少し前の話になりますが、朝日新聞2020年7月31日付朝刊1面14版△に「景気拡大 戦後最長届かず 71カ月間 18年10月で終了」、同朝刊7面13版Sに「問われる政府の景気認識」という記事が掲載されました。
内閣府に置かれている景気動向指数研究会という有識者会議が行った議論を基にして、同府が7月30日に発表したところによると、景気拡大は2012年12月、つまり第二次安倍内閣の発足の月に始まり、2018年10月に終わって翌月からは後退局面に入ったということです。しかし、政府は2019年1月に、上記朝日新聞1面記事の表現を借りるならば「今回の景気拡幅は戦後最長になったとみられる」と発表していましたし、今年の2月になっても「景気は緩やかに回復している」としていました。景気拡大が好景気を意味するという訳ではないのですが、それにしても政府の発表は何なのかと思わされます。
これまでの景気拡大の最長記録は「いざなみ景気」で73か月間(2008年2月まで)です。その時も好景気と言えるのか言えないのかわからないような状態でした。71か月間で終わったという今回の景気拡大は、ともすれば「いざなみ景気」よりも良いというような表現がなされたように聞こえていたので、頭に疑問符が浮かんだのです。
実は、私が「?」と思ったのは2019年12月12日に自由民主党と公明党がまとめた令和2年度税制改正大綱を読んだ時です。同月、私も執筆者の一員である石村耕治編『税金のすべてがわかる現代税法入門塾』〔第10版〕の改訂作業のために令和2年度税制改正大綱を入手し、読んでみました。すると、令和元年度税制改正大綱(2018年12月14日)まで、少しばかり形は変わりつつもほぼ同じような表現で始まっていた文章が消えていたのです。
長らく、私は地方自治総合研究所の地方自治立法動向研究というプロジェクトに参加しており、主に地方税財政関係の法律を対象として研究をしてきました(その結果については同研究所が発行している「自治総研」などを参照してください)。こうした事情があるため、少なくとも第二次安倍内閣の発足以来、与党がまとめる「税制改正大綱」、および政府がまとめる「税制改正の大綱」を入手し、読んでいます。
令和元年度税制改正大綱は、「第一 平成31年度税制改正の基本的考え方」を次のような文章で始めています。
「安倍内閣は、これまで、デフレ脱却と経済再生を最重要課題として取り組んできた。アベノミクスの推進により、生産年齢人口が450万人減少する中においても、経済は10%以上成長し、雇用は250万人増加した。賃金も2%程度の賃上げが5年連続で実現しており、雇用・所得環境は大きく改善している。」
少し遡り、平成30年度税制改正大綱(2017年12月14日)の「第一 平成30年度税制改正の基本的考え方」を見ると、次のような文章で始まっています。
「安倍内閣はこの5年間、デフレ脱却と経済再生を最重要課題として取り組んできた。雇用は200万人近く増加し、正社員の有効求人倍率は調査開始以来初めて1倍を超え、賃金も2%程度の賃上げが4年連続で実現するなど、雇用・所得環境は大きく改善している。」
こうして並べてみると、税制改正大綱の冒頭に安倍内閣の目標と成果が示されてきたことがわかります。これは平成27年度税制改正大綱から平成31年度税制改正大綱まで続いた傾向です。また、「デフレ脱却と経済再生」という目標は平成26年度税制改正大綱から掲げ続けられています。年によって課題が書かれていることもありますが、最初に成果を記している点では同じです。
しかし、令和2年度税制改正大綱の「第一 令和2年度税制改正の基本的考え方」においては、これまで冒頭にあった「安倍内閣は……」という記述がありません。「デフレ脱却と経済再生」も冒頭になく、「雇用・所得環境も大きく改善している」という記述もありません。大綱がまとめられた2019年12月の時点において景気動向がおぼろげながらであるとしても理解されていたのか、それとも景気拡大が係属しているという意識の下にあったのかはわかりませんが、内閣の成果の誇示が消滅したことに違いはありません。もとより、2019年10月に消費税・地方消費税の税率引き上げがなされており、それから少し経って景気の後退が報じられていた頃ではありますから、消滅の理由もそこに求められるかもしれません。それにしても、2019年9月まで「雇用・所得環境は大きく改善した」という成果(があったどうかはわかりませんが)くらいは記せるでしょう。しかし、2019年12月の時点で「雇用・所得環境は大きく改善した」という記述が消えたということは、少なくとも一部の関係者の間では既に景気拡大が終了していたことが認識されていたのではないか、という疑念を呼び起こします。
令和2年度税制改正大綱は「令和の時代において人口減少と少子高齢化が一層進む中にあっても、直面する様々な課題を克服し、豊かな日本を次の世代へと引き渡していかなければならない。このためには、社会保障をはじめとした諸制度を人生100年時代にふさわしいものへと転換するとともに、海外初の経済の下方リスクの顕在化には適切に備えつつ、Society 5.0の実現に向けたイノベーションの促進など中長期的に成長していく基盤を構築することが必要である」という文章で始まります。この前に、本来であれば「安倍内閣は、(中略)雇用・所得環境は大きく改善している」という文章(あるいはそれに似た文章)があったのではないかという推測は成立するのではないでしょうか。
もう少し読み進めると、2頁の下の方に「安倍内閣は、これまで、経済財政なくして財政健全化なしとの方針の下、デフレ脱却に取り組むとともに、全世代型社会保障への転換とその安定財源の確保のための消費税率10%への引上げを経て、財政健全化に大きな道筋をつけてきた」という文章があります。真贋などについての評価はともあれ、ここでようやく「安倍内閣」が登場するとともにデフレ脱却が登場します。ただ、「財政健全化に大きな道筋をつけてきた」ことが真実であったとしても、それが成果であるとは言えないでしょう。「雇用・所得環境は大きく改善した」は何処へ行ったのでしょうか。何かがあったことを暗示しているのではないでしょうか。
上記朝日新聞7面記事では、2018年10月が「米中の通商対立が深まった時期」であり、「世界経済の減速への懸念から日本では輸出や生産の停滞感が強まり、台風災害などの影響もあった」ことが指摘され、その上で、「過去の好景気に比べ国内総生産(GDP)や家計への波及は鈍く、手応えの弱さも言われ続けてきた。この間の実質成長率は平均年1.1%程度。非正規雇用の人が増える中で、実質賃金の伸びはマイナス0.5%と振るわなかった」と評価されています。2018年10月から景気の後退が始まっていたとすれば、2019年10月の消費税・地方消費税の税率引き上げは妥当でなかったという結論に至るでしょう。これは、単純に過去のことを責めるような話ではありません。過去2度の税率引き上げ延期はリーマン・ショック級のリスク云々が内閣から言われていましたし、景気、様々な経済指数などを総合的に判断して実施か延期かを決めてきたはずです。2018年10月に景気拡大が止まっていたということであれば、2019年10月の税率引き上げの根拠のうちのいくつかは存在しなかったことになります。単純な判断の誤りなのか、それとも統計などに誤りまたは虚偽があったのか、ということにもなるでしょう。実際に、上記朝日新聞7面記事における第一生命経済研究所の永浜利広氏による「政府が恣意(しい)的に判断をねじ曲げていると疑われる可能性があることも認識すべきだ。米国のように民間研究組織に景気の転換点の判断を任せることも一案だ」というコメントは、もりかけさくらを鮮明に思い起こさせるだけに、留意しておく必要があるでしょう。
また、「実質成長率は平均年1.1%程度」、「実質賃金の伸びはマイナス0.5%」という数字は、景気拡大という表現に相応しいのでしょうか。
今日(8月6日)、たまたま日刊ゲンダイのサイトを見たら、高野孟さんが「民主党政権にも及ばなかった『戦後最長の景気拡大』の嘘」というコラムを書かれていました。高野さんも、景気拡大と言いながら「この期間の経済成長率は年平均1.2%程度となり、高度成長期のいざなぎ景気(65~70年)の11.5%、バブル景気(86~91年)の5.3%を大きく下回るのは当然としても、安倍晋三首相が『悪夢』と呼んでやまない民主党政権時代(10~12年)の1.6%にも及ばないことが明らかになったということでもある」と書かれています。
おそらく、高野さんも御存知であると思いますが、安倍内閣発足後よりも民主党政権時代のほうが経済成長率などの数字が良かったということは、明石順平『アベノミクスによろしく』(インターナショナル新書、2017年)においても述べられていました。今、この本が手元にないので引用などはできませんが、GDPの算出基準改定などにおいて統計操作に近いようなことが行われていたと明石さんが指摘されていたと記憶しています。雇用についても同様で、非正規雇用者が増えたから有効求人倍率が伸びたのであるという趣旨が書かれていたはずです。このような指摘は明石さんだけでなく、浜矩子さんなど、少なからぬ識者からなされています。コロナショックが実態を明らかにするのかもしれません。
令和2年度税制改正大綱を初めて読んだ2019年12月から私の頭の中にあった、漠然とした疑念が、多少とも具体的になり、かつ大きくなっていきます。
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