■メイン写真
名草神社の拝殿横に立つ大杉
■今回のコース
名草神社駐車場→大ナル登山口→妙見山→妙見峠→名草神社→名草神社駐車場
但馬妙見山は、近畿百名山のひとつ(関西百名山ではない)で、かつて帝釈寺日光院と
妙見信仰の妙見宮があり、大いに栄えた。明治6年に名草神社なっている。
養父市のホームページには、「江戸時代には村岡藩や出石藩の祈願所にもなったと言われて
おり、山陰地方を代表する妙見信仰の総本宮として栄え」とある。
この3連休の天気はよくない。雨の間隙をぬって、なんとか登ることができたのは幸運だった。
大ナル登山口には案内板がある。
林道を少し進むと、左にキャンプ場跡をみる。この建物は管理棟だったのかな?
大ナルは、その名のとおり、大きく平らになった場所。
ここにもトタン板の廃墟跡がある。林道は終わり、右に鋭角に登山道が延びる。
大きな切り株が目立つ。かつては巨杉の山だったようだ。
中には木の名前を記した札がかかっているものがあるが、この道は「植物歳時記の道」と
して整備されたものだ。
枯死した株には、次の命が育まれている。
稜線にはブナが残っており、巨木が多い。
若いブナが育っていないのが多少気がかりだが、ベテランのブナには威圧される。
さしたる難所もなく、妙見山の山頂に到着。
もともと全方位が開けているわけではないが、この日は霧で景色は全く見えない。
なお山頂付近には、春にザゼンソウが咲く。次はその時期に来てもいいな。
北へ続く尾根道をたどる。妙見新道と呼ばれる道だ。
西側が香住町、東側が豊岡市の境界線上でもある。
人間でも座れそうな巨大なサルノコシカケを発見。
進行方向左手に作業林道が近づいてくるが、これは地形図に記載がない。
小ピークを一つ越えて、妙見峠に到着。
丁石地蔵が2体あるが、丁の数が合わない。
これから名草神社へと下る道すがら、丁石地蔵が設置されている。
妙見峠の十三丁地蔵はお顔が削られており、恐らくは廃仏毀釈の際に破壊されたのだろう。
そういう例はあちこちにある。
丁石地蔵を数えながらどんどん下る。境内の舗装道に合流すると、一丁地蔵がある。
片膝をついて座っているデザインは非常に珍しい。
名草神社は、平成22年に国指定の重要文化財に指定された。
本殿、拝殿、三重塔の3つの建物がすべて国指定文化財というのは、北近畿では
たいへん珍しいのだそうだ。
名草神社の三重塔は、それより先の明治37年に重要文化財に指定されている。
もとは島根県の出雲大社の境内に、地元の大名・尼子氏が建てたものだという。
出雲大社の「寛文の御造営」(1667年)の際、妙見山から巨木(妙見杉)を提供し、
そのお礼として出雲大社から、この三重塔が贈られここに移築された。
塔の左にあずま屋が見えるが、これはかつて「妙見の大スギ」と呼ばれた巨杉の
切り株が保存されているもの。大正13年に国指定の天然記念物になっものの、
平成3年の台風で倒れてしまった。
最後に歴史ある神社を散策でき、なぜ妙見山に巨杉の切り株がたくさん観られたのかも
納得がいった。
翌日は、天気がかなり心配だが蘇武岳に転進する計画だ。
このあと、宿泊予定の神鍋高原の民宿へと向かった。
名草神社の拝殿横に立つ大杉
■今回のコース
名草神社駐車場→大ナル登山口→妙見山→妙見峠→名草神社→名草神社駐車場
但馬妙見山は、近畿百名山のひとつ(関西百名山ではない)で、かつて帝釈寺日光院と
妙見信仰の妙見宮があり、大いに栄えた。明治6年に名草神社なっている。
養父市のホームページには、「江戸時代には村岡藩や出石藩の祈願所にもなったと言われて
おり、山陰地方を代表する妙見信仰の総本宮として栄え」とある。
この3連休の天気はよくない。雨の間隙をぬって、なんとか登ることができたのは幸運だった。
大ナル登山口には案内板がある。
林道を少し進むと、左にキャンプ場跡をみる。この建物は管理棟だったのかな?
大ナルは、その名のとおり、大きく平らになった場所。
ここにもトタン板の廃墟跡がある。林道は終わり、右に鋭角に登山道が延びる。
大きな切り株が目立つ。かつては巨杉の山だったようだ。
中には木の名前を記した札がかかっているものがあるが、この道は「植物歳時記の道」と
して整備されたものだ。
枯死した株には、次の命が育まれている。
稜線にはブナが残っており、巨木が多い。
若いブナが育っていないのが多少気がかりだが、ベテランのブナには威圧される。
さしたる難所もなく、妙見山の山頂に到着。
もともと全方位が開けているわけではないが、この日は霧で景色は全く見えない。
なお山頂付近には、春にザゼンソウが咲く。次はその時期に来てもいいな。
北へ続く尾根道をたどる。妙見新道と呼ばれる道だ。
西側が香住町、東側が豊岡市の境界線上でもある。
人間でも座れそうな巨大なサルノコシカケを発見。
進行方向左手に作業林道が近づいてくるが、これは地形図に記載がない。
小ピークを一つ越えて、妙見峠に到着。
丁石地蔵が2体あるが、丁の数が合わない。
これから名草神社へと下る道すがら、丁石地蔵が設置されている。
妙見峠の十三丁地蔵はお顔が削られており、恐らくは廃仏毀釈の際に破壊されたのだろう。
そういう例はあちこちにある。
丁石地蔵を数えながらどんどん下る。境内の舗装道に合流すると、一丁地蔵がある。
片膝をついて座っているデザインは非常に珍しい。
名草神社は、平成22年に国指定の重要文化財に指定された。
本殿、拝殿、三重塔の3つの建物がすべて国指定文化財というのは、北近畿では
たいへん珍しいのだそうだ。
名草神社の三重塔は、それより先の明治37年に重要文化財に指定されている。
もとは島根県の出雲大社の境内に、地元の大名・尼子氏が建てたものだという。
出雲大社の「寛文の御造営」(1667年)の際、妙見山から巨木(妙見杉)を提供し、
そのお礼として出雲大社から、この三重塔が贈られここに移築された。
塔の左にあずま屋が見えるが、これはかつて「妙見の大スギ」と呼ばれた巨杉の
切り株が保存されているもの。大正13年に国指定の天然記念物になっものの、
平成3年の台風で倒れてしまった。
最後に歴史ある神社を散策でき、なぜ妙見山に巨杉の切り株がたくさん観られたのかも
納得がいった。
翌日は、天気がかなり心配だが蘇武岳に転進する計画だ。
このあと、宿泊予定の神鍋高原の民宿へと向かった。