ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

映画の舞台にもなった一畑電車

2013年04月21日 13時22分14秒 | 写真

 4月も下旬となっているのに、今日は寒いですね。

 8時に、うちのベランダに温度計を置いてみたら、5度しかありません。「今、何月だっけ?」とカレンダーを確認してしまいました。18日の午後には「暑い!」というくらいの陽気だったのに、19日、20日、そして今日、気温が低い日が続いています。

 これでは体調を崩してもおかしくありません。気をつけなければ。

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 さて、今回は島根県を走る一畑電車を取り上げます。持株会社である一畑電気鉄道の子会社で、自動車社会の進展などによる乗客の減少により、存続が危ぶまれた時期もありました。1990年代に当時の運輸省が欠損補助金の見直しを表明した際に、この山陰の小私鉄の他、和歌山県の野上電気鉄道や宮城県の栗原電鉄なども欠損補助金に多くを頼っていたため、存続か廃止かの岐路に立たされました。野上電気鉄道は路線の廃止、さらに会社の解散を選択しましたし、栗原電鉄は第三セクターのくりはら田園鉄道に移行しました(2007年4月に路線廃止、会社解散)。一畑は地元自治体の支援を受けて存続しましたが、会社再編などが行われていますし、乗客の減少は現在も続いています。

 私が一畑電車を利用したのは、2010年8月1日のことです。当時、大東文化大学法学部法律学科の主任で、米子市と松江市での仕事が入り、初めて山陰地方に足を踏み入れました。前日に米子市で仕事をして、松江市に入りました。1日の午前中で業務が終わったので、せっかくだから出雲大社へ行こうと考えたのです。

 松江市から出雲大社へ行くにはいくつかの方法があります。最初はJR山陰本線に乗り、出雲市駅へ向かうことも考えました。しかし、本数が少ないのが難点です。また、仕事をした場所は松江駅から少し離れています。そこで、一畑電車北松江線の松江しんじ湖温泉駅に向かいました。

 名称の通り、すぐ近くに温泉がありますが、松江市役所の最寄り駅ともなっています。

 この駅は元々が北松江といい、松江温泉に改称された後、現在の駅名となっています。北松江線はこの駅から電鉄出雲市駅までの路線なのですが、時刻表を見ると松江しんじ湖温泉→電鉄出雲市の列車番号が偶数、電鉄出雲市→松江しんじ湖温泉の列車番号が奇数となっています。つまり、松江しんじ湖温泉→電鉄出雲市が上り電車ということになります。山陰本線であれば松江→出雲市は下りですので、逆になっている訳ですが、これは大正時代に電鉄出雲市側から開通し、昭和に入ってから松江しんじ湖温泉まで開通したという歴史的な事情によるもののようです。

 それにしても、JR松江駅から離れているというのは不便です。ここに一畑電車が抱える問題の原因の一つがあるように思えます。JR松江駅が宍道湖の南、松江しんじ湖温泉駅が宍道湖の北にあるという地理的な要因があることはわかりますが、もう少し東へ伸ばせば宍道湖の東端から大橋川となりますので、川を渡ってJR松江駅に接続できたでしょう。あるいは、松江城など市の中心部に入り込めたら、事情は変わっていたかもしれません。松江しんじ湖温泉駅も市街地の中にあると言えるのかもしれませんが、西の外れと言ってもよい場所にあります。

 ともあれ、上り電車の電鉄出雲市行きに乗ります。出雲大社への直通電車もあるのですが、本数が少なく、私が松江しんじ湖駅に到着した時には、乗ることができなかったのでした。そのため、出雲大社へ行くためには途中の川跡で大社線に乗り換える必要があります。

 上の写真は5000系です。外見ではわかりにくいのですが、私が学部生であった時代に京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)京王線で走っていた5000系でした。内装も変えられていますが、京王線を走っていた頃の雰囲気は少々残っています。なお、同じ京王5000系でありながら2100系は全く外観が異なっており、京王時代の雰囲気が残っています。

 そう言えば、山陰本線の伯耆大山~西出雲が電化されるまで、島根県内の国鉄・JR線には電車が走っておらず、当時の一畑電気鉄道の各路線でしか電車を見ることができなかったのでした。

 松江しんじ湖温泉から出雲大社までは1時間ほどかかります。単線で、宍道湖の北側を走りますが、カーブも多く、速くありません。

 途中の一畑口ではスイッチバックをします。これは、一畑口から、一畑薬師に近い一畑駅までの路線があったことによるもので、戦争中に一畑口~一畑が休止され、後に廃止されてからも、スイッチバックは残ったままです。

 川跡駅で大社線に乗り換えます。やはり単線で、北側に山地を見ながら進むと、終点の出雲大社前駅に到着します。名称の通り、有名な出雲大社の最寄り駅です。かつてはJR大社線の大社駅もありましたが、1990年3月31日を最後に営業を終了しています。これは、大社線そのものが赤字ローカル線であり、国鉄からJR西日本に承継された後、1990年に廃止されたためです。なお、出雲大社に近いのは、立派な駅舎を有することで有名であったJR大社線の大社駅ではなく、一畑電車の出雲大社前駅です。

 2番線に3000系が止まっていました。車体にはかなりの傷みも見られます。それもそのはず、元は南海高野線を走っていたズームカー 、21001系で、昭和30年代に製造されたものなのです。南海時代とは全く異なる塗装を施されており、また、「しんじ湖ラムサール号」と書かれたヘッドマークをつけています。正面から見て左側の窓に「急行  松江温泉」という方向板(サボ)を掲げていますが、客を乗せていません。「松江温泉」は松江しんじ湖温泉駅の旧称です。

 京王5000系は1963年から69年まで製造された車両ですから、たとえ最後に製造されたものであるとしても44年が経過しています。50年前後と考えてもよいでしょう。南海21001系は1958年から1964年まで製造された車両なので、ほぼ確実に50年を経過しています。外見から老朽化が手に取るようにわかるくらいですから、そろそろ引退すべき時期に来ています。今後、東急の中古車(系列は不明)などを導入し、車両の置き換えをするようです。昨年廃止された十和田観光電鉄線を走っていた7700系あたりが手頃ではないかと思うのですが、果たしてどうなるのでしょうか。

 一畑電車の出雲大社前駅の駅舎は、国の登録有形文化財に登録されており、近代化産業遺産の指定も受けています。ここから少し離れたJR大社駅も、駅舎が残されており(観光案内所として利用されています)、重要文化財にも指定されていますが、造りは全く異なります。JR大社駅の駅舎は出雲大社を模したものといわれており、木造です。これに対し、一畑電車の出雲大社前駅の駅舎は西洋建築となっています。

 多くの中小私鉄と同様に、一畑電車もワンマン運転を実施しており、また、多くの駅には駅員がいません(つまり、無人駅です)。出雲大社前駅は、一畑電車でも数が少ない有人駅、つまり、駅員が配置されている駅です。

 駅舎の中に入ると、左側に改札口と窓口があり、自動券売機も置かれています。天井が高いので見上げてみると、天窓のガラスに色が付けられています。教会のステンドグラスをイメージしたものなのでしょうか。左右で同じ色のガラスが使われていますが、配置は非対称です。 この天窓のおかげで駅舎の中は明るいため、ガラスの配置には何らかの意味があるのかもしれません。

 時折、大型家電店やホームセンターへ行きます。照明器具を見ることもあります。上の写真にあるような照明器具を見たような記憶もありますが、よくわかりません。それにしても、この建物の屋根によく合う形をしています。

 松江しんじ湖温泉から一畑電車に乗り、この出雲大社駅にやってきたのは、勿論、出雲大社へ行きたかったからです。駅から5分ほど歩くと、出雲大社の入り口に着きます。意外だったのは、参道の人通りがあまり多くなく、店舗も少なかったことです。訪れたのが8月1日(日曜日)の午後で、たしかに初詣の時期ではないので、当たり前かもしれません。しかし、それにしても閑散としていました。太宰府天満宮を訪れると、季節を問わず参拝客や観光客が多いので、それに慣れてしまっているからかもしれません。


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