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桜島のひと




鹿児島へ。
桜島を眺めつつ、ある女性のことを思う。

10年ほど前、胸にしみるメッセージを頂戴した。
以来、桜島を見たい、と思い続けてきた。
当時もいたく感動したのでブログに書いたと思う。


『私の祖母は少しずついろいろなことを思い出せなくなっているのですが
最近はずっと彼女のふるさとである鹿児島ー市内のどこからも桜島が見えるーに住んでいると思っているようです。
お嫁にきてからもう60年以上、家業が忙しくてほとんど実家に帰ることもなく、
人生のほとんどは鹿児島を離れているというのに、です。
話をするたびに、今日の桜島、門を曲がったところから見える桜島…いつも桜島の話をしています。

私にとって、そんな風景って何かしら?と考えてしまいます。』
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書院造は白鷺 紅葉の燃える赤 桂離宮




「ここに繰りひろげられている美は理解を絶する美、すなわち偉大な芸術のもつ美である。すぐれた芸術品に接するとき、涙はおのずから眼に溢れる」




ブルーノ・タウトがこう述べたことから、桂離宮は「日本の美」の極みとなった。

桂離宮が「日本の美」を象徴する存在として広く認識されるきっかけを作ったのが彼なのである。

西洋の視点から、日本の「伝統的な」建築と美意識に価値を与え、大きな影響を与えた功績は大きい。




タウトが訪日した1933年当時、日本は急速な近代化を迎えており、伝統文化は置き去りにされ、顧みられなくなっていた。

しかし、西洋の著名な建築家であった彼が、桂離宮を「芸術の極み」として絶賛、日本人は自国の美意識や文化の価値を逆輸入するかたちで再確認したのである。

特に、桂離宮の簡素な機能美、自然との調和を重んじた美は、タウトの言葉を通じて「モダンデザインの理想」「モダニズムの先駆け」として評価され、日本の伝統文化は世界的に注目を集め、日本人にとっては誇りとして再認識されるようになった。

わたしも今回はすばらしい英語ガイドさんのグループで観覧したが、日本人として鼻が高くてしょうがなかったですよ...




桂離宮は単なる建築物を超えた日本文化の象徴的存在なのである。

しかも季節は1ヶ月遅れ、普段は11月に盛りとなる紅葉が12月の頭のこの時期に...




日本の「見立ての美」、小宇宙としての建築。

ヨーロッパでは17世紀といえば壮麗で過剰でドラマティックな、ゴテゴテと飾ったバロック様式、彼らの「宇宙」とは対極にある美。

「桂離宮」が伝統的な日本美の象徴となった背景には、単なる芸術的評価だけでなく、近代日本がアイデンティティを確立し、国際社会での文化的地位を高めるための政治的・文化的な意図が深く関わっていたと言えるものの、これがアイデンティティならわたしは個人的にも喜んで引き受けたい。もちろん背景を知ることは重要だが。
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あるかなの湯で朝から




湯ヶ島温泉・アルカナのお湯で朝から温まっているのはモエだけではなく、朝食の玉ねぎドレッシング君も...




常連さんが7割(宿の方の談)で、とても取りにくいと言われている伊豆のアルカナは、伊勢のアマン、アマネムと比較してもとてもよかった。

なんといってもオーベルジュ、夕食のフランス料理のファンタジーがすばらしかった!




また来年も同じ時期に来たい。




沢の音を聞きながら。
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別の彼を追いかけて 東京




別の彼を追いかけて、上海から東京へ飛ぶ。




友達が、サントリー・ホールの座席、ステージ正面向かってわずかに左手10列目という最高のチケットを取ってくれただけでなく、まずはスペイン坂の焼き鳥屋さんに連れて行ってくれ...ご馳走になる。

とっても新鮮で味わい深い、「おいしい!」連発の焼き鳥だった。

年末日本のピアノ・リサイタル、毎年恒例にしたい(去年はZimerman)! もちろん、彼女と一緒に...




リサイタルの後はホテルのバアでシャンパーニュで乾杯。
彼女のご夫君も合流してくれ、閉店まで楽しい時間を過ごした。しゃべりすぎ。

しかし花が咲くはずのリサイタル後の感想交換がいまひとつ...




あまりにも演奏が衝撃的で、言葉がすぐには見つからなかったからだ。

わたしは同じプログラムの彼のリサイタルを、今年2月にロンドンのバービカンで鑑賞したが、コンサート・ホールの音響で全く違う効果があるのだということに改めて気付かされた。

あの時はロシアのアレクセイ・ナワリヌイの死の直後で、キーシンはこのツアー活動をナワリヌイに捧げる、と宣言し、怒りがメラメラと燃え上がる感情的で爆発的なすばらしいパフォーマンスだったの...

今回はもっとストレートに純粋に「音」のすさまじき誕生! という感じがした...音の理念、音の原理、音の理想とでもいえばいいのか。
ビッグバンが見えたよ...

あははは、下手くそな感想で申し訳ないです。


Ludwig van Beethoven
Piano Sonata No 27 in E minor
1. Mit Lebhaftigkeit und durchaus mit Empfindung und Ausdruck [Vivaciously and with feeling and expression throughout]
2. Nicht zu geschwind und sehr singbar vorzutragen [Not too quickly and very songfully

Frédéric Chopin
Nocturne in F sharp minor, Op 48 No 2
Fantasy in F minor, Op 49

Johannes Brahms
Four Ballades, Op 10 No 1 in D minor
No 2 in D major
No 3 in B minor
No 4 in B major

Sergei Prokofiev
Piano Sonata No 2 in D minor 1. Allegro, ma non troppo
2. Scherzo: Allegro marcato
3. Andante
4. Vivace – Moderato – Vivace
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上海が見た夢 租界と外国人居留地




上海に来るにあたって読んだのは榎本泰子著『上海 多国籍都市の百年』。

わたしは旅先に関する本を必ず読む。
何度も訪れている旅先だったとしても。
故郷神戸に関する本でさえも読んでから行くくらい。

友達に「真面目だねえ」と言われたこともあるが、もちろん真面目だからではない。

本を読むと旅が100倍以上楽しくなるから! につきる。
自分の無知で無学な狭い視野で旅先を見るよりも、専門家や、全く違う立場や属性の人の案内で見たら旅は断然おもしろくなる。これにつきる。

榎本さんの著書、飛行機の中で読了した。機内ではゆっくり寝るつもりが、めちゃくちゃ面白くて!




わたしの上海に対するイメージは非常に非常に限定的で、まずは「租界だ」。

わたしが神戸出身で、子供の頃からずーっと「旧外国人居留地」が身近で、果てしないロマンを感じているからだと思う。




現代的なロマンティック眼鏡を通してながめると、上海の租界や日本の旧外国人居留地はある種のベール、魔法の粉をかぶっている。

当時の歴史的背景、租界はアヘン戦争以降の政治の駆け引きのひとつの結果であり、圧倒的軍事力をバックに運営されていたこと、帝国主義と植民地主義の欲望や不平等な条約によって中国人が搾取され続けたことなど...の上に。

ある種のベール=異国情緒、それがなぜ「ロマンティック」なのか。



ニューヨークの五番街を歩いているようにふと感じたりもする...


租界や居留地の、異文化が交錯する空間というのには独特の雰囲気がある。

上海租界を建設した英国人は頑なに英国式の生活様式にこだわったというが、それでも、いやそれだからだ。

租界や外国人居留地は、西洋と東洋が出会う場所であり、例えば、上海の外灘や日本の横浜や神戸の居留地では、伝統的なアジアの風物や風景に、洋風建築や当時最先端のインフラが融合していた。

上海の外灘に残された多様な西洋の建築様式のグラマラスな建物も、中国の伝統的な紋様を取り入れたり、気候に合わせた工夫がこらしてあったりし、「いつの時代でもなく、どこの国でもない感」が漂う。

「いま、ここ」ではない、遥かなる世界への憧れ、これがロマンティシズムの真髄である。




時代と空間を超えて存在する「非日常」空間の持つ魅力は大きく、いつの時代でもなく、どこの国でもないエキゾチシズム、異国情緒...


また、当時の上海には、世界中から大商人、政治家や革命家、貴族、外交官、冒険家、亡命者、芸人、山師、スパイが集まり、一筋縄ではいかないドラマが繰り広げられていた。
過去や宗主国の身分制度、コンテクストから切り離され、「いま・ここ」「今よりもよい未来」に生きるしかない人々の見た夢。



こちらは旧フランス租界


過ぎ去ってしまった、自由で冒険的で、夢のあった(少なくとも植民者には)時代の気分、空気はそこの石畳に、そこの壁にと染み込んでいるようだ。

現代から振り返ると、写真の一葉のように美しい部分だけ切り取られ、失われてしまった理想郷のように感じられ、訪れる人々に郷愁や憧れを呼び起こす。




過去を理想化するのは、心理的安定や社会的結束を保つための人間の自然な性質なのか。

ポジティブな記憶を強調することでストレスを軽減し、共通の「良き時代」の記憶が人々の連帯感を生む。

また、文化や価値観を次世代に伝える役割も果たし、未来に前向きに生きる助けとなるだろう。




しかし歴史修正主義スレスレ...

美しさだけを賛美し、旅情に浸るのではなく、文脈をつまり歴史を学ぶのは重要だと感じた。


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