Mr.Dashのぶろぐ館

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2025年3月5日(水) [十津川村・北山村]筏師の道(瀞峡~小松)を、ガイド研修で歩く!

2025年03月06日 | 山登りの記録

■メイン写真
小松茶屋跡の石垣

■今回のコース
道の駅おくとろ(集合)⇒小松(林道脇に車をデポ)⇒瀞八丁バス停(手前に車をデポ)→筏師の道入口→
田戸の集落→秋葉神社→東野峠→東野集落跡→立会川吊橋→寸検所跡→有蔵集落跡→大谷の滝→
小松茶屋跡→小松⇒道の駅おくとろ


所属する奈良山岳自然ガイド協会の実地研修で、奈良県十津川村と和歌山県北山村にまたがる
「筏師の道」を歩いてきた。
代々、上北山村に住む当ガイド協会の会長である岩本泉治氏が案内役だ。

筏師とは、奈良県上北山村、下北山村、和歌山県北山村などから伐り出した木材を、
北山川に筏を組んで新宮の港まで運ぶ際に、筏に乗って操縦していた逞しい男たちのことで、
流域にダムが建設されて筏流しができなくなった昭和30年代まで、600年以上続いていた。
新宮からは江戸をはじめ各地に輸送された。江戸に運ぶと木材価格は10倍になったそうで、
紀伊国屋文左衛門も千石船で熊野杉や尾鷲桧を運び、成功したという。

「筏師の道」は、筏師が新宮からそれぞれの村に歩いて帰った道であり、ここ数年、
地元の方々の尽力もあって復興・整備され、再び脚光が当たりつつある。

スタート地点の瀞八丁。ヒスイ色の流れ。
時折、小雨が混じるあいにくの天候だが、それでも美しい。
ただ、ダムができる前は、底が見えるほど澄んでいたと伝わる。

有名な瀞ホテル。長らく休業していたが、廃墟ではなく、平成25年から営業している。
「紀伊半島大水害」により別棟が流出し、宿としての再開は難しくなり、現在は
軽食・喫茶(冬季は要予約)の対応となっている。

駐在所でごろごろしていた地域ネコの「きなこ」。

ここから「筏師の道」に入る。

まずは風情あふれる石畳の道。

最初の廃屋前には、古い発動機が放置されていた。

田戸の集落。石垣の規模を見ると、かなりの豪邸に思えるが、まだお住まいなのだろうか。

一度、車道を渡る。

秋葉神社。火伏の神を祀る。
紀伊半島には、タタラ製鉄の伝説が残る。北から移ってきたタタラ族は火を神聖視していた。

このあたりの「筏師の道」は歩きやすい。
そういう箇所は、かつては木材を運んだ木馬(きんま)道だったという。
しかし、山の地形そのものは結構急峻で、すぐ横には尖った岩峰がそそり立つ。

東野(とうの)峠に到着。
ずっとトラバース道だったが、古くは尾根通しに歩かれていたそうで、
トラバース道になったのは室町時代以降とのこと。

カケスの羽根。

左に、まるで山城を思わせる立派な石垣が現れた。
このあたりから、東野集落跡となる。

少し下る。酒瓶が散乱している。

東野集落跡は数戸が朽ちた廃屋となって残っていた。
やはり大規模な石垣があり、筏師を泊めた旅籠もあったようだ。
ちなみに当時の筏師は、学校教員の5~6倍の収入があったという。
危険が伴う職業だが、リターンも大きい。新宮で1週間ほど遊んで帰る筏師もいたそうだ。

谷筋をトラバース。固定ロープが張られているが、この日のように足元が湿っているときは
スリップしないように細心の注意で。
「筏師の道」は、きれいに残っていて歩きやすいところと、崩れかけて歩きにくいところが
混在している。

炭窯跡。

道中、上を並行する国道169号線へショートカットできる道が3カ所ある。
エスケープに使えるというが、いずれも道はあまり歩かれていない雰囲気だった。

たまに北山川の流れが見えるところがある。
筏を流していた時代はダムがなかったことから、水量はもっと多かった。

立合川(たちあごう)にかかる吊橋を渡る。板が濡れて滑りやすい。

石垣を高く積んで造られた古道。当時は道普請もきちんとなされていたのだ。

寸検所跡に到着。木場道で運ばれた木材は、ここで役人によって本数、長さ(サイズ)を
計測され、石高として集計される。
すぐ横の急斜面に、木を束ねてつくったスライダー「スラ(修羅)」に木材を滑らせ、
北山川に落とした。これを「スラ落とし」といい、各所にこのようなものがあったという。

有蔵集落跡の石垣。
パンフレットによると昭和60年頃まで1軒が残り、お弁当持参で郵便配達の人が
来ていたという。

大谷の滝。かつてはこの滝のすぐ上にも修験の行場があったのではないかという。

小松茶屋跡に到着。
五右衛門風呂の跡や建物の土台などが残る。
2階建てだった建屋は、新宮市内に移築されているらしい。

小松茶屋跡の右奥に地蔵祠がある。

国道の小松橋へ上がり、展望を楽しむこともできるが、この日は下の林道に下り、
朝、デポしたクルマに戻る。

手前の水たまりには大きなヒキガエルが気持ち悪いくらい何匹も姿を現し、
集団デートの真っ最中だった。
路肩の斜面にはミツバチの巣箱が幾つも置かれていた。
気の早いアセビの花がもう咲いていたので、ミツバチも忙しくなることだろう。

このあたりには、クマノザクラも多い。
クマノザクラは、2018年に日本国内の野生の桜としては100年ぶりに新品種として
確認された。比較的、寿命が短く、開花はヤマザクラやソメイヨシノよりも早い。
南紀では昔から、ソメイヨシノよりピンクが濃い、早咲きのサクラがあることは
広く知られていたが、学術的に新種と判明したのは最近である。

最後にもう一度、北山川の流れを見下ろして、道の駅おくとろへと戻った。


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