MY LIFE AS A FOOTBALL

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

涙あふれて

2006年11月29日 | A DAY IN THE LIFE


近所の幼馴染、ヒロとテツ兄弟のお母さんが亡くなった。

オレは兄貴のヒロと同級で、
幼い頃は、いつも3人つるんで、転げるように遊んでいた。

オレんちは、親が共働きだったから
学校が終わると、そのままヒロの家に直行した。

文字通り、ランドセルのままだ。
おやつをもらい、たまに夕飯まで食った。
だから、おばちゃんはオレの“育ての親”でもあった。

兄弟の家は鉄工所だった。

当時は職人さんも大勢いたし、ジジババも健在だったし
犬やネコも何匹もいた。

だから、おばちゃんは休みなく動いていた。
そんなおばちゃんがパーキンソン病になった。

人一倍動いていた人が、自由を奪われてしまった。
自分の体が、自分の思い通りに動かないのはどんな気持ちだろう。

でも、おばちゃんは運命を受け入れ、静かに必死に生きた。
泣き言を言わず、イラつかず、投げず、最後まで生きた。

そんなおばちゃんを残し、先に旦那さんが亡くなった。
隣組のオレは、葬儀の手伝いに行った。

オレを見つけたおばちゃんが、オレのところに来た。
なんとかがんばって歩いてきて、オレの手を取り、震える声で言った

「デコちゃん、よろしくおねがいしますね」


 母から「おばちゃんが亡くなった」と聞いたとき
オレはバイクで移動の最中だった。

おばちゃんの顔が浮かび、胸がふさがった。
涙で前が見えなくなり、バイクを何度も止めた。

オレはなんにもしてあげられなかった。
ヘタレだから、声も掛けられないどころか、病気のおばちゃんを避けた。

悔やまれてしょうがないが、今さら遅い。
棺を家に運び込んだ時、おばちゃんを見た。

病気から開放され、きれいな顔で、まっすぐな姿勢で横になっていた。
おばちゃん、ごめんね。安らかにね。

 ※ おばちゃんの葬儀で、帳場を務めたオレは、
   香典帳の表紙に書く、おばちゃんの名前を間違えた。
   その上から無理から直した字は、よりいっそう汚くなった。

   ヒロとテツ兄弟に「ま、おばちゃんなら許してくれるだろ」と言うと
   ふたりは笑っていた。
   
 


バロンなドール

2006年11月29日 | 木曜日のボール

 カンナバーロ

ザマー以来、10年ぶりのディフェンダーからの選出だ。

W杯、ドイツ戦のデルピエロのゴールは、半分以上はカンナバーロのゴールだ。
もの凄い身体能力は、とんでもない体勢から信じられないクリアを可能にする。

彼とブッフォンとC・ロナウドがいれば、3人で私のチームをチンチンにできる!
えーと、ホメてるようでホメてねーか^^

ただ、レアルの白いユニフォはまだ、しっくりきていない。
アズーリではあんなに輝いていたのに・・・

でもね、カンナバーロ、175センチです。
もうね、これだけでバロンドール3個分くらいの価値があります。

ボールを持たせると何もできない、対人(ヒト)に強いだけのフィジカルエリート・・・というイタリア人DFの典型のようでありながら、典型をはるかに超えてしまった守備の天才です。


カニとシラミ  11/28

2006年11月29日 | 木曜日のボール

 クラブ・ワールドカップ・ジャパン06

うーん、“クラブ・ワールドカップ”と言われても・・・

旧トヨタ・カップね。
中南米代表は、「クラブ・アメリカ」なのね、メキシコの。

なんと、わたしの大好きなクアウテモク・ブランコがいるじゃあーりませんか。
あの“カニばさみ”で有名になった、ヘタクソのようにみえて、実はおもっきり上手いメヒコの英雄です。つまり、プレーそのものがフェイントになってるわけです^^

しかも、ツートップの左は、ピオホ(シラミ)こと、クラウディオ・ロペスです。
愛称がシラミってのも凄いですが、今どきの日本人、誰も知らねーって、シラミ^^

これ、スポルティーバ誌を見ながら書いています。
この雑誌の投稿欄が笑えるのですが、ネタにされている歴代ツートップが・・・
落合福嗣(フクシ・落合監督のバカ息子ね)と、谷柔…じゃなくて、谷亮子です。

フクシ君の言われようをほんの少し紹介しちゃおう・・・

メタボリックな少年/史上最強のニート/魔人ブー/プリン体王子・・・

個人的には、メタボリックな少年がベストです^^
少年にして中年の脂肪と思考を持つ!

んで、今や立派なメタボリック青年となったフクシ君
東海地方限定で、ピザ屋のCMに出ているらしい。信子夫人とふたりで。

“歴代デブタレントをはるかに凌ぐ、豪快かつ貫禄の食いっぷり”とある。
見たくねー?