カラダよろこぶろぐ

山の記録と日々の話

一枚の写真・燧ケ岳

2007-06-06 | カメラ
父は若い頃からカメラが大好きだった。
山に登る人はそれぞれいろんな目的を持っていると思うが、
父の場合は山の風景、山の頂に登らなければ出会えない風景をカメラに収めたくて、
山に登っていたのではないか、と思う。
(父の部屋には写真の本が山ほどあって「日本カメラ]とか、「日本アルプス」とか「日本の山」とか、
たーーくさんのあったから、多分そうなのでは?と思っている。)

これらのモノクロ写真を見ると、父が家で現像していた時の、
暗幕の中でピンセットをゆらゆらさせている姿や、現像液のすっぱい匂いを思い出す。



これは私がとても好きな一枚。
この写真に写っているのは昭和30年頃の「燧ケ岳」・・・多分、行ったことがないから・・
モデルは同じ会社の人かな?ブラウスと短めのパンツがかわいい。
ニッコウキスゲらしき花が咲いている、なんて美しい風景なんだろう。

50年以上も前の山の姿と同じものが現代もまだそこにある。
地球の長い歴史から見れば当たり前のことでも、
もし戦争や災害があったら同じ姿では存在していないかもしれない。
そう考えれば「あたりまえのこと」は、実はとても奇跡的で、
大きな意味のあることではないかとも思えてくる。
父が好きだった山に、今頃興味を持った私という親子関係も。

父がまだ生きていた頃、私はカメラのことも山のことも、
全く興味がなかったのが、今となっては悔やまれる。
今なら、聞きたいこと、知りたいこと、教えてもらいたいことがたくさんあるのに。
趣味の話を父娘で話ができたら、さぞかし父も楽しかっただろうに。

近い将来、きっと私はこの場所に行くだろう。
湿った木々の匂いや、ひんやりとした空気の感触を
肌で感じながらこの目で見て来たい。
私が山を歩きたくなった理由がそこに、あるかもしれないから。









便利=豊か とは思わない。