小平の図書館へ初めて行ってみた!
図書館が近くにある家を購入するのが夢だったのだが、図書館から2キロくらい離れたところに住んでしまい、足が遠のいていた・・・
しかし・・・図書館に無料駐車場があることを知り、行ってみることとした。同じ田舎でも、奈良の図書館は有料だったのに、小平は無料!ありがたいことです。
目黒の八雲図書館と比べると、新しい本が少なかったように思えるが、歴史の本なら古くても問題なしだ。その流れで借りた本は以下のとおり。
①「韓国からみた古代日本」
②「古代の高麗と日本」
③「古代の新羅と日本」
④「古代の韓国と日本」
⑤「民俗学からみた古代の韓国と日本」
⑥「古代の倭国と朝鮮諸国」
⑦「関東に大王あり」
次回、学位授与機構に出す予定のレポート作成のために、これらの本を借りてきた。特に、⑥は私の好きな古田武彦先生の著書だから楽しみである。
あとは、修士論文の参考に「2010年版 女性のための仕事・仕事ベストガイド」「50代からの転職・再就職」という本を借りた。
10冊まで借りれるから、追加の1冊。「資格取得BIBLE」という本。この本の著者も2001年の段階で資格取得301という方なのだが、どちらかと言うと、あまりよい印象を持っていない。その昔、雑誌か何かで彼の記事を読んだのだが、おおよそ、資格としてカウントできないようなものまでリストアップしていた。
大体、「資格王」と名乗り、その取得数を表示して書籍を書いたり、執筆しているなら、その数の根拠を、公表する義務があると思う。なぜなら、その取得数が嘘(あるいは、それに耐えれるだけのものでなければ)なら、詐欺と言われても仕方がないからである。森田知事が、自称剣道2段と言っているのと同じ。「資格取得は自称だから、あなたに教える必要がない」というのなら、だれだって、資格日本一になれる。
HPがあるなら、そのトップに取得資格歴を公表し、その取得資格の妥当性を見てからでないと、「資格取得400以上」と言われても、その実力の程を民間人には判断することができない。本を売る、あるいは、記事の書かれた雑誌を買うという経済的対価を我々消費者は購入するわけだから、最低限の情報公開はして欲しい。
ましてや、「資格王」という表示は名乗った者勝ちなのか?どうして、自分が資格王と判断できるのか?私にはわからない。言ったもの勝ちなら、私も、「サラリーマン資格王」あるいは「勤労者資格王」とでも名乗りましょうか(笑)。
100%把握仕切れていないが、イギリスでは国が資格に対する基準を設けて、その評価の尺度は公表されている。そこには公平感や納得感があるからこそ、資格を判断基準とすることができる。
一方、日本の資格は「民間資格」が乱立して、わけのわからぬ状況となっている。玉石混交、クズ資格も山のようにある。そういう、クズ資格を集めて、たくさん持っているから資格王、だから僕の言うことは「凄いんだ」なんて言っている人がいたら、どう思います?
ましてや、資格の数だけが一人歩きしてしまうと、危険極まりない。少なくとも、私の取得している222の資格は、33の国家資格(法律で資格名が定められているもの)と108の公的資格(法律に準拠するもの、各省庁・大臣の認定、後援等があるもの)であり、民間資格はわずか81にすぎない。
ネットや郵送だけでとれる、一般で言うところの「クズ資格」もあるが、私は、その資格も、面白く、意義があるから取得した訳で、「カブトムシマスター」なんかも、資格を紹介する中で、有難く使わせていただいている。
「興味があるから学ぶ」それが生涯学習のスタンスであり、数を増やしたいから闇雲に取得するのは、「生涯学習の部屋」の管理人としては禁じ手であろう。逆に、必要性を感じて取得した資格は、たとえ、第三者に「それ、クズ資格やないか!そんな資格認められへんわ!」と言われようとも、堂々と守ってやることができる。「この資格は、あなたにとっては評価されない資格でも、私にとっては、必要な資格であり、大切な資格なんです」と。
ましてや、私はサラリーマンが本業、学生が副業であり、資格は隙間の時間の活用程度でしかない。くだらぬ数合わせの資格取得は時間的にも、経済的にもできない環境に生きている。
たかが資格、されど資格。生涯学習を進める上で、資格を活用すれば、多くの点でメリットが期待できる。しかし、資格崇めるのではなく、その取得のプロセスを尊重しないと、きっと、あなたは資格マニアどまりの生き方しかできぬだろう。
※なんで、図書館の話が、資格の話になったんだろう。久々に2000字超の長々とした文章を書いてしまいました・・・申し訳ございません。
図書館が近くにある家を購入するのが夢だったのだが、図書館から2キロくらい離れたところに住んでしまい、足が遠のいていた・・・
しかし・・・図書館に無料駐車場があることを知り、行ってみることとした。同じ田舎でも、奈良の図書館は有料だったのに、小平は無料!ありがたいことです。
目黒の八雲図書館と比べると、新しい本が少なかったように思えるが、歴史の本なら古くても問題なしだ。その流れで借りた本は以下のとおり。
①「韓国からみた古代日本」
②「古代の高麗と日本」
③「古代の新羅と日本」
④「古代の韓国と日本」
⑤「民俗学からみた古代の韓国と日本」
⑥「古代の倭国と朝鮮諸国」
⑦「関東に大王あり」
次回、学位授与機構に出す予定のレポート作成のために、これらの本を借りてきた。特に、⑥は私の好きな古田武彦先生の著書だから楽しみである。
あとは、修士論文の参考に「2010年版 女性のための仕事・仕事ベストガイド」「50代からの転職・再就職」という本を借りた。
10冊まで借りれるから、追加の1冊。「資格取得BIBLE」という本。この本の著者も2001年の段階で資格取得301という方なのだが、どちらかと言うと、あまりよい印象を持っていない。その昔、雑誌か何かで彼の記事を読んだのだが、おおよそ、資格としてカウントできないようなものまでリストアップしていた。
大体、「資格王」と名乗り、その取得数を表示して書籍を書いたり、執筆しているなら、その数の根拠を、公表する義務があると思う。なぜなら、その取得数が嘘(あるいは、それに耐えれるだけのものでなければ)なら、詐欺と言われても仕方がないからである。森田知事が、自称剣道2段と言っているのと同じ。「資格取得は自称だから、あなたに教える必要がない」というのなら、だれだって、資格日本一になれる。
HPがあるなら、そのトップに取得資格歴を公表し、その取得資格の妥当性を見てからでないと、「資格取得400以上」と言われても、その実力の程を民間人には判断することができない。本を売る、あるいは、記事の書かれた雑誌を買うという経済的対価を我々消費者は購入するわけだから、最低限の情報公開はして欲しい。
ましてや、「資格王」という表示は名乗った者勝ちなのか?どうして、自分が資格王と判断できるのか?私にはわからない。言ったもの勝ちなら、私も、「サラリーマン資格王」あるいは「勤労者資格王」とでも名乗りましょうか(笑)。
100%把握仕切れていないが、イギリスでは国が資格に対する基準を設けて、その評価の尺度は公表されている。そこには公平感や納得感があるからこそ、資格を判断基準とすることができる。
一方、日本の資格は「民間資格」が乱立して、わけのわからぬ状況となっている。玉石混交、クズ資格も山のようにある。そういう、クズ資格を集めて、たくさん持っているから資格王、だから僕の言うことは「凄いんだ」なんて言っている人がいたら、どう思います?
ましてや、資格の数だけが一人歩きしてしまうと、危険極まりない。少なくとも、私の取得している222の資格は、33の国家資格(法律で資格名が定められているもの)と108の公的資格(法律に準拠するもの、各省庁・大臣の認定、後援等があるもの)であり、民間資格はわずか81にすぎない。
ネットや郵送だけでとれる、一般で言うところの「クズ資格」もあるが、私は、その資格も、面白く、意義があるから取得した訳で、「カブトムシマスター」なんかも、資格を紹介する中で、有難く使わせていただいている。
「興味があるから学ぶ」それが生涯学習のスタンスであり、数を増やしたいから闇雲に取得するのは、「生涯学習の部屋」の管理人としては禁じ手であろう。逆に、必要性を感じて取得した資格は、たとえ、第三者に「それ、クズ資格やないか!そんな資格認められへんわ!」と言われようとも、堂々と守ってやることができる。「この資格は、あなたにとっては評価されない資格でも、私にとっては、必要な資格であり、大切な資格なんです」と。
ましてや、私はサラリーマンが本業、学生が副業であり、資格は隙間の時間の活用程度でしかない。くだらぬ数合わせの資格取得は時間的にも、経済的にもできない環境に生きている。
たかが資格、されど資格。生涯学習を進める上で、資格を活用すれば、多くの点でメリットが期待できる。しかし、資格崇めるのではなく、その取得のプロセスを尊重しないと、きっと、あなたは資格マニアどまりの生き方しかできぬだろう。
※なんで、図書館の話が、資格の話になったんだろう。久々に2000字超の長々とした文章を書いてしまいました・・・申し訳ございません。