先日、川崎市の人口が150万人を突破したというニュースがありました。「ムサコ」という大馬鹿な略称まで付けられてしまった武蔵小杉がある中原区が最も増加率の高い区となっていますが、我が高津区が2番目であるとのことです。
(単に小杉とか小杉町と言えばよいのです。武蔵小山も武蔵小金井も「ムサコ」になりますし、「むさい」というイメージまで付いてしまいます。まあ、「むさい」と言われるならば否定はしません。どうせ川崎市は「むさい」所です。生まれ育った私がこう記すのですから間違いはありません。)
その武蔵小杉に西武・そごうが出店していたそうで、こちらは今年の8月末に閉店するそうです。驚いたのは、小杉に小型の百貨店があったことです。申し訳ないことを記しますが、小杉町三丁目にイトーヨーカドーがあるからどういう土地柄かわかっているはずなのに、百貨店を出店するとは、立地調査などを十分に行っていなかったとしか思えません。小杉町で育った父から何度も聞かされましたが、中原区の商業地といえば、古くは新丸子でして、三業地でもあったのです。その後は元住吉、新城です。いずれも、高級路線からは程遠い街です。高津区も同様です。
まあ、そんなことはどうでもよいとして、本題に入ります。
先程、朝日新聞社のサイトを見ていたら、今日の18時17分付で「丸井川崎店、来年1月閉店へ ラゾーナ出店で売り上げ減」(http://digital.asahi.com/articles/ASK5M41K0K5MULOB00F.html)という記事が掲載されていました。
川崎駅といえば、西口にラゾーナ川崎プラザがありますが、幸区にある西口は(あまり表現がよくないですが)新しい街と言え、元々は東口(川崎区側)が市を代表する繁華街です。記憶に誤りが無ければ、私が小学生であった1970年代後半には西口に明治製菓や東芝などの工場があり、川崎駅には西口がなかったか、あっても申し訳程度の改札口しかなかったはずです。今の南武線のホーム(6番線)からは東芝川崎事業所(堀川町工場)への引き込み線が分岐していた程です。
しかし、2006(平成18)年、ラゾーナ川崎プラザが開業してから、西口が大きく変わりました。2014年4月11日付の「川崎駅東口のさいか屋が来年5月に閉店する、と聞いて」においてもとりあげたように、2015年5月にさいか屋川崎店が「閉店」しています(実際には大幅な縮小の上で日航ホテルに移転していますが)。昨年10月に私が川崎駅東口を歩いた時の様子は2016年10月5日付の「さいか屋川崎店(旧)の跡」で紹介しておりますが、既に小川町1番地の建物は解体工事が進められています。
マルイ川崎店は東口のルフロンにあります。1988年に開業しました。おそらく、川崎市で最初のマルイです(次が溝口でしょう)。ルフロンには川崎西武もありましたので、西側がマルイ、東側が西武百貨店であった訳です。川崎西武のほうはラゾーナ川崎プラザとは全く関係なく、1990年代に閉店しており、現在はヨドバシカメラ川崎店が入っています。マルイのほうは、1991年に169億円の売上を記録しており、繁盛していたかのようでしたが、こちらはラゾーナ川崎プラザの影響を受けてしまいました。2016年度の売上は39億円程であるとのことです。また、2008年および2011年に、上層階(9階および8階)を所有者に返却する形で売場面積を縮小していました(かつて渋谷のセンター街にあったHMV渋谷店と同じようなことを行った訳です)。今後の展開が見込めないということで、2018年1月の閉店という決断に至ったようです。
丸井が撤退した後については、何らかの策がとられることとなるでしょう。ただ、現在のところ、ルフロンの西側にいかなる商業施設ができるかはわかっておりません。朝日新聞社の記事によると「地元の商業団体などからはシティーホテルや複合商業施設などにしてほしいとの要望が出ている」とのことですが、これが長い目で見ても良い策であるか否かはわかりません。西口に客足をとられているから奪い返す、という発想が正しいかどうかを問わなければならないでしょう。「食うか食われるか」では、結局、どちらも食われて終わるしかないかもしれません。共存を考えるべき時でしょう。
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