最近の、勝ち組・負け組という表現に憤りを感じています。 職業に尊卑はなく、仕事に貴賤はありません。 自分自身の仕事が世のために役立っていると思えることが仕事の価値を決めると思います。
働くことが人生であり、働いている時が生きている時です。 働きこそが生命であり、何もせずに、ぼんやりした一日は死んだ一日である(丸山俊雄先生)。
金銭を得た者を「勝ち組」 と称すること自体が錯誤です。 働きの内容と金銭的な報酬とに乖離があるところに 「勝ち組」 議論があります。 幾ばくかの知恵が金銭を生むことを賞賛するから、考え方を誤るのです。
働くことの報酬を金銭報酬の多寡でとらえず、「世のため一所懸命に働くこと」 に価値を見出す教育が必要です。 働いて得る報酬は 「喜び」 です。 喜んで働き、人を助け、人を救い、人の喜びを自分の喜びとすることが大事ではないでしょうか?
高校卒業生がニートやフリーターになっています。 その背景は理解しています。 しかし、「楽して儲けたい」 という考え方が、この傾向を助長していると思います。
喜んで働き、働くことが喜びとなるような社会こそが健全です。 勝ち組の議論は大切なものを忘れていると感じます。