このブログでは、日本における社会問題の一つとして公共交通機関(とくに地方の私鉄路線)を取り上げています。首都圏でこの種の問題が特に多く見られるのが千葉県です。現在はいすみ鉄道となっている旧国鉄木原線は第一次特定地方交通線で、第三セクターへの転換後も苦しい経営を強いられたことは周知の事実ですし、千葉急行電鉄が経営破綻を起こして路線が京成に移管され、千原線となったことも有名です。また、千葉都市モノレールの経営状態もよくないようで、特に1号線の利用客が少なく、バスさらには徒歩にも負けているような状態です。他に、運賃の高いことでは有名な北総鉄道と東葉高速鉄道もあります。
その千葉県で最も世間の耳目を集めたのが銚子電気鉄道でしょう。長らく赤字経営が続き、施設の老朽化もひどく、国土交通省から改善命令を受けています。そして「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。」という、身も蓋もないようなフレーズを公式サイトに掲載したのも記憶に新しいところで、嘘か本当か知りませんが『現代用語の基礎知識』にも掲載されたそうです。
一時、ぬれ煎餅を副業としてまた話題となった同社ですが、最近はどうなっているのかと思っていたら、昨日(2月1日)の23時32分付で、朝日新聞社が「銚子電鉄、自主再建を断念 副業『ぬれ煎餅』健闘及ばず」(http://digital.asahi.com/articles/TKY201302010450.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_TKY201302010450)として報じていましたのを見つけました。ちなみに、今日の時点で銚子電気鉄道の公式サイトにはこの件について何も書かれていません。
地方の私鉄には大手私鉄や都内のバス会社(国際興業など)の系列となっている会社も多いのですが、銚子電気鉄道は、1960年までどこの系列にも属さなかったようです。昭和30年代に早くも苦境に陥り、廃止される可能性も高まりました。1960年に京成系である千葉交通の経営権の下に置かれました。1990年、内野屋工務店の傘下に移りました。しかし、この内野屋工務店の社長による横領事件(銚子電気鉄道名義の借金を重ねた)が発生し、内野屋工務店は破産、銚子電気鉄道は金融機関からの借り入れができなくなり、千葉県や銚子市からの補助金も停止されてしまいました。これでは資金調達ができず、会社の運営は危機的状況になります。そこで先のフレーズが登場した訳です。これでぬれ煎餅がの売り上げが急上昇し、電車の整備費用も捻出できました。
しかし、ぬれ煎餅はインターネットによるブームで広がっただけに、衰退も早かったようです。それ以上に深刻なのが本業のほうで、乗降客数の減少は止まっていません。上記記事によると、2010年度の利用客はおよそ62万人でしたが、2011年度には47万人となっています。2011年3月11日の東日本大震災が決定的打撃となりました。あまり報じられていませんが、実は千葉県でもこの地震による被害が発生しています。銚子市がどうであったのかはわかりませんが、銚子電気鉄道の路線には直接的な被害がなかったようです。しかし、観光客が減り、ぬれ煎餅の売り上げも墜ちているそうです(それでも3億5000万円ほどの売り上げはあったようです)。
乗客数の減少と反比例するような形で増えると思われるのが、車両、変電所などの施設にかかる費用です。長らく経営が苦しい会社でしたので、変電所の老朽化も深刻でしょう。乗ったことがない(そもそも銚子へ行ったことがない)のでよくわかりませんが、線路や路盤にも問題はあるものと思われます。
そして車両です。他のローカル私鉄と同じく、銚子電気鉄道ではここ20年ほど、中古車を導入し続けています。
まず、1994年、当時の帝都高速度交通営団から銀座線で走っていた2000系を購入し、1000形としています(但し、営団の他の車両や富士急行の車両の機器を流用しています)。実は、この車両は日立電鉄(2005年に鉄道線を廃止。現在は解散)に譲渡されるはずであったものが、同社の計画の見直しによって導入両数が減り、その減らされた分が銚子電気鉄道に入ってきたものです。2000系は1959年から1964年までの間に製造されていますので、既に半世紀が経過していることになります。
次に、2009年、四国の伊予鉄道から800系を購入し、2000形としています。元を辿れば1960年頃に製造された京王2010系で、1984年と1985年に伊予鉄道に譲渡され、冷房化改造を受けています。従って、この車両も製造から既に半世紀が経過していることとなります。導入だけを見れば中古車のほうが安上がりでしょうが、整備となると話が変わってきます。部品の問題が大きいからです。
銚子電気鉄道では、今後、車両や変電所などの整備には5年間で6億円ほどの支出が必要になると見込んでいます。そのために、自主再建を断念したようです。
既に昨年12月の段階で、会社は銚子市や北川財団に支援を要請しています。その上で再建策をまとめるようですが、前途は厳しいと考えられます。銚子市が支援するかどうかが大きなポイントとなるでしょう。
銚子市と言えば市立病院問題があります。公立病院の状況はどこも厳しいのですが、2008年にはこの病院の運営が中止されてしまいます。市長がリコール請求に基づく住民投票の結果により失職するという事態まで発生しました。2009年に運営が再開されますが、赤字運営であることに変わりはなく、銚子市議会で市立病院の赤字への補填を内容とする補正予算案が否決され、再議がなされますがまた否決され、結局は市長が原案執行権を行使しました(地方自治法第177条第2項によります)。
市立病院問題への関心は、おそらく、銚子市の行政も銚子市民も、銚子電気鉄道の経営問題への関心より高いでしょう。銚子市は、経営問題を理由として銚子電気鉄道への補助金の支出を打ち切っています。人口も減少しています。要請された支援の内容にもよりますが、銚子市が消極的な態度を見せる可能性は高いと思われます。そうなると、鉄道路線の廃止の可能性も出てくるでしょう。
余談ですが、この鉄道の歴史を見ると、最初から苦しい経営を強いられることが運命付けられているようにも見えます。1913年、銚子から犬吠まで、銚子遊覧鉄道が開業します。ところが、わずか4年後の1917年、赤字のために廃線となってしまいます。その5年後、今度は銚子から犬吠の一つ先の外川まで、現在の銚子電気鉄道の路線が開業します。銚子から犬吠までは、銚子遊覧鉄道の跡に再び線路を敷いたそうです。
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