旅に出る目的は人それぞれである。
行った先になにか用がある人もあれば
そうでない人もいる。
内田百のように
用も無いのに大阪へ出かける人もいる。
ただしこの場合は百先生も書いているように
着いたら今度は「帰らなければならない」という
重要な用が発生する。
宮脇俊三のように
旅に出ること、つまり列車に乗るという
その過程自体が目的であるという人もいる。
誰もが見落としがちな車窓風景を絶景と感じたり
絵葉書的な美しい風景を平凡な風景と称するあたりは
よほど旅をしていなければ言えないことだと思う。
しかも彼の表現は、その地方の風土などに裏付けられていて
それでいて、その知識をひけらかす事を一切していない。
車寅次郎のように、傷心を癒す目的と
生活の糧とが結びついている旅もある。
ただし彼は映画の中の人物ではるが…
私はどのタイプの人間であろうか。
着いた先にも見たいものはあるけれど
その途中の車窓を眺めるのが
旅のひとつの醍醐味だと思っている。
そいういう意味では宮脇的であるが
せっかく旅に出るのであれば
1等か3等でなければならない
2等に乗っている客は卑しいと書いた
百先生にも相通ずるところがあって
せっかく乗るならグリーン車やビジネスクラス、
そうでなければ新幹線や飛行機などつかわずに
鈍行列車に乗って行きたいと思っている。
無論、用事があって乗る場合
つまり出張などの場合はこの限りではない。
人様から金を出してもらって乗るのであれば
贅沢はいえないのだ。
幸か不幸か、私にはヒマラヤ山系氏のような同行者はいない。
よって旅に出るにも、他人の予定など気にする必要もない。
せいぜい天気図とにらめっこして
いつ出かけるかを決めればいいのだ。
<つづく>
行った先になにか用がある人もあれば
そうでない人もいる。
内田百のように
用も無いのに大阪へ出かける人もいる。
ただしこの場合は百先生も書いているように
着いたら今度は「帰らなければならない」という
重要な用が発生する。
宮脇俊三のように
旅に出ること、つまり列車に乗るという
その過程自体が目的であるという人もいる。
誰もが見落としがちな車窓風景を絶景と感じたり
絵葉書的な美しい風景を平凡な風景と称するあたりは
よほど旅をしていなければ言えないことだと思う。
しかも彼の表現は、その地方の風土などに裏付けられていて
それでいて、その知識をひけらかす事を一切していない。
車寅次郎のように、傷心を癒す目的と
生活の糧とが結びついている旅もある。
ただし彼は映画の中の人物ではるが…
私はどのタイプの人間であろうか。
着いた先にも見たいものはあるけれど
その途中の車窓を眺めるのが
旅のひとつの醍醐味だと思っている。
そいういう意味では宮脇的であるが
せっかく旅に出るのであれば
1等か3等でなければならない
2等に乗っている客は卑しいと書いた
百先生にも相通ずるところがあって
せっかく乗るならグリーン車やビジネスクラス、
そうでなければ新幹線や飛行機などつかわずに
鈍行列車に乗って行きたいと思っている。
無論、用事があって乗る場合
つまり出張などの場合はこの限りではない。
人様から金を出してもらって乗るのであれば
贅沢はいえないのだ。
幸か不幸か、私にはヒマラヤ山系氏のような同行者はいない。
よって旅に出るにも、他人の予定など気にする必要もない。
せいぜい天気図とにらめっこして
いつ出かけるかを決めればいいのだ。
<つづく>