(2010年12月4日、2010年12月10日、2010年12月16日および2010年12月22日掲載。2010年12月26日、統合、一部変更の上で再掲載。2013年4月11日、「ひろば」に移行。)
かつて、日本は、少なくともエネルギーの一部について自給国でした。近代産業革命の原動力となった石炭は、日本においても工業生産の発展の原動力となりました。しかし、第二次世界大戦後、エネルギー政策の転換により、日本は石炭の採掘をやめていきます。石油に比べて熱効率などの点で悪いから、ということなのでしょう。自動車などの生産の発展は、石油に切り替えたからこその話であり、石炭中心ではそもそも起りえなかったでしょう。その意味では、石炭から石油への転換は必然的でした。
しかし、石炭からの離脱により、いくつもの市町村が衰退していきました。とくに北海道と九州北部には多くの炭鉱がありましたから、炭鉱で栄えた市町村は急激に衰退していきます。北海道では、夕張市周辺、釧路市など、1980年代、1990年代、さらには21世紀に入っても石炭の採掘が行われた地域も少なくありません。これに対し、九州北部での炭鉱の閉山は早い時期に集中しています。その中で、福岡県大牟田市、同県みやま市、熊本県荒尾市にまたがる三井三池炭鉱では1990年代まで採掘が行われ、1997年3月に閉山しました。その後、急激に街は衰退していきます。
「別室9」では、その大牟田市にある大牟田駅から新栄町駅までを2007年9月8日に歩き、目にした様子を「大牟田駅から新栄町まで歩く」と題して紹介いたしました。元は第234回(その1、2007年10月21日掲載)、第235回(その2、2007年10月28日掲載)、そして第236回(その3、2007年11月4日掲載)です。
それから3年後、2010年9月5日、私は再び大牟田市を訪れました。今回は「再び、大牟田駅から新栄町まで歩く」と題し、第392回(その1、2010年12月4日掲載)、第393回(その2、2010年12月10日掲載)、第394回(その3、2010年12月16日掲載)および第395回(その4、2010年12月22日掲載)として、写真とともに状況を紹介しました。別室9の続編という内容でもあるため、今回、まとめて若干の修正を加え、別室21として掲載することといたしました。
私が集中講義を最初に担当したのは、2003年8月、熊本県立大学総合管理学部の「財政法」です。その翌年、つまり2004年に大分大学教育福祉科学部から大東文化大学法学部に移り、西南学院大学での集中講義を担当しました。それから、毎年の夏休み、9月上旬に福岡市で集中講義を行うのが私の恒例行事のようなものとなっております。2007年と2009年の8月には福岡大学での集中講義も行いました。2010年も、8月31日から9月8日まで、西南学院大学で集中講義を担当いたしました(但し9月4日と5日は中休みです)。大分市に7年間住んでいた者としては、毎年、福岡市に滞在する機会をいただけることに感謝しております。
さて、その集中講義の期間中に、私は九州の各地を周るようにしています。宿泊を伴うことがあるため、おおよその方角を決めておき、時刻表などを調べます。昨年(2009年)は長崎県の佐世保市と諫早市、佐賀県の佐賀市(ここだけは8月)、有田町、伊万里市、唐津市、そして大分県の大分市、九重町、竹田市などを周りました。大分市を訪れたのは2004年12月下旬以来、およそ4年9か月ぶりのことでした。
今年は、福岡県内のみとすることを決めていました。もっとも、関門トンネルを通って山口県の下関市にも行きましたが、これは予定していなかったことです。私が気になっていたのは北九州市と大牟田市で、日を変えてどちらにも行くようにしました。
「別室9」で「大牟田駅から新栄町まで歩く」として大牟田市の中心街を取り上げています。それから3年後、大牟田市の中心街の様子を再び見ておきたくなり、9月5日、西鉄天神大牟田線の特急に乗りました。
西鉄福岡(天神)駅から約1時間、終点の大牟田駅に到着しました。市の中心街は隣の新栄町駅のほうが近く、特急も新栄町駅に停車しますが、私は大牟田駅まで乗り、そこから新栄町駅まで歩きます。そのほうが周りやすいからです。大牟田駅の東口からは、新栄町駅の東側にある「ゆめタウン大牟田」へ行くバスが出ています。私はゆめタウン大牟田にも行ってみるつもりでした。
大牟田駅から鉄道線に沿って歩きます。ほどなく、アーケード街が見えてきます。3年前にも歩いたことがある銀座通商店街で、そこが中心街の南端と言うべき場所です。早速歩いてみますが、何軒かの店は開いているものの、ほとんどと言ってよいほど人通りがありません。日曜日の朝だからでしょうか。しかし、既に11時を過ぎています。
「別室9」で大牟田松屋の建物を紹介しました。2007年9月の時点では建物が残っており、処遇も決まっていなかったのですが、同年の10月23日、西日本新聞で「大牟田の松屋跡地売却 柳川の建設会社に 利用計画は未定」と報じられており、譲渡がなされているということになります。そして3年後です。上の写真のように、アーケードはあるものの、松屋の建物は解体されており、駐車場に変わっていました。アーケードにMATSUYAと書かれた表示板がぶら下がっているのが、かえって侘しさを強く感じさせます。
アーケード商店街にある交差点を右に曲がります。アーケード商店街は「サンルート」という名称が付けられていますが、松屋の跡は柵で囲まれており、停まっている車も少ないだけに、ここが商店街であることを忘れさせます。ここにどのような建物ができるのでしょうか。分譲マンションでしょうか。それとも何らかの商業施設でしょうか。
もう一度交差点に戻ります。3年前もそうでしたが、アーケード商店街の舗装が強い違和感を覚えさせます。3年前と異なるのは、松屋の建物がないということです。そのため、違和感はいっそう強くなります。
サンルートを北に歩きます。別室9の6枚目の写真も御覧下さい。ほぼ同じ地点から撮影していることがおわかりであると思います(角度などは異なりますが)。右側手前の建物には「マチ好きテナント大募集!」と書かれていますが、3年前には店の名前が書かれていました。シャッターに書かれていた店の名前も消されています。
そして、3年前にはアーケードに店の名前を記した案内板がかけられていましたが、いつの間にか外されていました。このアーケード商店街の将来を暗示しているようにも思えますが、今後、アーケード自体が撤去される可能性があるのかもしれません。
サンルート、銀座通商店街は、ここで途切れます。正確には途切れていないのかもしれませんが、アーケードはここで終わります。私が、またここに来ることがあるかどうか、今の時点ではわかりません。しかし、再び訪れてみたいと思っています。さらに新栄町駅を目指して歩き続けます。
大牟田駅と新栄町駅との間に川が流れています。川の南のほうにあるのがサンルートで、橋を渡りますと、上の写真のようにema-ruという名の店舗が見えます。しかし、シャッターが閉じられており、店の前にはロープが張られています。壁に落書きもされています。建物も傷んでいるようです。
閉店して或る程度の年月が経ったのでしょうか。3年前にも通っているはずですが、記憶にありません。自宅のパソコンを使い、インターネットで検索してみましたが、それらしい店の情報が見つかりません。
手前の公衆電話ボックスの上に、竜の頭のようなオブジェが飾られていますが、いったい何なのでしょうか。
3年前にも見かけました。ゴリラ(?)がビルをよじ登っている、というようなものです。前にも六本木のハード・ロック・カフェみたいだと記しましたが、今はどうでしょうか。今年、およそ10年ぶりに六本木へ行きましたが(しかも2回、妻と行きました)、ハード・ロック・カフェの近くを歩いていないのです。
ほどなく、3年前にも通った三井三池炭鉱専用線の跡に出ます。ここに4種類の絵が描かれているのを「別室9」で紹介いたしましたが、今回は絵に変化がありました。まずは上の写真です。3年前には仏様のような絵が全面的に描かれていたのですが、今回、下のほうは描き換えられています。何だかよくわからない絵なのですが、どなたか、意味がわかる方がおられれば、お教えください。
なお、今回は他の3つの絵を撮影していませんが、全く変わっていなかったのは水着の女性の絵だけでした。
新栄町に入りました。歩道の上にあるアーケードにGALLERYと書かれていますが、これはアーケード商店街の名前のようです。建物はパチンコ屋の跡で、板が打ち付けられている部分もあります。3年前も閉店していましたので、全く手つかずのままでしょうか。こう書いて、インターネットで検索をかけてみますと、日刊大牟田という新聞があるそうで、そのサイトではわからなかったのですが、別のサイトでは、どうやら大牟田市が購入したようであると書かれています。これが事実であるとするならば、いったい何のために購入したのでしょうか。
先ほどのパチンコ屋の建物です。1階がパチンコ屋で、2階がレストラン、カラオケ、喫茶の店、3階から6階までが駐車場、7階が会社(本社?)のようです。なお、この会社は現在もカラオケ屋などを営業しているようです。公式サイトがないのかどうか、検索しても出てきませんので、仕方なく、タウン情報のようなサイトを見ました。
おそらくはスーパーマーケットか別の大型店舗があったと思われる場所です。3年前にも通っています。歩道にはアーケードがありますから、やはり異様です。駐車場となっていて、意外に多くの車が停まっています。しかし、商店街にはほとんど人通りがありません。3年前よりいっそう空洞化が進行しているような印象を受けます。
「別室9」でも記しましたが、九州新幹線の新大牟田駅は、大牟田駅から5、6キロメートルほど離れた、大牟田市大字岩本が予定地となっています。新大牟田駅には九州新幹線しか通りません。近い駅というとJR鹿児島本線の吉野駅、および西鉄天神大牟田線の倉永駅ですが、どちらも普通列車しか停まらない駅です。しかも2キロメートルほど離れています。新大牟田駅が開業すると、場合によっては市街地の移転に近い状態が発生するかもしれません。その場合、新栄町は完全に命脈を絶たれる可能性もあります。
井筒屋大牟田店があった場所は、3年前と同様に空き地になっています。ここにマンションができるという話があったのですが、工事は全く進んでいません。新栄町駅はすぐそばにありますから、西鉄天神大牟田線の特急に乗れば西鉄福岡(天神)まで1時間ほどです。ただ、同線は大手私鉄の幹線ですが、便利なのは西鉄福岡(天神)~西鉄二日市、もう少し先に行って筑紫までです。大善寺~大牟田は、日中、特急が30分間隔、西鉄福岡(天神)には行かない普通電車が30分間隔です。急行は朝と夜に何本かが走る程度です。九州の交通事情を考えれば、悪くはない条件であるとは言えますが、やはり福岡市からは遠いでしょうか。
ちなみに、井筒屋大牟田店は現在もあります。もっとも、独立した百貨店としてではなく、新栄町駅の東方にある「ゆめタウン大牟田」のテナントとしてです。
井筒屋大牟田店の跡の真向かいにある建物ですが、3年前にはなかったはずです。「別室9」で取り上げた、板が打ち付けられている、あるいは嵌め込まれている宝くじ売り場があった建物が、この場所にあったのです。現在はマンションになっていますが、1階はテナントとして貸すことが予定されているようです。「新築分譲中」という幟がありますので、まだ完成して間もないのかもしれません。
新栄町には完全なアーケード商店街があまりなく、歩道がアーケードとなっている所が多いのですが、ここは完全なアーケード商店街となっています。しかし、シャッター通りとなっていて、開いている店は少なく、お客もほとんどいません。あるいは日曜日なので店が休みなのかもしれませんが、それにしても寂しい通りです。
道はタイル貼りのような舗装となっています。大牟田松屋跡の前もそうですが、道路は美しくデザインされた舗装がなされているので、建物と道路とのギャップがいやがうえにも目立ちます。
この商店街は「エレガンス一番街」です。大牟田といえば三池炭鉱で、閉山前は人通りも多かったことでしょう。田川市や直方市もそうなのですが、炭鉱で栄えた市町村は、閉山の後がかなり厳しいことがわかります。
日本には炭鉱で栄えた地域が少なくありませんが、代表は何と言っても北海道と福岡県でしょう。北海道のほうはよくわかりませんが、財政再建団体となった夕張市を初めとして、人口が激減し、財政破綻などに至った市町村は少なくありません。福岡県、とくに筑豊地域も同様です。大牟田市は筑豊地域ではなく、筑後地域にありますが、閉山で人口が大きく減少したことは想像に難くありません。また、筑豊地域の炭鉱は北海道よりも早い時期に次々と閉山していますが、三池炭鉱は1997年に閉山しています。
一番街を抜け、北のほうへ歩きます。3年前と変わらない土地が目の前にありました。おそらくは大規模店用の建物があったと思われるこの土地の活用方法については模索中なのでしょうか。奥のほうにはビルが並んでいるだけに、目立ちます。
右側が、先ほどの空き地です。完全にフェンスで囲まれています。そして、歩道の上にアーケードがあります。やはり、何度見ても異様な光景です。これではアーケードの意味がないでしょう。左側には建物があり、いくつかの店が営業を続けているようです。
新栄町駅の前まで歩きました。西鉄天神大牟田線の特急に乗って大牟田駅で降り、新栄町駅まで歩くコースは、3年前とほぼ同じです。しかし、今年は、ここで終わるのではなく、新栄町駅の東側にある「ゆめタウン大牟田」にも行くつもりです。
再び登場しました。井筒屋大牟田店の跡地です。ここにマンションが建てられる予定で、幟にもあるように「大牟田市中心市街地活性化プロジェクト」とされています。3年前に来た時には水溜りがありましたが、今回は整地されているようです。しかし、まだ建てられていません。どういう理由によるのかは不明ですが、何らかの問題があるのでしょうか。
新栄町駅の南側に踏切がありますので、西鉄天神大牟田線とJR鹿児島本線を渡ります。すぐに国道208号線に出ますので、その国道を北のほうへ歩きます。ほどなく、上の踏切に出ます。ここは旭町1号踏切です。ここを三井化学の専用鉄道、かつての三池鉄道の路線が通っています。炭鉱の閉山までにほとんどが廃止されましたが、ここは唯一、現在も営業中です。
踏切からJR鹿児島本線のほうを撮影してみました。線路を見れば、現役の路線であることがわかります。ここは貨物列車しか通りません。
反対側を撮影してみました。奥のほうに進むと三井化学の工場があります。
よく考えてみると、私は大牟田市を自動車で走ったことがありません。大分市に住んでいた7年間に一度しか訪れたことがなく、その時は西鉄天神大牟田線に乗って大牟田駅で降り、東口を歩いてJR鹿児島本線に乗って博多駅に出たのです。ちなみに、九州自動車道は大牟田市を通ってはいますが、インターチェンジがありません。また、国道3号線は大牟田市を通っていません。
さらに国道208号線を歩き続けると、東側の歩道に御覧のような商店街(?)が見えてきます。歩道にはアーケード、というより屋根が架けられており、何軒かの商店が並んでいます。屋根の傷みは激しく、また、閉まっている店も多かったのでした。ただ、それは日曜日であるからなのかどうかがわかりません。いかにも昔からあるような店ばかりなので、歩いていて懐かしさを覚えてきました。
この商店街を抜けると、すぐにゆめタウン大牟田が見えてきます。