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Brugge Style
失われたロマンティックを求めて
先週、英国からベルギーへの渡航は禁止(不要不急を除く)の上、英国入国後2週間の自主隔離が要請された。
英国政府はフランスの状況も注視しているそうで、来週からの予定の南仏ヴァカンスにも暗雲が...
南仏へ行けなくなったら、ヨットでギリシャの島巡りに行かないかと、セイリングが趣味の友人家族に誘われている。
寄航する時以外は寝るのも食べるのもヨット上、人とのコンタクトはごく少なくてすみそうでとても魅かれる。
ちなみにこのセイリングは優雅なものではなく、自分たちですべて面倒を見る、どちらかというと海上キャンプのような航海だ。
欧州ではキャンピングカーやテントの売り上げが好調だそうで、今後はヨットやクルーザーも人気が出るのかもしれない。
が、この選択の大きなネックは、旅程がこちらの都合に微妙に合わないことだ。
昨夜、熱はこもっているが、屋内よりは涼しい庭でスプリンクラーを回し、ブラックオリーブ入りのバニラ・アイスクリームを食べつつ、もし渡仏が不可能になるとして、他に渡航OKな旅先を最速で選ぶとしたらどこを選ぶ? と夫と娘に聞いてみた。
わたしは20年ぶり(実際22年ぶり)のクレタ島なんかいいな...
当時はいいホテルが少なかったが、今はかなり変わっているのだろう。
クノッソスを再び見て、田舎道のドライブを楽しみ、あてずっぽうで出くわす遺跡全部で足を止め、プールサイドでオヴィディウスを読んで、海辺で食事がしたい。
あるいはモンテネグロにもう一度行きたい。あの、例えるならばチェーホフの小説に出てくるようなヤルタだとかの保養地はこんな感じだったのではないか...という雰囲気。
娘はトルコ南西部がいいと言う。わたしも遺跡巡りとリゾートが両方楽しめるトルコ南西部、大好きだ。前回迂回してしまったトロイに行ってみたい。
驚いたことに夫は「南仏の金銭処理や事務処理のことをどうしても考えてしまうから、ちょっと仮定の話は考えられない...」と言う。
わたしは、現実になってから考え初めては遅い、この新型コロナ禍では、なにごとも選択肢を多く持ち、「もしも」話をできるだけ多く同時進行させておくしかない、と思慮深げに言った(もちろんわたしは思慮深くなんかなく、単に旅に出たいからである)が、彼は上の空である。
なぜどこかへ行きたいのだろう。
イングランドの自宅での隔離生活は20週目になり、退屈しているわけではない。
ないが、ロマンティックが足りないのである!
ロマンティックさとはいったい何なのか、という気持ちで以前こんなこと(「ロマンティックってなに?」)を書いたが、短縮すると、
ロマンティックの本質は、対象との埋めることのできない「距離」にある。
この対象には、「ほんとうの自分」とか、「運命の恋人」などという夢も含まれる。
いま、ここ、ではない別の場所、別の時間。
今の自分ではない理想の自分。
あるいはもう取り戻せない懐かしい時間。
小説や芸術の中の現実にはあり得ないほどの風景の美しさ。
何十年も前に去った故郷。
過去に失われてしまった文化、見知らぬ街の未知の文化。
片思い、失恋。
まだ出会えぬ「真実の」愛。
夢の世界。
永六輔の『遠くへ行きたい』という歌が昭和生まれには膾炙しているかと思うが、あの詞など、とてもよい例だと思う。
「ロマンティック」という言葉をひとつも出さずに「ロマンティック」を完璧に表現している。
隔離生活で、手が届かないものへの欲望が普段よりも多くなったかもしれない。
手が届かないものを求めるよりも、幸せは家の中にある、と自覚する方が賢明なのだろう。
が、やはり並行して存在する別の場所や時間を訪れてみたい。
夜が更けて風が心地よくなってきた。
夫は庭で育てているオリーブの樹と背景の美しい空を見ながら「まるでギリシャにいるような気がする」と喜んでいた。
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