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森の中に古代ローマ遺跡が




先週末ハイキング中、サリー州の森の中になんと古代ローマ時代の神殿趾を見つけた!

サリー州は、ロンドンの隣にあるが、英国人好みに自然が多い。
森や草原を貫くハイキングコースは蜘蛛の巣のように張り巡らされている(<この話も英国の「囲い込み運動」との関連で面白いので後日書く)。

英国人の「上がり」は、ジェントルマンのように田園に住むことなのである。


ローマ時代の神殿...
一気にあたりの平凡な森が神聖に見えてきた。

もちろん神殿の場所は適当に決められるわけではなく、注意深く選定される。その決定打は何だったのだろう?
わたしにはなんでもない森の中の平地なのに。原っぱなのに。

神殿はおそらく慣習通り東を向いていた、と。
頭の中で神殿を再建築し、何の神様が祀られたのか精一杯想像してみた...


ローマ人が英国島に入ってきたのは紀元前43年ローマ帝国の皇帝クラウディウスの統治下で起こり、英国はローマ帝国の一部となった。

ロンドンにしても「ロンディニウム」として栄えたのは有名、ケルト人侵入を防ぐ目的で建設されたスコットランドとの境にあるハドリアヌスの長城(Hadrian's Wall)もある。ローマ時代の豪華な床モザイクがある邸宅も数カ所残っている。




こちらの神殿は西暦100年ごろに建てられたとみられる。

より広い聖域領地内(を示す壁の残りは地上に出ていないそう)に建てられた正方形の神殿の基礎...
上の写真の正方形の石壁の基礎、お分かりになりますか? 

この外をもう一回り大きいポルティコ(柱列で支えられたポーチ)が囲み、その趾も残っている。

ローマ人は、現地の宗教には寛容で、神殿にはローマの神と現地の神が習合して祀られていた

遺跡の中からは柱が発見されたそうだが、今はどこに保存されているのか不明。


また、この神殿は、鉄器時代のケルト系の2つの部族、レグネンセス族とアトレバテ族の支配の境界を示すのかもしれないとの報告もあるそう。
こちらには神殿があったばかりではなく、周りに市も立ったかもしれないとのことなので、交易の場だったのかなあ、ロマンだなあ!


神殿は5世紀初頭には火事で破壊され、再建されることはなかったとか...




近くの伯爵領では山羊が草をはむのに忙しい
道の真ん中に大きな羊がくつろいでいて、車を降りて道を開けていただくようご案内した。
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バレエ don quixote、不変の祝祭



Marianela Nunez and Vadim Muntagirov in Don Quixote
Photograph: Andrej Uspenski, The Guardian


ロイヤル・バレエの2023~24シーズンが始まり、Don Quixote、わたしは先月から3回目。

Marianela Nunezの出演は3回のみなので、全部行きます! 
次は木曜日!

昨夜は2回目だった。
シーズンのオープニングナイトと同じく、素晴らしき祝祭、盛り上がりに盛り上がる。

優れたダンサーには、最も鋭い動きにさえ角がない。角が取れた四角形は丸? あ、円。円であることが、動きの「息の長さ」や、途切れ目のなさを感じさせるのかなあ。

こういうパフォーマンスに接すると、いつもは欠けている自分が、この時ばかりは余すことなく最大限に満たされた気持ちになる。
たとえばスポーツ観戦が好きな人も、こんな気持ちになるのだろうか。
誰でもこういった愛の対象をもっていると思う。

友人がロイヤル・バレエ、ロイヤル・オペラハウスが初めてという方と一緒に来ていて、初めて見るならこれ以上の正解はないですよ! と祝福。


バレエDon Quixoteは、1869年にマリウス・プティパによって制作され、1900年にアレクサンダー・ゴルスキーによって大幅に改訂され基になり、それ以降、さまざまな振付家によって解釈され、数多くの演出で上演されてきた。

ロイヤル・バレエの現行のバージョンは、同団プリンシパルであったCarlos Acosta(実は初日のリハーサルの後、フォワイエの階段を降りてきたところでばったりと出会ってしまった。絵に描いたような優美さであった。Vadim Muntagirovは普段着で見ても鞭のようにしなるグレイハウンドのようだったし、平野さんのTシャツ姿の男っぷりは目がハートになるほどだった)が、2013年に仕立て直した作品だ。

個人的にはダンサーが舞台上で声を上げるのがあまり好みではなく、舞台上ももう少し整理された方がいいのかなあと思うのだが、スペイン南部の賑やかな街(村?)の様子を再現するに、これはこれで臨場感があるのかも...まるで自分も太陽が照りつける明るいスペインのお祭りで、一緒になって歌いながら踊っているような気持ちにすらなるからだ。
話の筋や、登場人物の唐突さはどうでもいいのだ!

人間は成長し、変化し、老い、いつかは消える。しかし、祝祭は不変なのだ。
そこに心が震えるのだと思う。


ところで。舞台の上では常に注目したいできごとが起こっている。

しかし、人間の目はそれを全て追うことができない。
パ・ド・ドゥで並んで踊っている二人の優れたダンサーを追うのさえももどかしい。

そう考えると、わたしたちは西洋の絵画、特に歴史画などを、「人間の目が見たままそのまま忠実に」描いているよう思いがちだが、それは錯覚で、人間は絵画の画面のように現実を処理することはできないのだなあと。

目があと2組ほど欲しいです。
あるいは動体視力がもっとよければ...
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ツィムツムのはなし




花屋の香りを再現した名香は、Officine Universelle BulyのAlexandrieだと思う。
内容には関係ないですけど...


......

わたしは80年代から90年代にかけて中東に遊学していた。

イスラエルで教えてもらったことや思い出はたくさんあるが、その中でも忘れられない話をここに書く。

「ツィムツム」という概念がある。
ツィムツムは、カバラ(ユダヤ教の神秘思想)のなかで、神の宇宙創造に関連して出てくる概念である。名前が可愛いでしょう?

ツィムツムはヘブライ語で「収縮」を意味している。

「宇宙を満たしている神(アインソフ・無限の光)が、自分自身を『収縮』させて、空間を創り出した」ことが宇宙創造のプロセスの初期段階だというのである。

カバラによると、神は無限である。
神が物質的な宇宙を創造するためには、無限の一部を「空け」て有限の場所を作らなければならない。
神は自己を収縮・制約し、空間をあけることで、宇宙を創り出したのだ。
ちなみに神の光からより遠く、振動が低い世界がこの物質界である。


なぜこんな話をするかというと、パレスティナとイスラエルの問題である。

ユダヤの神は、自分以外のものを存在させるために自分の場所を譲った、のだ。

人間は、神に場所を空けてもらったおかげで存在できるようになった。

存在するとは、他人に場所を空けてもらうことである。

人間も、「自分にはそうする権利がある」と他者の権利を奪い、迫害し、罰し、殺すのではなく、他者のために場所を空けろ、譲れ、祝福せよと言っているのではないだろうか。

われわれ人間は悪気もなく、知らず知らずのうちに他人の取り分や権利を奪っている。

私はそんなことはしていない、土地なんか奪ったりしていない、と思う人がいるかもしれないが、チョコレート一枚、手軽で便利な衣類、アボカド、iPhoneひとつ、われわれは他人の、より弱い立場の人の犠牲なしには手にできないのだ。
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rock fort 最終章


わたしの好物、手長海老、海藻バター。
絶妙に半生。


2001年にレストラン・ロックフォール Rock Fortが開店するまで、ブルージュにはこういうタイプの飲食店はなかった...

それまでブルージュでは、コースで食べる店か、飲むだけのバア(食べ物は角切りにしたチーズやナッツなどのみ)、という棲み分けが主流だった。

飲むのも食べるのも同価、というスタイルは、最近は「タパス」スタイルという触れ込みで、ブルージュのどこにでもある様式になって久しいが、2001年のブルージュでは新しかった。
日本人には新しくもなんともないけれど。

レストランにバアのエリアがあるのも特徴で、このバアはのちにBar Salonとして店内で独立した。


ステーキタルタルは英国ではなかなか食べられないので(英国人は生から半生の肉魚に抵抗をお持ちである)


男性二人のオーナーチームがキッチンとホールを取り仕切り、オープンキッチンで、おしゃれ。もちろん抜群に美味しい。
地元民に絶大な人気を誇り、わたしたち家族も開店当時から通った店だった。

この成功したビジネスを今週閉じるという。
22年の歴史を。
店を買い取りたい人(takeover。業務丸ごと買取り。これはブルージュでは個人商店が多いからかしょっちゅう起こる)があるとのことで。
そのお知らせがメールで来たのが8月終わりで、すぐに予約を二回入れた。


内装は所々変わっているが、バアのタイルの壁は変わらず。今回来れなかった娘に写真を送ったら、「タイル!」と


娘を放課後、音楽学校へ送り、わたしたち夫婦は二人揃ってここへ来て、娘のレッスンが終わるのを待って迎えに行き、三人揃ってからそれでは、とディナーを注文したものだった。
大海老の天ぷらとダム・ブランシュ(ヴァニラアイスクリームにチョコレートソースと生クリームをかけて食べるデザート)が大好物だった娘も大人になり、連れてこれるものなら連れてきたかった...

夫と二人、1998年にわたしがブルージュに住むようになってから、よく通った馴染みの店のうち、消えてしまったあの店、この店を数えてしみじみとした。
まだ残っている店を数える方が早い...

「またレストランビジネスを始めるなら、ぜひ連絡して」とオーナーたちに言い残して店を出た。

彼はウインクしていた。

ブルージュの夕食どき
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Belgraviaのレモン




わたしは柑橘類に目がない。

レモンは香りも味も、形も色も大好き。

レモンの「故郷」、アマルフィでは10月までが収穫のシーズンだそう。

ヘラクレスが、愛するニンフの死を悼み、最も美しい場所に彼女を葬り、柔らかく芳しいフルーツ(レモン)を植えたという土地。
緑深く、空と海が出会うアマルフィに。


パリのパティシエCedricGloretが出店している、ロンドンのバークレイ・ホテル前を通りがかったら...

季節最後のレモンの...




ケーキ!

中身はレモンのチーズムース、チョコレート、スペキュロース、レモンカード。

アマルフィのレモン、ならぬ、ベルグレイヴィアのレモンは何の死を悼んでいるのか...
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