朝日新聞社のサイトに、2023年4月19日9時30分付で「若者たたきに使われた『草食男子』 生みの親・深澤真紀さんの反省」(https://digital.asahi.com/articles/ASR4K4FD6R4KUPQJ008.html)という記事が掲載されていました。
この見出しを目にした瞬間に、申し訳ない表現で炎上を覚悟しておきますが「波平女子」という言葉が浮かびました。あるいは「波平男子」でもよいでしょう。波平とは、いうまでもなく、長谷川町子さんが生みだした名作漫画「サザエさん」の登場人物です。オリジナルの四コマ漫画ではどうであったか知りませんが、アニメ版では「今の若い者は……」というようなフレーズを口にする親父さんです。少し気の強い人であれば、「そんなことを言っちゃってるけど、あんたはそんなに立派だったのかい?」と問い返したくなりますね。簡単に、自分の印象だけでレッテルを貼るところが浅はかですから。後に示すように、深澤さんには若者論を語る意思はなく、むしろ若者論に対する嫌悪があったのでしょう。その意味では「波平女子」とは対極的な位置にあります。しかし、結果的にはレッテル貼りと変わりがなくなってしまいました。従って、「草食男子」という言葉は世にはびこる「波平女子」や「波平男子」の増殖などを助けたものと評価することができるでしょう。
今年の半分を少しすぎた時に55歳となる私は、ますます若者から遠くなる世代に属していますし、波平になってもおかしくないのかもしれませんが、そうなりたくないと思っています。このブログでも時々登場する植草甚一氏のエッセイなどからの影響かも知れません。「植草甚一スクラップ・ブック」に掲載されている文章には、植草氏が若者論を語ることを嫌っていたことが明確に記されています(何巻のどの文章かを覚えていませんので、御教示いただければ幸いです)。何せ、年寄りは若者に学ぶべきであるという趣旨のことを書かれていたくらいです。
そもそも、草食男子という言葉は、私が最初に聞いた時から意味がわからないものでしたし、あまりにも軽い感じでした。草食、肉食と対比されていましたが、動物と比較するにしても単純にすぎて非科学的にすぎます(これは「残念すぎる……」という表現にも妥当します。科学的思考が身についていないのでは?)。NHKの動物番組でもよく見ておかれたほうがよいでしょう。
深澤真紀さんについては、私と(ほぼ)同世代であるということ以外によく存じ上げませんが、自分が発した言葉がどのように理解されるかということをよく考えておられなかったのではないでしょうか。「草食男子」は、数ある政治家の失言以上に、否、それをはるかに超えて、世に悪影響をもたらした言葉でもあり、最初に「草食男子」という言葉を発した人が、言葉の重さを自覚されていなかったということです。
私自身も新聞や雑誌のコメントを求められたことがあり、そこで私が込めた意味の何割かしか取り入れられなかったことがあることを記憶しています。そのことをわかった上で書きましょう。あまりに軽い、と。
上記朝日新聞社記事には「褒め言葉であったはずが・・」という中見出しが付された上で「『草食男子』という言葉の生みの親は私です。女性をもののように扱うのではなく、リスペクトし、対等な関係を結べる下の世代の男性たちに向けた褒め言葉でした。しかし、結果的には若者たたきに使われてしまった。そのことを、今も申し訳なく思っています」、「きっかけは、2006年のウェブメディアでの連載でした。その頃、高度経済成長やバブルの追い風で成功できた世代が、『若者はけしからん』と言い始めた。この世代の人たちは『俺たちに比べて、今の若者は』と言うけれど、下の世代の人たちは氷河期もあり、社会が守ってくれなかった。『何を言っちゃってるんだろう』と思って始めた若い世代の男性を分析する連載の中で、『草食男子』を書きました。軽い気持ちで、最初のうちは大して話題にもなりませんでした」と書かれています。
深澤さんも、軽さについて或る程度は自覚していたのでしょう。しかし、草食という言葉から容易に「女性をもののように扱うのではなく、リスペクトし、対等な関係を結べる」と連想できるでしょうか。洒落なり捻りなりが効いている訳でもなく、説明されなければ意味がわからないからです。私自身の経験からすれば、「説明されなければわからない」ことは、往々にして「説明されてもわからない」ということにつながります(悲しい現実ですが)。
そういう言葉であれば、御本人が込めた意味とは全く違うように理解されるようになるのは時間の問題であったことでしょう。上記朝日新聞社記事には「草食男子」が「『モテない原因』のような文脈で、女性誌にとりあげられました」、「『酒も飲まない、車も買わない若い男たち』ということにも使われ、少子化まで『草食のせい』。モテない、物が売れないといったことへの腹いせのような『だれかをたたきたい』というニーズに、草食男子はぴったりはまってしまったんです」と書かれています。単純に、軽さの故でしょう。いかに御本人が「草食男子」の本来の意味を説明されようとも、イメージが湧かないような言葉では無駄であったはずです。軽いから、若者論にこそピッタリな言葉であるということにつながりました。
おそらくは悔悟の念からでしょう、記事には「メディアの中の『こういうのが喜ばれる』という先入観は、視聴者や読者をなめているように私には見えます。分かりやすい言葉に飛びついたり、若者だけでなく『被災者とはこういうものだ』という一面的な描き方をしたりする傾向が強まっているのではないでしょうか。メディアは社会が抱える複雑さに目を向け、声を聞き続けなければいけない。複雑さを諦めてはいけないんです」と書かれています。その通りではありますが、仮にも言論の仕事に従事するという者であれば、最初から踏まえていなければならない心構えでしょう。この態度がなければ覚悟がないことにもなりますから、そのような人が先入観だの何だのとメディアを批判する資格はありません。世の多くの人は、勿論、この文章を記している私もですが、言葉を聞けば複雑さを避けて単純なほうに向かいます。例えば、最近では使われなくなっていますが、優性遺伝、劣性遺伝という用語も、少なくとも日本では、本来の意味とは全く異なるものとして人口に膾炙しました(大袈裟な表現かもしれません)。論語に由来する豹変もそうです。意味は異なるかもしれませんが、日本でしか通用しない似非科学(?)である血液型性格判断(あるいは占い)にも、本来の科学的意味からかけ離れた言葉の使い方として理解することもできます。草食、肉食という言葉と共通する点がうかがわれるのです。また、「草食男子」という言葉の不幸は、21世紀に入ってから顕著になったワンフレーズ政治の経験なり反省なりを踏まえていなかったことにも由来するのでしょう。
或る意味で救われるのは、深澤さんが「ラベルを付けるというのは、たとえ褒め言葉だったとしても、他者を制圧し、社会を支配する行為です。自分がつくった世界に、他者を押し込めてしまう。草食男子は、私の中の雑な支配欲の表れでもあった」と述べている点です。ここが、「コメントプラス」として付されているマライ・メントラインさん、田中俊之さん、辛酸なめ子さんのコメントが評価するところでしょう。しかし、私には、いずれも、的外れと言える点もあり、全体的に甘いコメントと言わざるをえません。一度口に出された、あるいは書かれた言葉が多くの人にとってどのように捉えられることになるのかという視点が稀薄である(少なくとも、不十分である)とも感じられるからであり、言葉の軽さについての言及が必要であったからです。勿論、言葉の重さと軽さは永遠の問題でもありますが、深澤さん自身の言葉からも受け取られるように、単純なレッテル貼りにつながりかねない言葉を安易に使用することの問題点が浮かび上がります。
以上のようなことを記したのは、私が法学者の端くれであるからでしょう。大学院時代の恩師である新井隆一先生から、私は何度となく「法律学は言葉の学問である」という指導を受けました。大学で法律学の講義を担当し、研究を重ねる毎に、言葉の意味なり使い方なりの重要性を実感するようになっています。
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