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■メイン写真
第二次世界大戦末期に造られた松代大本営地下壕
翌日からの山行に備え、長野市に前泊する。
道路事情が良く、予約していたビジネスホテルに入るにはまだ十分に時間がある。
ということで、長野ICのすぐ南に位置する松代町を観光してみた。
江戸時代は真田氏10万石の町だった。
限られた時間ではあったが、観光協会で効果的に情報をゲットし、
琴線に触れたスポットを巡ってきた。
長野電鉄旧屋代線の松代駅跡。
平成24(2012)年に廃線になったあとも、駅舎が保存され、バスの待合所等として
使われている。駅舎そのものは大正11(1922)年の開業当時のものという。
いきなり、ノスタルジーに浸れる。
小ぢんまりとした街には、あちこちに歴史を感じされる門構えの家がある。
これは小山田家。小山田氏は武田信玄の家来の末裔で、小山田茂誠の妻は
真田幸村の姉であるとのこと。建物は登録有形文化財。
街中から少し南に行くと、松代大本営地下壕がある。
第二次世界大戦末期、空襲が激しい東京から、大本営軍司令部、参謀本部、
政府各省等をここに遷し、本土決戦での徹底抗戦に備える計画だった。
場所の選定にあたっては「信州」は日本の中央にあり、「神州」とも呼ばれ
縁起がいいことして、伊那、諏訪、上高地などが調査されたというが、
地盤が固いこと、海岸線から遠いことなどから松代が選ばれた。
地下壕は舞鶴山、皆神山、象山に碁盤の目のように掘り抜かれ、総延長は約10km。
日本人はもちろん、朝鮮人の強制労働も含めたのべ300万人9か月による突貫工事で
約8割が完成したが、そのまま終戦を迎えた。当時の2億円という巨費が使われたという。
平成元(1989)年からは、象山地下壕の一部が公開されている。
受付で人数等を告げ、ヘルメット(無料)を装着すれば、無料で入れる。
続いて、気象庁の松代地震観測所へ。今は職員は常駐していないが、舞鶴山の地下壕跡を
活用した施設である。
建屋の奥には、天皇御座所予定地跡があり、外側から窓越しに見学できる。
もちろん天皇はここに来ることはなかった。