1992年2月20日発行の岩波新書です。 栞のかわりに挟んだレシートの日付は、同年4月20日。 今から15年前に書かれた課題が、今日でも色褪せないことに、驚きというか呆れる思いさえいたします。
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同時に、著者の河合隼雄先生の慧眼に敬服する思いを持ちます。
教育とは何か? 「教」と「育」にすると、「育」と言う字は、育てる、育つ、と他動詞にも自動詞にも用いられることを指摘しています。 「教える」には「育てる」ということが結びつきます。 「育つ」となると、本人の自発的な働きとなり、教育の考慮外であると考えられがちと指摘しています。
しかし、教育の基本には、教育される側に潜在している「育つ」力を無視することは出来ないのではないか。 従来は、教育をする側の視点から発言されたので、「育つ」はおろか、「育てる」ことの方さえ、軽視される傾向だったのでは、と警鐘を鳴らしておられます。
子どもが自ら「育つ」ことを協調し過ぎると、放任になりかねません。 特に家庭教育に言えることです。 子どもを尊重することが弁解になってしまい、結局は親が責任回避を続けて破局すると書かれておられます。
この本の中で、「何から取り上げてよいかと思うくらい、現代における教育の課題は山積みしている…」と書かれています。 15年前と今と比較して、何かが変わったのか? 益々ひどくなったのではないでしょうか?
今の大人の姿を見て。「大人には、なりたくない」と考える子どもたち。 それなら、今の教育問題は、大人の責任でしょうか?
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