それでもそれぞれが独自の作風へ向かっており、興味深い。





祭壇画の上部はイタリア・ヴェローナの聖ゼノ大聖堂に残っており、下部プレデラは2枚がこのトゥール美術館に、真ん中の1枚がルーヴルにある。

トーゥール美術館には真ん中の『磔刑』The Crucifixionとして、なんとドガの模写作品が飾ってあり、マンテーニャもすばらしいが、こちらがすばらしい。
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