■メイン写真
新嶽見橋から見る鎧岳
「葛なる鎧が岳にきてみれば そよ吹く風のくさずりの音」西行法師
■今回のコース
サンビレッジ曽爾すぐ上の路肩(駐車)→目無橋→楯岡山→目無橋→延命地蔵(目無地蔵)→
兜岳→峰坂峠→→鎧岳→清水山→カヤ古木→葛バス停→曽爾横輪バス停→駐車地
⇒門僕神社⇒楯岡山古墳
曽爾方面へのハイキングが続く。
久しぶりに兜岳と鎧岳に登ることにしたが、これだけでは物足りないので、
登り残していた楯岡山と清水山をセットにして歩いてみた。
昭文社の最新の地図にも山名が記載されていないので、知名度は低いだろう。
目無橋をめざして歩いていると、路肩に白いショウジョウバカマを見つけた。
それよりフキノトウも多く、摘みながら歩く。
楯岡山へは、目無橋を渡らずに、手前の作業道に入る。
作業道の途中で、でっかいヒキガエル君が腕立て伏せをしているのに出くわした。
楯岡山の山頂には、NHKの中継塔があり、西側の多輪峯公園から舗装林道が
つながっている。
そのため、登山者にあまり興味を持たれないので損をしている。
しかし、山頂からみた屏風岩、住塚山、国見山の眺めは一級品である。
古光山や曽爾高原までも見渡せる。
目無橋に戻り、延命地蔵へ。ここが兜岳への登山口。
延命地蔵とツバキ。花はたくさん落ちていた。
はじめ沢沿いに歩き、渡渉。倒木のすぐ奥から急な尾根に取り付く。
じきに植林帯を抜け、自然林に変わる。
これはダンコウバイかな?
最初のスラブでは、アセビが満開だった。
フィックスロープが張られた急峻な岩尾根をひたすら登る。
この日は4月下旬の暖かさ。汗が噴き出る。
路傍にはイワカガミの群落が続く。もちろん花はまだだ。
兜岳山頂。ここで昼食をとった。
峰坂峠へ尾根をたどる。右はスパッと切れ落ちている。
たまに視界が開け、鎧岳がドアップで迫るのが見える。
激下りの末、峰坂峠に着く。
ここから単調な植林内をひたすら登る。
ともちゃんが切株の上に、エビフライをみつけた。
当然、本物のエビフライではなく、リスか何かが針葉樹の実を食べた残骸(食痕)だ。
鎧岳の山頂に到着。鎧岳に比べ、展望もないし、平凡なピークだ。
麓から見る大岩壁は、ここにいると微塵も感じない。
北尾根をたどり、標高876mの清水山に寄る。
訪れる人はほとんどいないと思われる雑木のピークである。
山頂には、朽ちたスキー板がなぜか片方だけ、立てかけてあった。
鎧岳の方に少し戻り、分岐から葛に向かい下山開始。
植林帯をジグザグに下るので、等高線が詰まっている割には険しさを感じない。
新宅本店への分岐を右にとって、しばらく進むと、目立って大きな杉の木がある。
里に出た。カヤの古木が目印。
ツクシを採りながら、のんびりバス道に下った。
かずら橋を眼下に眺め、クルマを回収しに行く。これが遠い。
帰りに門僕神社に寄った。
秋には有名な曽爾の獅子舞が奉納され、毎年のようにTV局がやってくる神社だ。
もう一つ寄り道。
楯岡山古墳。曽爾中学校の奥、ヘリポートの横にある。
仁徳天皇の弟・速総別王(はやぶさわけのみこと)と、仁徳天皇の異母妹・女鳥
皇女(めどりのみこ)の墓と伝わる古墳だ。
仁徳天皇が女鳥皇女を見初め、速総別王を仲を取り持つ使者として送ったが、
速総別王と女鳥皇女がデキてしまったため、仁徳天皇は激怒。
逃げる二人は仁徳天皇の軍勢に曽爾で捕まり殺されたという。
兄弟・妹間の痴話話としては、あまりにすさまじいお話だ。
これだけ遊んだのに、まだ明るいうちに自宅に戻れた。日が長くなってきたもんだ。
新嶽見橋から見る鎧岳
「葛なる鎧が岳にきてみれば そよ吹く風のくさずりの音」西行法師
■今回のコース
サンビレッジ曽爾すぐ上の路肩(駐車)→目無橋→楯岡山→目無橋→延命地蔵(目無地蔵)→
兜岳→峰坂峠→→鎧岳→清水山→カヤ古木→葛バス停→曽爾横輪バス停→駐車地
⇒門僕神社⇒楯岡山古墳
曽爾方面へのハイキングが続く。
久しぶりに兜岳と鎧岳に登ることにしたが、これだけでは物足りないので、
登り残していた楯岡山と清水山をセットにして歩いてみた。
昭文社の最新の地図にも山名が記載されていないので、知名度は低いだろう。
目無橋をめざして歩いていると、路肩に白いショウジョウバカマを見つけた。
それよりフキノトウも多く、摘みながら歩く。
楯岡山へは、目無橋を渡らずに、手前の作業道に入る。
作業道の途中で、でっかいヒキガエル君が腕立て伏せをしているのに出くわした。
楯岡山の山頂には、NHKの中継塔があり、西側の多輪峯公園から舗装林道が
つながっている。
そのため、登山者にあまり興味を持たれないので損をしている。
しかし、山頂からみた屏風岩、住塚山、国見山の眺めは一級品である。
古光山や曽爾高原までも見渡せる。
目無橋に戻り、延命地蔵へ。ここが兜岳への登山口。
延命地蔵とツバキ。花はたくさん落ちていた。
はじめ沢沿いに歩き、渡渉。倒木のすぐ奥から急な尾根に取り付く。
じきに植林帯を抜け、自然林に変わる。
これはダンコウバイかな?
最初のスラブでは、アセビが満開だった。
フィックスロープが張られた急峻な岩尾根をひたすら登る。
この日は4月下旬の暖かさ。汗が噴き出る。
路傍にはイワカガミの群落が続く。もちろん花はまだだ。
兜岳山頂。ここで昼食をとった。
峰坂峠へ尾根をたどる。右はスパッと切れ落ちている。
たまに視界が開け、鎧岳がドアップで迫るのが見える。
激下りの末、峰坂峠に着く。
ここから単調な植林内をひたすら登る。
ともちゃんが切株の上に、エビフライをみつけた。
当然、本物のエビフライではなく、リスか何かが針葉樹の実を食べた残骸(食痕)だ。
鎧岳の山頂に到着。鎧岳に比べ、展望もないし、平凡なピークだ。
麓から見る大岩壁は、ここにいると微塵も感じない。
北尾根をたどり、標高876mの清水山に寄る。
訪れる人はほとんどいないと思われる雑木のピークである。
山頂には、朽ちたスキー板がなぜか片方だけ、立てかけてあった。
鎧岳の方に少し戻り、分岐から葛に向かい下山開始。
植林帯をジグザグに下るので、等高線が詰まっている割には険しさを感じない。
新宅本店への分岐を右にとって、しばらく進むと、目立って大きな杉の木がある。
里に出た。カヤの古木が目印。
ツクシを採りながら、のんびりバス道に下った。
かずら橋を眼下に眺め、クルマを回収しに行く。これが遠い。
帰りに門僕神社に寄った。
秋には有名な曽爾の獅子舞が奉納され、毎年のようにTV局がやってくる神社だ。
もう一つ寄り道。
楯岡山古墳。曽爾中学校の奥、ヘリポートの横にある。
仁徳天皇の弟・速総別王(はやぶさわけのみこと)と、仁徳天皇の異母妹・女鳥
皇女(めどりのみこ)の墓と伝わる古墳だ。
仁徳天皇が女鳥皇女を見初め、速総別王を仲を取り持つ使者として送ったが、
速総別王と女鳥皇女がデキてしまったため、仁徳天皇は激怒。
逃げる二人は仁徳天皇の軍勢に曽爾で捕まり殺されたという。
兄弟・妹間の痴話話としては、あまりにすさまじいお話だ。
これだけ遊んだのに、まだ明るいうちに自宅に戻れた。日が長くなってきたもんだ。