ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

古い写真で恐縮ですが

2014年11月20日 23時57分25秒 | 写真

 (以下は、「待合室」の第115回「湯布院町の金鱗湖など」として、2004年10月15日から22日まで掲載したものを基にしています。)

 大分大学に勤務していた時に最初のデジタルカメラ(SONY Cyber-shot DSC-P5)、一眼レフのアナログカメラ(Nikon u-silber)を購入しました。それまで、私は写真撮影を趣味としていなかったのですが、それでも、時折、気が向けばどこかへ行くときにカメラを持っていきました。時折、以前撮影した写真を見返したりしていますが、その中に湯布院町の様子を撮影したものが数枚ありました。今回掲載する写真は、まだ私がデジタルカメラも一眼レフも所持していなかった頃に撮影したものです。

 1999年9月4日(土)、何となくどこかへ行きたくなり、自転車で久大本線の南大分駅まで走りました。当時の自宅から3キロメートルほどでしょうか。大分大学に就職してからしばらくの間、私は、5キロメートル以上離れた大分駅まででも自転車で行っていたほどでした。何故、南大分駅へ行ったのかと尋ねられても、何となく、としか返事のしようがありません。ただ、あの駅の構造自体が面白く、気になっていました。交換駅なので1番線と2番線があるのですが、当時はホームの中央に線路に出る段があり、乗客は線路の上を渡って反対側のホームへ行くのです。他の駅なら跨線橋がありますが、南大分駅にはありません。しかも、列車はこの段のすぐそばに停車するのです。よくぞ人身事故が起こらないものだと感心していたのです。

 南大分駅から列車に乗り、由布院で降りました。向之原からは、勾配のためか、ディーゼルエンジンの音が高らかな割には速度が出ず、自家用車などに抜かれます。1時間ほどで由布院駅に着きます。

 由布院駅は由布市にあります。所在地そのものは1925年の開業時から変わっていないようですが、駅名と所在市町村については何度かの変遷を経ています。

 まずは駅名ですが、開業時は北由布と称していたそうです(隣の駅が南由布です)。1950年、現在の由布院に改称されます。

 次に所在市町村です。由布院という駅名は当時の由布院町に由来するのですが、1955年、由布院町と湯平村が合併し、湯布院町が成立します。しかし、駅名は由布院のままでした。南由布の隣が湯平で、こちらは村名がそのまま駅名として残りました。意図的に残したのか、改名に手間がかかるから残しただけなのかはわかりませんが、合併前の名称がそのまま残った訳です。

 そして2005年10月1日、大分郡の挾間町、庄内町および湯布院町が合併し、由布市が成立します。平成の市町村合併の一例ですが、合併後も前の市町村名を地名として残しておく事例も多く、由布院駅の所在地も由布市湯布院町となっています。

 さて、この由布院駅ですが、久大本線しか通らず、一日平均で800人台しか利用がない駅である割には立派な駅舎です。1990年に完成した駅舎であるとのことです。変わっているのは、改札口がないという点です(見間違いか何かかもしれませんが、そのように見えます)。また、女性に人気の観光地であるためか、男性用トイレがつぶされて女性用トイレが拡張されたという話もあります。現在はどうかわかりませんが、写真では右側のほうから観光用の馬車が出ていました。

 この頃、久大本線には客車列車がありました。寝台特急などを別として、普通列車では気動車や電車に変更される例が多く、1999年の秋、客車列車は、日本全国でもこの久大本線と、鹿児島本線の門司港から折尾を経由して筑豊本線の飯塚まで、筑豊本線の若松から飯塚まで、計2往復しか見られなかったはずです。久大本線には、当時、写真のDE10が12系客車を牽引する列車が数往復ありました。また、同年の12月に気動車に置き換えられ、鹿児島本線(門司港~折尾)・筑豊本線(若松~折尾~飯塚)だけとなりました。2001年10月5日まで、DD51が50系客車を牽引する姿を見ることができたのですが、筑豊本線の折尾から桂川までが電化されたことにより、廃止されました。

 上の写真と同じ列車です。1999年12月4日を最後に久大本線から客車列車が消えましたので、いまや貴重な写真、と言えるかもしれません。左奥に見えるのが特急ゆふ3号のキハ185系で、元々はJR四国の車両です。特急が発車してしばらくしてから、普通列車が大分へ向けて発車します。

 私は、この列車に乗って帰りました。スハフ12は回転クロスシートでしたが、オハ12が固定クロスシートで、座り心地はよくありません(首都圏を走る私鉄のロングシートの電車のほうがよほどましです)。ドアが閉まってから発車するまで少し時間がかかり、しかも速度はかなり遅いのです。南大分駅まで、気動車で最短で1時間もかからないくらいなのですが、この客車列車は1時間以上もかかりました。これでは、客車列車がなくなっても仕方がないでしょう。

 南大分駅で降りてから、しばらく、周辺をまわりました。大分大学に勤めていた時は、よく、羽屋のあたりを通り、明屋書店に寄っては雑誌などを買ったものです。 ただ、あまりに慣れ親しんだ所でもあるため、写真はありません。


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