マンション管理士日記

地域を守る:マンションと地域の融合

管理組合 理事さんの悩み ③

2006年06月21日 | マンション管理士

住民同士のトラブル

マンション生活のトラブルで最も多いのは 「居住者間のマナー」 です。 具体的には、「生活騒音」、「ペット飼育」、「違法駐車(輪)」 が挙げられます。

生活騒音 : 共同住宅である限り、さまざまな生活騒音が発生します。 音に対する感じ方や耐えられるレベルは人によって差異があります。

騒音トラブルが起きた場合は、当事者同士の言い分だけではなく、客観的な判断が必要となります。 必要な判断材料はケースによって異なります。 信頼できるマンション管理士に相談してください。

話し合いが感情的にならないよう、また、理事さんが、片方だけに肩入れをしないよう、冷静な対処が求められます。

トラブルを未然に防ぎ、大きくしないためには、管理規約や使用細則での細かな定めが重要になります。 また、独自の生活ルールなども有効な対策です。

ペット飼育 : 管理規約や使用細則で、ペット飼育に関する規定を定めることが何より大切です。 もし規定が無いようでしたら、いずれトラブルが表面化してきます。

先ずは、管理組合の方針が必要です。 現状や希望についての住民意向を把握することが大切です。

特に、許可する場合には、ペットの範囲(種類・大きさ・数など)や飼育のルールを細かく・具体的に決めるべきです。

違法駐車(輪) : 理事会で定期的な巡回を行い、駐車違反をチェックし、常習者には警告票を出すのも有効です。 警告しても止めない時は、持ち主の氏名を公表することを通知します。

放置自転車が多い場合に効果的なのは、自転車の登録制によるステッカー貼付です。 使われていない自転車が簡単にわかります。 放置自転車には、通知書を付けておきます。 通知書には、一定期間内に登録や撤去が無い場合には、管理組合で処分すること、通知書貼付の日時を明記します。

通知日時が過ぎたら、管轄の警察署で盗難届の有無を確認します。 所有者が判明すれば、警察から本人に通知をしてもらいます。

所有者不明の自転車は遺失物として届け出をします。 保管期間(原則、6ヶ月)を過ぎれば、管理組合で処分できます。

管理組合で何台かの自転車を所有して、住民が使うときにレンタルする方法も大きな改善に繋がります。 レンタル方式には、日頃からのコミュニケーションが必要ですね。


高層マンション子育て ④

2006年06月20日 | マンションの管理

以前、高層マンションでの子育てに危惧する事を書いていましたが、今回のエレベーター事故で、その一部が現実化してしまいました。

事故の影響で、エレベーターが使えなかったり使用を見合わせたりして、外出の機会が一段と少なくなっているそうです。

保育士を対象にした調査では、「園生活で問題あり」 と判断された園児の割合は、低層階の3%に対して高層階では36%でした。 登園拒否、極端な自己中心、乱暴な行動、他の子どもと遊べない…

高層階が子育てに及ぼす影響だと考えられています。 原因には、外出機会が少なくなること、母親依存が高まること、などがありました。

高層部での生活を支えるエレベーターに支障があると、こうした現象に拍車がかかります。

原因追求に努力されていると信じています。 究明徹底で、再発の恐れを払拭して頂きたいと切望いたします。

また、不幸な事態に遭遇された方々は、本当にたいへんだと拝察いたします。  是非、子育てする家庭をサポートして、子どもの視点に立って頑張って頂きたいと思います。


ゼロトレランス ②

2006年06月19日 | 子育て

ゼロトレランスが提唱される背景。

校内暴力の深刻化で多くの校則が作られました。 それは、問題の解決ではなく、子ども達のストレスに繋がったと感じます。 その反動からか、管理教育への批判が続き、教師が孤立化したように思います。

一方、親も教師も問題の本質から目をそむけてきました。 子ども達が社会を信頼しないということ。 大人達が教育の認知と位置づけをしないから、子ども達に伝わっていないということ。 簡単に言えば、社会や学校・教師が信用されていない、という問題です。

根底の問題は無視して子どもの 「ありのまま」 を伸ばそうと考えた 「ゆとり教育」 は失敗してしまいました。

学級崩壊という状態にまで追い込まれた教育現場もあるわけです。 それでも、教師の育成が真剣に論じられ実行されたとは思えません。

そして、更なる反動として 「ゼロトレランスの提唱」 に繋がっているように感じます。

PTAなどで接すると、子ども達の問題以前に親の問題を実感しています。 ゼロトレランスの運用で、出席を停止させて問題のある子ども達を家庭に返しても家庭では何も解決出来ないでしょう。 それは排除にしかならないと思います。 とことん生徒の面倒を見るにはどうするのか、という問題にどう向き合うのか?

今回報告は、都道府県の教育委員会に判断を任せるような論調の内容です。 これでは、「ゆとり教育」 の失敗を、内容を変えて繰り返すだけのような感じを持たざるを得ません。

現場教師の実態と、学校・教師を取り巻く社会構造にも目を向けてゼロトレランスの運用を考えてもらいたいと痛切に感じます。


ゼロトレランス ①

2006年06月18日 | 子育て

今年の5月に 「生徒指導体制の在り方についての調査研究」 が報告されました。 明確な学校規則、罰則の制定・周知、「ぶれ」 のない指導、小中学校での出席停止、高校での停学・退学の適切な運用…などが提言されています。

そして、6月に文科省から通知がありました。 米国のゼロトレランス方式に取り入れられている方式を参考にして指導方法の確立に努める、事などを都道府県教育委員会に求めています。

ゼロトレランス。 直訳すれば、「寛容(トレランス)が無い(ゼロ)」 という意味です。 米国では1990年代初頭にタコマ市の高校で実施しました。 200件近く発生していた傷害事件が、わずか4件に減ったそうです。 導入したのは、「けんかをした生徒は除籍する」 という方針です。

97年には、当時のクリントン大統領が教育を立て直すために全米にゼロトレランス方式の確立を呼び掛けました。 その結果、よく教え込み、よく訓練するという伝統的な教育観に立ち戻ったのです。 「非管理教育」 を唱えた米国で、それが失敗だったと宣言したわけです。

日本では、「非管理教育」 が主流ですが、この米国のゼロトレランス方式に賛同する声も多いようです。 今回の通知は、その方式を肯定したことになります。

例えば出席停止。 義務教育である公立の小中学校でも、出席停止は適用できるのです。 ただ、適用例が殆どないのが実態です。 今回の報告書を読むと、教育委員会の責任と権限で、出席停止に踏み切っても良い、いや、むしろ踏み切るべきだ、という考えのようです。

ゼロトレランスという語句に惑わされそうですが、多くの課題を含んでいると考えます。 各都道府県の教育委員会と学校現場に判断を任せ切るのは疑問だと感じます。

米国での制度は、問題児童や生徒を放り出すのではなく、立ち直らせる仕組みを持っていました。 各地には 「オルタナティブスクール」 という代替校が設置され、専門家が矯正指導をし、立ち直れば元の学校に返していたそうです。

今の状態では、出席停止にしても家庭に戻るだけです。 それではゲームばかりしてしまうでしょう。 巡回指導をしても、目は行き届きません。

米国では、受け皿(オルタナティブスクール)と責任(担任教師と専門家)を作りあげてから実施していたようです。 詳細な規則と段階的な罰則も公表していたと聞きます。

さらに。 制度(システム)があれば良いか? 否、と思います。 教師の情熱や愛情が絶対に必要です。 寛容を無くす教育に移行するには、教師の育成が不可欠でしょう。


勤勉倫理

2006年06月15日 | 喜働

村上ファンド事件に関して。 堺屋太一氏の談話が今日の朝刊に掲載されていました。

堺屋さんの書籍は色々と読んできましたが、この談話には失望しました。

村上ファンドは、「日本的資本主義」をただす意味で重要な機能があった。 官僚主義、日本的経営体制の持つ硬直性やゆがみという閉塞感を打ち破った。 「あるべき資本市場」を目指し、日本的資本主義を突き崩す一翼を担うはずだった。 それが、単なる「買い占め屋」に成り下がったのが、今回の事件。

前半部分の概要はこんな所です。 問題はこの後です。 そのまま引用します。

村上前代表への批判の矛先が変わって、自由な投資行動を抑制する議論や、日本の資本市場全体に対する批判に結びつけられる可能性がある。 反動で古風な勤勉倫理が重視され、「額に汗して働く」 ことが一番の美徳とされれば、農本主義への回帰だ。 金融技術の発達や、知的財産といった新たな価値の創造も阻害しかねない。 成り金や格差社会への反発とつながれば、結果の平等が議論され、官僚が主導すれば正しいとする社会へ逆戻りする心配もある。

少し長くなりました。 原文のままです。 下線は私が付けました。

勤勉倫理が古風でしょうか? まぁ、その判断は嗜好に属するとして無視しましょう。 問題は、その勤勉倫理が新たな価値の創造を阻害する、としていることです。 勤勉無くして、創造など出来ないでしょう。 投資ファンドを選択して資金を提供するだけで楽して儲ける社会。 汗して働くことを尊ばない社会。 それが異常な価値観です。 金さえ儲ければ、それで良しとするからおかしくなる。

自己を伸ばすことで、世のために尽くして人のために働かす。 そのことの尊さを教えるべきです。 自己を伸ばすためには、己の一切を傾け、仕事に没頭することが必要です。 それが額に汗することでしょう。

堺屋さんに関しては、所詮、経済の目でしか世の中を見られないのか、と失望致しました。

同時に、朝日新聞にも少なからず失望しました。 この談話内容は極論です。 極論であるなら、新聞に掲載する際には対論も同時掲載すべきだと思います。 そうしなければ、極論で社会をリードする恐れがあります。 マスコミの影響力は著しく肥大しています。 極論に偏る報道は考えるべきでしょう。