カラダよろこぶろぐ

山の記録と日々の話

忘れないよ

2014-03-11 | イワテケン

3.11

あれから3年。この3年間いろんなことがありました。



岩手県・野田村
津波で全てなくなってしまった海岸線にはまだなにも再建されていない。
復興の実感が得られないのは、はたで見ているだけのものにも解る。
離れて暮らす私でもあの時の映像を見ると辛くて胸が締め付けられるのだから、
あの日からずっと同じ地域に住んでいる人の中には、身を引き裂かれる様な悲しみに今も耐えて、
先へ進めない人もいるだろう。

目に見えた変化は、途中で切れてなくなっていた三陸鉄道のレールが繋がったこと。
まっすぐに伸びるレールが力強く感じられた。
もっともっと力強く、先を照らす何かが必要と思うけど、じゃあ自分には何ができる?
今の自分にできる支援をしたつもりだったけど、たいしたことはやっぱり何も出来なくて、
震災をきっかけに出会った  たち から逆に今も強さと元気をもらい続けている。





震災のあった日から1週間は岩手の家族の安否が解らず、仕事をしていても毎日上の空だった。

その後生きてて良かったと喜んだのもつかの間、夏、お義母さんが吐血し癌がみつかった。
もう少し早ければ・・・手遅れといわれた。
震災であれこれ大変だったから、痛くても病院に行かず我慢していたのだろう、
早く気づいてあげれなかったのが残念でならない。
2年近く病と闘い、去年のお盆に永遠のさようならをした。
「おかえりなさい」と言ってくれたお義母さんの声が今も耳の中で響く。




震災当時、岩手の家にはワンコが5匹いたが、その年の秋、母犬のるみ子が亡くなった。
そして今年、関東が大雪だった2月7日、息子のタロウが亡くなった。

本当におりこうさんの可愛い子で帰省中の私の一番の友達だった。
「タロちゃーん」と呼ぶとどこからでもすぐに私の元に駆けて来てくれた。
今年1月には相当弱り、よろよろ歩きになってしまってもなお、私の後をついて歩いてくれた。
あれが一緒に歩いた、最後のお散歩になってしまったね。




でも寂しがってばかりもいられない。
春になれば木々は芽吹き、季節はいつもと同じようにまた巡ってくる。
日が沈み、眩しい朝がきて、暗い夜がきて、まいにちがあっという間に過ぎていく。




いきいきと輝いていた命があったことを忘れずに、自分がもらったたくさんのありがとうを忘れずに。
時々は立ち止まって、明日もまた生きていきます。






2014年・はじまり。

2014-01-05 | イワテケン

2014年となりました。
喪中のため年始のご挨拶は失礼させていただきます。本年もどうぞよろしくお願い致します。



年末年始は31日~2日の間、ダンナの実家にお墓参りに行ってきました。
頭では解っていてもお義母さんのいない台所はとても広く感じ、
もう「おかえりなさい」と言ってくれるあの笑顔はないんだな、としみじみ寂しく思いました。



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さて、年末年始の北三陸。



紅白歌合戦をご覧になった方は見覚えのある画像だと思いますが、
ここはあまちゃんコーナーのプロローグで地元からの中継に使われた久慈駅(北三陸駅)前。
私も本当に大晦日の夜ここに来ているのかと錯覚しましたが、吉田副駅長と地元の方とのやりとり場面は、
12/28(土)に収録されたものだったそうです。
昼間駅のセットを作り、日が暮れてからささっと収録してあっという間に終わったとか。
だから本当にあの近くにいた人しか知らなかったらしいです、確かに知られてしまっては面白さも半減ですもんね、
徹底してますね。



久慈駅舎内には11月にめでたく名誉駅長・副駅長となられたお二人の写真が飾られていました。嬉しいことです。





(写真:2013.12.31)
残念なのはドラマの中で観光協会として使われていたこの「駅前デパート」の取り壊しが決まってしまったこと。
せっかく過去に例のないくらいの名所が出来たのに残念、なんとか外観だけでも残せばいいのに・・・と思っていました。

今回の帰省で多分見納めになると思うので、中に入ってみることにしました。
尚、取り壊しが決まったとはいえ、まだ1階は使われているので出入りは可能でした。


 
取り壊しの理由が駅前再開発・ビルの老朽化とのこと。中に入ってみると確かにひどく老朽化・・・
1965年に建設されたのですから仕方ないといえば仕方ないですね。



観光協会長・菅原さんになった気分で4階の窓からの景色を眺めてみました。このアングルも見納めです。



紅白歌合戦でのあまちゃんコーナーは歌を歌って・・・程度にしか想像していなくて、
まさか”あまちゃん157話「おら、紅白でるど!」”がみれるなんて夢にも思わなかった私。
あんな続きがあるなんて、なんて素敵な物語なのでしょう、ただただ嬉しくて楽しくて感動の涙が流れました。
お義母さんの最期の闘病時期と重なっていたため、特別な思い出も加わった「あまちゃん」でしたが、
自分の中でも辛く悲しかった2013年が完結したような気持ちになりました。

この翌日ブログにあがった「橋本愛」さんの言葉が本当に素敵で心に染みました。



だからもう、駅前デパートが取り壊されるのも前に向かう為には必要なんだ、と納得してサヨナラしました。
2014年・4月にはようやく線路が繋がり、三陸鉄道全線開通となる予定です。
今年の3月11日で震災から丸3年、地元の方々が前を向いて進んで行けるよう着実に復興が進みますように。














あまちゃんは終わったけれど

2013-09-28 | イワテケン

あの時はまさかこんな日が来るとは全く想像すらしなかった・・・。





震災の後、初めて帰った夏。三陸鉄道北リアス線は津波で線路を失い、16ある駅の2つ分しか走れなかった。



たしか、復興支援列車として100円払って乗った気がしたな。
乗る人はほんのわずかだったが、車を持たない我々にはほんとうにありがたかった。
でも、もともと赤字路線の第三セクターだったから、再建は不可能だろうと思っていた。
細々と以前から三鉄を応援してくれる人々からの支援などはあったが、程遠いものだった。
もうこの三鉄で実家へ帰ることは出来ないんだろうな・・・なんともいえない思いで乗ったあの日。



ところが翌年。




震災から一年経った24年の4月、まだ全線ではないけれど三鉄のレールが少し繋がった。
国が全額援助してくれるとのことで、まさか!本当に??すごく嬉しかったのを思い出す。



(後に見えているのはK3NSPのビル、牛駅長は”三鉄を勝手に応援する会”さんより寄贈されたもの)
あちこちから応援メッセージが届いたり・・・



なんだか今まで誰も見向きもしてくれなかった「三鉄」なのに、
TVの旅番組や復興特番で取り上げられるようになり、東京にいてもその姿を見る機会が増えて嬉しかった。



相変わらず津波で何もなくなった中を走るのは辛いけど、それでもやっぱり嬉しかったっけ。



そんな中で・・・25年の4月。




(画像は2012.11月 久慈駅)

「あまちゃん」という朝ドラで自分の第二の故郷が舞台になるなんて。
町に人が歩いているのをめったに見ない、夏のほんのちょっとの期間しか観光客の姿も見ないような、
時が止まったような町があんなに生き生きと描かれるなんて、夢にも思わなかった。
嬉しくて毎日毎日楽しみに、ひとつも見逃したくない思いで夢中で見ていた。


あまちゃんロケ地レポ  





朝ドラは毎日見ることに意味があったと痛感したこの半年間。
毎日毎日見ることで、喜怒哀楽を共にしているような、一緒に前を向いているようなそんな感じ。
ストーリーの半分程度は実話であったこともこの地を知る私にはとても面白く、そして泣けた。
小ネタ満載のクドカン脚本。
毎朝、朝あまが終わった直後からその日の小ネタや内容について、
あまちゃんファンが語りあうtwitterのなんて楽しかったこと!
明日からはもう、15分早く会社に行かなくても良くなっちゃうんだ。イノッチのうけも聞けないんだ、本当に寂しい。


ちなみにこのサントラの中で私が一番好きな曲は「希求」 何度聞いてもせつなくてたまらない・・・。
あとはやっぱり「アキの涙」と「海」と「家族」
意外と後から好きになったのは歌入りじゃない「帰郷」あれ、全然一番じゃない


今後、自分が岩手に帰る時共にする曲は「あまちゃん」以外ない!と思うくらいどの曲も思い出深い。
最終回、地元の人々をたくさん映してくれたのも嬉しかった。
こんな素晴らしいドラマと曲を作ってくれてありがとう、としみじみ思う。




※写真は2011.7月 線路が繋がって車庫に帰れる日を動かずじっと待っている三鉄車両。
(これが奇跡の車両かどうかは解りません)

あまちゃんは終わっちゃったけど、北三陸はずっと昔からあるしこれからも、ある。
まだ仮設住宅で暮らしている人もたくさんいらっしゃいます。

来年の4月には待ちに待った、三陸鉄道全線開通予定です。
いつまでも東北のこと、忘れないでいて欲しいと心から願うのです。



<過去記事>
2011.8月  2012.3月   











あまちゃんの故郷・2013夏

2013-08-29 | イワテケン

恒例のあまちゃんの故郷編ロケ地、2013年夏レポです。

5月のGWに帰省したときは駅前は通常通りだったのに、今回はお盆時期とあってかものすごい人出!


ものすごいと言ってもこの程度ですが・・・すごいんです。歩道を人が歩いているんですから。



夏休み時期に合わせて色んな企画があったようですが、こちらはボンネットバス。
マイカー通行規制によりバスにて「小袖海岸」へ。



小袖海岸到着。
こちらもすごい人出!海女フェスの行われた8/4はバスが何台も出てもっとすごかったらしいです。
経済効果がすごいですね☆



GMT5Tシャツなどグッズも売っていました。(これは渋谷のNHKで購入できるタイプ)
スタッフさんは久慈市オリジナルのTシャツ着てました。



夏は”海女の素潜り実演”が行われています。
期間は7/20~9月末の土日祝日、1日3回、見学料500円です。


 
高校生海女クラブの女子と、ベテラン海女の競演。高校生たちが可愛くて。
GWに会った子も流されながらも頑張っていて思わず応援!私も素潜りは初めて見るので嬉しかったです。



ウニ、捕ったど~!



多分去年までは一人もいない日もざらにあったりした訳で・・・
このギャラリーですから、潜る方も気合が入ったのではないかと思います。




お約束の灯台に行って見ました。防波堤と灯台の下は立ち入り禁止なので写真はここまで。



今回も時間がおせおせなのですが、前回行けなかったヒロシの「監視小屋」まで上がります。



10分はかからないけど、急な登りで汗ビッショリ。


登り切って海に向かって降りたらそこが「漁場監視小屋」



中はドラマとほぼ一緒。こたつがあったり、機材があったり。(手前ガラスに海が写っててスイマセン)
我が(ダンナの)実家近所の”鵜鳥神社”の御札も奉られていました。



監視小屋からは小袖海岸が一望できます。見えている灯台と防波堤はドラマのオープニング場所。




ちょうど監視小屋に向かう途中で12時の時報。この夏から1日3回の時報はあまちゃんシリーズになったそうです。
演奏しているのは「久慈高校・マンドリン部」すごくいい仕上がりで、じーんと心に染みます。
今回義母の入院先が久慈市内だったので何度も聞きましたが、何度聞いても良いですね~
(途中から、しかも慌てて縦で撮ってしまったので、見苦しくてスイマセン)



小袖集落へ向かって降りていきます。こじんまりとしたのどかな猟師町です。



この賑わいは今年限りなんだろうけれど、海はキレイだしウニはおいしいし・・・
本当に良いところです、三陸海岸。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


町に戻って久慈駅前。駅前デパート(ドラマの北三陸市観光協会K3NSP)



駅から徒歩10分程度のところにある「やませ土風館」駅周辺で唯一の大きな施設?
お土産やレストランなどあります。



駅から徒歩1分のところにある「まちなか水族館
震災による津波で壊滅的被害を受け、閉館を余儀なくされた「もぐらんぴあ」ですが、
その火を消すなとばかり尽力した関係者の熱意は、まず市民を、次いで久慈市を動かし、
そして最後にあの「さかなクン」
さかなクンは私物の魚たちを「まちなか水族館」に寄付してくれました。
その繋がりもあってのドラマ出演だと思うと、クドカン、さすがやるなぁ~って思うのです。



久慈市内、駅周辺でもこーんな感じです。一歩入ればこんな昭和な町並みです。



喫茶モカ ドラマの”喫茶リアス”のモデルとなった喫茶店。
時間がなく入ることが出来ませんでした、また今度ブームが去ったらコーヒー飲みに行こうと思います。


駅に戻りましょう。



ドラマでは取り上げられていないけど、JR久慈駅も改装していました。



構内の待合室もオサレになりすぎちゃって・・・そば屋さんは全然変わらなくて逆に嬉しい(笑)
イスもブラック&イエローの雲丹カラー(笑)



こちらはお馴染み北鉄(三陸鉄道)久慈駅構内



駅入口脇の緑色のドアがドラマでユイちゃんが隠れてたトイレにあたる位置ですね。
閉まっているのは駅の売店&観光案内所? ドラマではこの位置が喫茶リアス。
あまちゃんも残り1ヶ月となりました。
ベンチに腰掛け眺めていると、色んなシーンが蘇ってくる私です。



夏ばっぱのモデルとなったと言われる「リアス亭」のおかみさん。
前回も言いましたが、このウニ弁当が出来た頃は車内でおかみさん自身で販売していました。
あの頃は売れてなくてなぁ・・・私らも若くてお金なかったから買えなかったしなぁ・・(回想)



もともと1日20個限定なので午前中にはなくなっていたのですが、
このお盆時期は外まで並んだとか!この日は平日でも6番目でGET。朝7時OPENです。



北鉄、久慈駅。ホームに普段ありえないほどの人。駅の向こうに「U」の字が見えますか?
あそこが忠兵衛さんがパートに出たスーパー、ユニバース川崎町店。
どうでもいい情報ですが、我が家がいつも日常品をまとめ買いする馴染みのスーパーです



列車に乗って田野畑方面へ。三鉄(北鉄)車内もあまちゃんムード一色。
ちょうどこの車両がロケに使われたものだとか・・・(他の車両と何も変わらないけどネ)



震災前までは赤字路線で存続も危ぶまれたこの三鉄ですが、学生さん達の大事な足でもあります。
ドラマ同様、こうして学生たちが乗っています。
あの先頭の窓際にユイちゃんが立っていたんですよね。
ちなみにアキの着ていた制服は久慈高校の(と同じデザイン)ものだそうです。


車窓から見える風景はこんな感じ。
トンネル内か、海か、畑か、その3つ。


久慈駅から3つ目の我が村内の駅「堀内(ほりない)」
ここがドラマで使われた「袖ヶ浜駅」です。安部ちゃんとの別れのシーンは今でも忘れられません。



国道45号堀内大橋。



堀内大橋と並行している大沢橋梁(線路)から眺める北三陸の海。
アキが東京へ行くときに夏ばっぱが旗を振ったのはこのあたりかな。



ここに通うようになって20数年。
今まで、このさびれた村(町)がこんなに賑わったのを見たことがありませんでした。
ドラマが終わればもう、もとの静けさに戻っていくのは仕方ないのですが、
今年、足を運んでくれた皆さんが「北三陸って良いところだった」と感じてくれて、
またいつか、思い出してここに来たくなってくれたらいいな、そんな事を思う2013年の夏でした。




久慈駅へ向かう三鉄車内より。












追記:大吉さんとユイちゃんが見たトンネルの



ご無沙汰でした

2013-08-25 | イワテケン

しばらく更新もせず、ご心配おかけして申し訳ありませんでした。



岩手の義母が8月18日の朝亡くなりました。


2年前に大病を患い、医者から余命半年と言われていたのですが、
義母の素晴らしい生命力で一時は「本当に病気?」と思うほど元気に畑作業が出来たりしていましたが、
その後も何度か入退院を繰り返し、7月の下旬に入院したまま家には戻れませんでした。

お盆前に今回はちょっと・・・と言われていたのでそれなりの覚悟で帰省し、
毎日見舞いに行っては少しの会話を交わしていましたが、明日も来るからね、の呼びかけに、

「もう来なくていいよ」

最後に交わした言葉でした。




お盆休みの最終日に逝ってしまったので、一旦私だけ喪服を取りに東京に戻りまたとんぼ返り、
納骨まで済ませ、木曜日に東京へ帰ってきましたが、慌しい毎日でネット環境から遠ざかっていました。

帰省した時はあんなに暑かった北三陸も、
葬儀を終え戻る頃には秋風が吹き、季節が変わっていました。
夢の中の出来事だったような、不思議な感覚です。


東京へ帰ってきたら疲れが出たのか、まだ何もする気が起きません。
今はただただ悲しくて寂しくて、ブログやツイッターなど何かを発信するエネルギーがありません。


心配してメッセージ下さった皆様、スイマセンでした。
まだそれぞれにお返事できるまでの元気がないのですが、必ずお返事いたしますのでお許しください。


夏の”あまちゃんロケ地”レポも必ず書く予定でおりますので、また見にいらしてくださいね。



ちゅちゅ





おら、あまちゃんのロケ地さ行きてぇ

2013-05-02 | イワテケン

2013.4.27、GW前半初日の土曜日は半日仕事でしたので、
終わってから新幹線でびゅーんとダンナの実家へ帰省してきました。

岩手県久慈市といえば今がまさに旬の朝ドラ”あまちゃん”の舞台。
こんな機会はめったにないでしょうから(ダンナは久慈市民ではありませんが)力を入れて紹介します



東京駅から新幹線~バスを乗り継ぎいつもの”久慈駅”へ到着。
駅正面の”駅前デパート”そう、このビルが”K3NSP”の会議室・観光協会があるビルです。
私はこのビル見慣れていますが、一番最初に見たときは時が止まったような建物に驚きました(スイマセン)
JRバスとのツーショットは春子が嫌々帰ってきたシーンに出てきましたね。


 
三陸鉄道・久慈駅はドラマの「北三陸駅」
待合室はドラマで使われているのはセットですが、実際はこんな感じ。良く似せています。



三鉄・久慈駅前ロータリーの噴水。
ここのベンチでアキちゃんとユイちゃんがお話していましたね~。



今回は2日しか滞在できず時間がなくて三鉄に乗れませんでしたので外から撮影。
春子と大吉さんが車に乗って話をしたシーンはこのあたりで撮られたものでしょう。


 
さて、久慈駅からバスに乗って「小袖海岸」へと向かいます。
北限の海女の里「小袖海岸」への道路は道幅が狭く、地域住民の生活路線でもある為、
H25.4.20~10月末までマイカー規制となっています。
その為、ダンナの実家から車で30分ほどのところにある小袖海岸に行くのには、
市の臨時駐車場や駅からシャトルバス(片道380円)に乗り換えなければなりません。

駅周辺の商店には”あまちゃん”ポスターだらけ いいですね~
ダンナがまだこちらに住んでいた数十年前は、この1階しか使われていない廃墟に近い「駅前デパート」にも、
全部お店が入ってて賑やかだったとのことです。



(バス車内より撮影)
三陸はご存知リアス式海岸。このように素晴らしい海岸線の景色を眺めながら進みます。



”つりがね洞”等、いくつかの見どころを経て30分ほどで「小袖海岸」到着。


バスを降りると、駅周辺はそうでもなかったのに・・・


じぇ(‘ j ’)/・・・

じぇじぇじぇーーーーーーっ(‘ jjj ’)/


 
小袖海岸に凄い人の数!私がこちらに来るようになって数十年、こんなに大勢の人を久慈市で見たのは初めてです!
30分おき、2台のバスで約100人程度の人が来るんですから、これは本当にこちらでは凄いことですよ!
ドラマ同様、思わぬ経済効果が生まれましたか?(平日でも300人はくるらしい)




こちらがおなじみの灯台です。



灯台を左手に見ながら漁港を進んでいくと・・・



こちらが「小袖海女センター」




夏には素潜りの実演が見れる場所です。ドラマでも何度も登場しましたね。



もちろん海の透明度は素晴らしいのです。エメラルドグリーンです



通路の先端まで行くと、荒々しい波が打ち寄せているのが見えます。
この湾からアキちゃんが出てしまい、昆布に足を取られた場所ですね(多分そう思うけど、違ったらごめんなさい)



アキちゃんが500円玉を握り締めて海から上がってきたのはここです。
北三陸の海は夏でも水が冷たいから、ロケとはいえ皆さん本当に大変だったと思いますよ。




 
テントでイカやホタテを焼いていたり(雲丹はありません)磯ラーメン(こちらの名物料理です)を販売していましたが、
やはりここはまず「まめぶ」でしょう

実はダンナも食べたことがなかったそうですが、お味は・・・・美味しい!
こちらはくるみ餅を良く使うので(私も毎年お盆と正月に頂いています)まめぶの味には慣れてましたが、
まめぶ汁は今まで食べてこなかったのがもったいなかったほど美味しかったです



北三陸の観光スポットでお馴染みの「どこから来たのシール看板」がこちらにもありました。
こうしてみると近隣・・・いや、東京も案外多くてビックリ。


 
センターの前では地元の学生さんが海女のスタイルで一緒に写真を撮ってくれました。
急に忙しくなって大変でしょう、と言ったら「いいえ!たくさんの人が来てくれて嬉しいです!」
と言ってました
良かったねぇ・・・地元の方々の笑顔が私もすごく嬉しかった。
今回、ドラマのロケ地に選んでくれたことで、久慈の町に確実に人が増え活気があるのを感じた。
もちろん賑わいは今だけだったとしても、今後、誰かの、何かのきっかけになったらいいなぁ。



さて、名残惜しいけどそろそろ東京に戻らなければいけない時間です。
そうそう、あの山のてっぺんに立つ小屋がヒロシがいた「漁場監視小屋」かな?
実在するとは思ってなくて驚いた。近くまで行けるようですが時間切れ。ここは又夏に再訪したいなぁ。



 
小袖漁港は地元の方の生活の場でもあり、全く観光地化されていないので何もないし、
賑やかさをイメージして行かれると期待はずれになると思うのですが、
こんな「めったにない」チャンスに乗っかろう、売り出そう、というそぶりは今まで通りやはり全く見えず(笑)
シャイで頑固な北三陸人気質(注:我が家の旦那様のことです)そのままの変わらない姿でした。
せっかくだからちょっと頑張っちゃえば?と思う私のような考えはここには必要ないみたい
(右画像:ドラマ北三陸秋祭りの山車は、久慈市内の「やませ土風館」のなかにあります)

※・小袖海岸ロケ地見学時、灯台や監視所等廻るなら最低1時間30分ぐらいは必要かと?
バスが2台ずつしか出ず、乗り切れない場合は30分後まで待たなければなりませんので、
時間に余裕を持ってお出かけください。(2013.4.29現在)
・コンビニ、食堂等はありません。ジュースの自販機、トイレはあります。





(オープニング映像のひとつ・久慈渓流、車窓より)
ドラマを見るたびクドカンは本当に良く観察しているなぁ、と感心しきり。
地元民じゃなくて久慈を知っている私には「あ、そうそう、こっちってそうなんだよね!」と、
笑ったり涙ぐんだりしてしまうことばかり。面白いし元気の出る良いドラマですね。
本当にこれをきっかけにもっと多くの人に北三陸の良さを知ってほしいと思います




以上、まだ家の脇にカタクリが咲き残る北三陸の「今」をお伝えしました。



おしまい。





あまちゃん始まりました!

2013-04-05 | イワテケン



北三陸鉄道・・・北三陸駅。

2012年の秋、所用でダンナの故郷に帰省したときのこと。
いつもの「久慈駅」に降り立った私が目にしたふしぎな光景。
この日はダンナがいなくて一人だったので、ビックリしてそばにいた地元の方に話しかけた。

「ス、スイマセンっ!いつ駅名が変ったんですか??三鉄じゃなくなったんですか?!」
「ん?なーにいってんじゃ。朝ドラの撮影だよ。おや、いいカメラ持ってんなぁ~一緒にとってやろかw」
「じぇじぇっ!!(‘ jj ’)/」(注:実際はこの言葉は使っていません。イメージです)

と、そばにいた地元の方と四人で大笑い



ですよねぇ・・・そうでしたねぇ・・・スイマセン





普段の「北三陸駅(久慈駅)」はこんな感じ。
私が早とちりした一番上の画像はドラマのオープニングで使われた開業時のセットだったんですね。
あの日はセットを見て「どんなドラマになるんだろう・・・」と思っていたけれど。


 
ドラマ内で宮本信子が作って販売している「うに弁当」はここがモデルだと確信しています。
久慈駅舎内にある「清雅荘」ここのおばちゃんは昔まだこのお弁当が無名だった頃、
三鉄車内でドラマのようなスタイルで販売していました、懐かしい~♪
(現在車内販売しているかどうかはわかりません)
今でもこのお弁当は販売していますが、作る数が少ないのと人気が高いので、
なかなか買うことは出来ません。
蒸し雲丹の香りと甘めの塩加減、レモンスライスが絶妙バランス、特に何が凄い!という訳ではないのですが、
しつこくなくふんわりしていて、するすると口に入ってしまう、もう一度食べたくなる美味しさなのです。



ダンナも18歳で(日本のチベットと呼ばれていたらしい)ド田舎過ぎが嫌で嫌で飛び出して東京に来た人です。
東京に来たっきり、数年間一度も帰らなかった人です。
(いいのか?こんなこと書いちゃって。ダンナ読んでないよね^_^;)

私と出会って「そんな親不孝な!」と指摘され数年ぶりに一緒に実家に帰った夏休み。
東京生まれ東京育ち、国内旅行などほとんどしたことない、田舎もない23歳の私が初めて訪れた北三陸。
あまりのド田舎さ、過酷さ(帰省に片道10時間ほどかかった)を初体験し、
自分から帰省しないとダメだよ、と言っておきながら「・・・もう二度と行きたくない」と言ってしまったこと(反省)
若かったなぁ・・・ドラマを見て思い出していました。
それが今じゃ毎年必ず帰ってる、帰りたい。何の気負いも飾り気もない、心底癒される北三陸の海に。


だから小泉今日子がドラマで若い頃、”こんな寂れた町大嫌い”と飛び出した思いが解る。
私の故郷じゃないのに大きなお世話ですが^_^;、あの雰囲気を味わった人ならわかるかな?
ダンナはきっと、若き日の自分を重ね合わせて見ているはず・笑



私が朝ドラを見るのは働くようになって多分初めて。面白くて次が気になるものなんですね。
毎朝故郷の風景を見れるなんて。なんだか嬉しくてうるうるしながら見ています!(会社のTVで)
今後の展開が楽しみです!



20数年前から私の第二の故郷となった岩手県・北三陸。
これをきっかけに震災で減った観光客が又戻ってきてくれるといいな、と心からそう思います。
クドカンさん、ありがとう


それにしても・・・能年玲奈ちゃん可愛いすぎ


あまちゃん










北東北に。

2013-03-11 | イワテケン

2013.3.11 東日本大震災から今日で丸2年が経ちました。



(2012.3月 陸前高田)
被災地でも復興が進んでいるところ、時が止まったままのところ。
そして我々が住んでいる東京と、被災地、大きなギャップがあります。
心の問題も大きく、まだまだ傷が癒えないまま、2年が過ぎようとしています。
あらためまして亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。




(2011.5月の羅賀荘)
ダンナ様の実家から近い「ホテル羅賀荘」も3階まで津波が押し寄せ甚大な被害を受けました。

当時は再建は厳しいかな・・・と思っていましたが、嬉しいことに1年8ヶ月の歳月を経て昨年11月、
営業再開となったそうです。とても元気になれるニュースでした。
サッパ船アドベンチャーズも再開しています。皆の努力の賜物です。


北東北はほんとうに良いところです。素晴らしい景観・自然の宝庫。自慢の真っ青な海と海の幸。
まだの方は是非一度、真面目でこつこつと努力を続ける、心温かな人々の笑顔に会いに来てください。
あなたの心に沁みる何かに、必ず出会えると思います。





復興サポーター

2012-06-11 | イワテケン

震災から1年3ヶ月。


(photo by 北山崎)
東京にいると忘れがちですが、被災地では色んなことが少しずつ進んでいるようです。



環境省は、青森県の種差海岸から宮城県の松島までの沿岸部の自然公園を、
「三陸復興国立公園」(仮称)として再編する構想があるようです。

構想によると、被害を記録・継承するための学びの場や、
災害時の緊急避難場所や避難路となる「鎮魂の森」
「三陸海岸トレイル(長距離歩道)」を整備し、被災した農業者、漁業者らに協力してもらい、
エコツーリズムを推進することで、地元の雇用確保も図るとしています。

東北海岸トレイル構想」としてモニターツアーも行われました。



2011年、夏に訪れた「北山崎」
海の碧さもリアス式海岸の美しい眺めもそのままでしたが・・・


 
震災の影響であちこち崩れた自然歩道。

素晴らしいこのトレイルがまた安全に歩けるようになること、
この国定公園に以前のように観光客がたくさん訪れてくれるようになること。
時間はかかってもそういう小さなことがちゃんと整っていくことが、
生きる勇気、笑顔に繋がっていくと思うので、この構想は必ず実現してもらいたいと思います。

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ちょっと視点を変えれば、自分にも出来ることがまだまだあります。




「復興サポーター」「復興オーナー」「復興市場」
単なる募金ではなく、自分たちの力で立ち上がろうとする人々を応援する「サポーター」
に自分がなること。


自分の買いたい物ひとつ我慢したら、もしかして誰かの役に立てるかもしれない。
心の充実度は自分の買い物よりずっと、満たされる気がしています。







岩手の春

2012-05-11 | イワテケン

今日で震災から1年と2ヶ月です。
早いと感じるか、遅いと感じるか・・・。



2012年のGW前半は、土曜日の半日仕事の後新幹線に飛び乗り、大急ぎで岩手県へ帰省してきました。


3月11日に新橋駅で行われた三鉄応援イベントの続きが駅にありました。
牛の駅長さんの彫り物は「三鉄を勝手に応援する会」さんから寄贈されたものです、嬉しいですね。
岩手県の人々、三鉄さん、地道に頑張っています。



この4月1日から津波で流されていた区間が開通となり、
北リアス線約半分の「田野畑駅」まで走れるようになりました。
この行き先表示が「宮古」に戻るのはまだ2年先です。



陸中野田駅から野田玉川駅が線路流出していた区間。真新しい敷石と線路が敷かれていました。
いよいよ震災後初めて通ります、乗客の私がなぜか緊張します。



震災後も何度も見ていたこの風景、電車が通れるようになったことはとても嬉しいのですが、
車窓から見える景色は相変わらず家も何もなくなった海岸線と残された瓦礫・・・。

東京にいると普段は忘れている人がほとんどでしょうけれど、1年以上経っても瓦礫はまだほとんど片付かず。
ニュースでも瓦礫処理の問題が時々取り上げられていますが、
毎日毎日この風景を見ながら住む人の気持ちになって考えてほしいと思います。


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ダンナの実家に春に帰省するのは2度目。めったに来ないので色んな発見が。
家の前を流れる沢沿いにはニリンソウが一杯♪



なんと家から徒歩3分のところにカタクリの群生。しかもとってものびのびしたシッカリさんばかり。
わざわざ遠くまで行かなくても、こんな近くにカタクリの里があるじゃない(笑)



カタクリとエンレイソウ。
こんな近くで見れるなんて。。。こちらの人たちにとっては当たり前のことなんですけどね。



ミヤマエンレイソウ



アズマイチゲ


 
ワサビとセンボンヤリ。
ダンナの実家の周りを一周しただけで、一山歩いたような満足感。




わさわさ(ヤマ?)エンゴサク。→ササバエンゴサク



つくしも一杯。


 
スミレはまだ本当に咲き始めといった様子で、花弁直径1~2センチ程度の小さい子が4種類ほど。
黄色い子は「フチゲオオバキスミレ」花は黄色いのに蕾は紫色、葉の付き方に特徴有り、
それで判定したので多分合ってるかな。。。。
白い子はヒカゲさんかなぁ?解りません。



 
大好物のたらの目を採り天ぷらに、先ほどのワサビは義母が炊いてくれました。




自分の故郷ではないけど、20数年も通えば第二の故郷。
帰れる故郷がある、待っていてくれる笑顔に会える、そんな小さくて大きな喜びに満ちた休日でした。