MY LIFE AS A FOOTBALL

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

鬼滅の刃を工作

2020年06月07日 | A DAY IN THE LIFE

お隣はお弁当屋さん。

メニュー立てにと、今最も旬な三人をプレゼント。




炭治郎と伊之助の伸ばした足の裏にフックが付いていて、
メニューが立てられるようになっております。
後ろのねずこちゃんの絵は・・・なんも関係ありません。

ちなみにワタシは伊之助が好きです。 ねずこちゃんの次に^^


Kポップファンの痛快

2020年06月07日 | A DAY IN THE LIFE



バンクシーはアパートの2階で水漏れしていたら、
1階に住む黒人ではなく、2階に住んでいる白人の責任だと言った。
つまり、自分自身の問題だと。


K-POPファンたちのやり方は痛快丸かじりだ。
「Black Lives Matter」に対し、
白人至上主義者たちが使う「#WhiteLivesMatter」のハッシュタグを乗っ取ったのだ。
つまりKポップに関する投稿に、わざと#WhiteLivesMatterを付ける と。
で、差別主義者どもが#WhiteLivesMatterを検索すると・・・
なんということでしょう、そこにはKポップラブの記事が溢れてるわけです^^
詳細はローリングストーンで →https://rollingstonejapan.com/articles/detail/33992

また、自分たちの記事をトレンド入りさせない工夫もしてるらしい。
今、先決なのは「Black Lives Matter」だろう と。





「I Can't Breathe  息ができない」
この言葉には二重三重の意味がある。
フランツ・ファノンは
「革命をするのは息ができないからだ」と言った。


ポール・マッカートニーも声明文を公開した。
以下印象的な部分を引用:

1964年、ビートルズは米国のジャクソンビルで演奏することになっていました。僕たちはそこで、客席が(人種によって)分離されていることを知ったのです。そんなのは間違えている、「そんなことはしてはいけない!」と伝えました。そして、僕たちが行ったコンサートは、初めて観客が人種隔離されていないものになりました。(それ以降、)僕たちはそうすることを契約書に加えました。そんなの当然だと思ったんです。


・・・1964年か、最近じゃん(ワタシ世代にとっては)
ちなみにその1年前の1963年11月にケネディ大統領が暗殺されている。
1965年2月21日にはマルコム・Xが暗殺。
そして1968年4月4日にキング牧師が暗殺。
同年6月6日、ケネディの弟ロバートが暗殺。
銃撃直後の焦点が合っていないロバート・ケネディの顔と、
彼を抱きかかえる白い服のエセル夫人を今でもよく覚えている。


アメリカ在住の町山智浩は街に出てレポートしていた。
リモート出演していたのが藤谷文子。
スティーブン・セガールの娘さんであり、ガメラの友だちです^^
今日なごむの、ここだけです^^
よくぞあの沈黙の爆裂オヤジから、こんなキレイな人が生まれたもんだ。
お母さんが合気道道場の娘さんなんだって。
てことは、あの沈黙のオヤジ、修行にかこつけて道場主の娘を略奪したわけだ。
許せん! もう時効だけど


 

藤谷さんは最初から目が充血していて涙目になっていた。
フロイドさんの暴行死に心を痛めてる様子がありあり。
カリフォルニアに住んでいる彼女には、
当局から外出を控えるよう携帯にメールがきたそう。
コロナに加えて2重に外出自粛要請がきた と。

町山智浩はスタジオに自書きのフリップを用意。
そこには2009年からフロイドさんまで10人の名前が書かれていた、
白人警察官に殺された無実の黒人の名前だ。
40代がひとりいるだけで、8人が20代で17歳がひとり・・・
これは表面化した数で、実際はもっと多いだろう。
人種を限らずにいえば、アメリカでは1年に警察官が射殺する人間が1000人!
凄い数だ。

藤谷さんがため息混じりに言っていた。
ここ数日、行列ができていたのがガンショップだった と。


元凶トランプに対して、
かの狂犬、マティス元国防長官が釘を刺す。

「ドナルド・トランプは私の人生で初めて、米国民を団結させようとせず、その素振りさえ見せない大統領だ。その代わりに、彼は米国を分断しようとしている」


教会を訪れる際、静かに行進していた群衆を催涙弾で蹴散らかし、
大統領が歩く道を無理から作ったやり方と、
掲げる聖書を「それはあなたのものですか」と問われ、ガン無視したヤツの態度といい、
スケールとやり方の強引さの違いはあるけれど、似てない?
ウチのアベの坊やとその周辺の忖度さん達と。


たまには社会派、な僕でした。