■メイン写真
「ミニ大蛇嵓」と言いたくなる白倉山の展望台
■今回のコース
もくもく館跡→蜻蛉の滝公園→蜻蛉の滝→聖天岩屋→青根ヶ峰分岐→王峠→仏ヶ峰→
五社峠→白倉山→弁財天祠→匠の聚ゲート→もくもく館跡
あいにくの天気となってしまったが、大崩れはしそうにないし、雨よ、あがってくれと
祈りながら歩いてきた。白倉山の展望台は勝手に「ミニ大蛇嵓」と呼んでいるほどの
絶景スポットなので、せめてそこだけでも眺めを楽しみたい。
蜻蛉の滝公園から山道に入る。
蜻蛉の滝は必見ポイント。鉄製の螺旋階段を下りて滝を見に行く。
昨夜からの雨で、滝は絶賛増水中!
上からも落ち口を覗ける。落ち口の釜が大迫力。
絶壁の下に設けられた道を登る。急坂なだけでなく、白い柵が倒れている箇所もあるので
細心の注意をもって進む。
聖天岩屋に到着。
役行者が大峰山を開山する前に、この岩屋に籠って修行したと伝わる。
奥行7.2mの洞窟で、奥に天竜天大神が祀られている。
金属製の階段を経て、なおも急登をこなす。作業道と分岐には必ず道標があるので
迷うこともない。やがて青根ヶ峰への道と分かれる。ここは右へ。
せっかく登ってきたのに、稜線に照る寸前でずんずん下っていく。
標高にして120mほど下るので、ルートを知らなければ不安になることだろう。
途中の岩屋で雨を避けながら昼食。このような雨除けがあってラッキーだ。
この地蔵の分岐で、ふたたび登りに転じる。
ほどなく王峠に出る。峠というが北に抜ける道はない。かつてはあったのだろうか。
すぐ先のピークが仏ヶ峰だが、山名表示もなければ、たんなる植林のピーク。
ちなみに昭文社の地図では1kmほど南西の668.5m三角点(点名:大谷)が
仏ヶ峰となっている(最新版は未確認だが)。
この三角点を大谷山とする向きもあるようだが、地元では「オク山」という説が
有力ではないかと考えられる。
ヒカゲノカズラの群落があるところで谷筋に誘い込まれないよう右の尾根道に逃げ、
小ピークを2つ超えると、五社峠に下り立つ。
大滝生まれの植林王・土倉庄三郎が拓いた峠越えの道が横切る。
峠を見守るように建っているのが鹿塩神社。
式内社(延喜式神名帳に記載された、格式と歴史ある神社)である。
ものすごい急登をなんとかこなすと、白倉山の三角点にたどり着く。
いつも元気で陽気な皆さんも、この坂ではゼーゼー、無口。
三角点の10mほど南が白倉山の狭い最高点だ。
最高点からさらに南へ、細い尾根を100m弱下ると、NHKの電波塔があり、
その先に「ミニ大蛇嵓」の展望台がある。
最近ここを、白倉覗きと呼ぶ向きもあるようだが、「伯母谷覗」「水太覗」など
歴史ある地名を考えると、ここは「西河覗」「吉野川覗」「音無覗」などと
なるはずであるなどと考えてしまう。
その証、西河の集落と吉野川が、まさに直下に見える。
雨雲に隠れ、白屋岳や大台ヶ原は見えなかった。
三角点に戻り、北から東へと尾根をひたすら下ると、弁財天祠、山の神祠を
経て、「匠の聚」への舗装道に下り立つ。
しばらく雨はやんでいたのに、舗装道に出てから急に雨脚が強くなってしまった。
西河口の鉄橋の横から、対岸の鎧崖磨崖碑を見物。
源義経が吉野に落ちのびた時、鎧をかけたという岩・鎧掛岩に、「土倉翁造林頌徳記念」の
文字が彫られている。文字列の幅は1.8m、全長23.6m、文字の深さは36㎝だという。
西河で、白倉山を振り仰ぐ。
頂上直下はまさに絶壁。あなにところにいたのだなぁと感慨。
下から見ると、標高わずか587mの「ミニ槍ヶ岳」だった。
「ミニ大蛇嵓」と言いたくなる白倉山の展望台
■今回のコース
もくもく館跡→蜻蛉の滝公園→蜻蛉の滝→聖天岩屋→青根ヶ峰分岐→王峠→仏ヶ峰→
五社峠→白倉山→弁財天祠→匠の聚ゲート→もくもく館跡
あいにくの天気となってしまったが、大崩れはしそうにないし、雨よ、あがってくれと
祈りながら歩いてきた。白倉山の展望台は勝手に「ミニ大蛇嵓」と呼んでいるほどの
絶景スポットなので、せめてそこだけでも眺めを楽しみたい。
蜻蛉の滝公園から山道に入る。
蜻蛉の滝は必見ポイント。鉄製の螺旋階段を下りて滝を見に行く。
昨夜からの雨で、滝は絶賛増水中!
上からも落ち口を覗ける。落ち口の釜が大迫力。
絶壁の下に設けられた道を登る。急坂なだけでなく、白い柵が倒れている箇所もあるので
細心の注意をもって進む。
聖天岩屋に到着。
役行者が大峰山を開山する前に、この岩屋に籠って修行したと伝わる。
奥行7.2mの洞窟で、奥に天竜天大神が祀られている。
金属製の階段を経て、なおも急登をこなす。作業道と分岐には必ず道標があるので
迷うこともない。やがて青根ヶ峰への道と分かれる。ここは右へ。
せっかく登ってきたのに、稜線に照る寸前でずんずん下っていく。
標高にして120mほど下るので、ルートを知らなければ不安になることだろう。
途中の岩屋で雨を避けながら昼食。このような雨除けがあってラッキーだ。
この地蔵の分岐で、ふたたび登りに転じる。
ほどなく王峠に出る。峠というが北に抜ける道はない。かつてはあったのだろうか。
すぐ先のピークが仏ヶ峰だが、山名表示もなければ、たんなる植林のピーク。
ちなみに昭文社の地図では1kmほど南西の668.5m三角点(点名:大谷)が
仏ヶ峰となっている(最新版は未確認だが)。
この三角点を大谷山とする向きもあるようだが、地元では「オク山」という説が
有力ではないかと考えられる。
ヒカゲノカズラの群落があるところで谷筋に誘い込まれないよう右の尾根道に逃げ、
小ピークを2つ超えると、五社峠に下り立つ。
大滝生まれの植林王・土倉庄三郎が拓いた峠越えの道が横切る。
峠を見守るように建っているのが鹿塩神社。
式内社(延喜式神名帳に記載された、格式と歴史ある神社)である。
ものすごい急登をなんとかこなすと、白倉山の三角点にたどり着く。
いつも元気で陽気な皆さんも、この坂ではゼーゼー、無口。
三角点の10mほど南が白倉山の狭い最高点だ。
最高点からさらに南へ、細い尾根を100m弱下ると、NHKの電波塔があり、
その先に「ミニ大蛇嵓」の展望台がある。
最近ここを、白倉覗きと呼ぶ向きもあるようだが、「伯母谷覗」「水太覗」など
歴史ある地名を考えると、ここは「西河覗」「吉野川覗」「音無覗」などと
なるはずであるなどと考えてしまう。
その証、西河の集落と吉野川が、まさに直下に見える。
雨雲に隠れ、白屋岳や大台ヶ原は見えなかった。
三角点に戻り、北から東へと尾根をひたすら下ると、弁財天祠、山の神祠を
経て、「匠の聚」への舗装道に下り立つ。
しばらく雨はやんでいたのに、舗装道に出てから急に雨脚が強くなってしまった。
西河口の鉄橋の横から、対岸の鎧崖磨崖碑を見物。
源義経が吉野に落ちのびた時、鎧をかけたという岩・鎧掛岩に、「土倉翁造林頌徳記念」の
文字が彫られている。文字列の幅は1.8m、全長23.6m、文字の深さは36㎝だという。
西河で、白倉山を振り仰ぐ。
頂上直下はまさに絶壁。あなにところにいたのだなぁと感慨。
下から見ると、標高わずか587mの「ミニ槍ヶ岳」だった。