青函トンネルにも数年のうちに新幹線が開通する。
既に一部の軌道工事は終わっているらしい。
そうなると、夜行列車はどうなってしまうのだろうか。
確かにトンネルの取り付け部前後は
人里離れたような場所であって
だから車窓も代わり映えがしないように思われるけれども
だからこそ、その植生とかに土地の差があって
北海道に渡れば、北海道らしい風景が広がるのである。
人家があれば、たとえば屋根の角度や瓦の色、材質に
それぞれの土地の特徴があって
高架橋の上から跳ぶように流れ去ってゆく新幹線の車窓よりも
やはり鈍行列車で、眺める景色が絶景である。
鈍行列車に乗るのであれば朝がいい。
登校する高校生たち。
彼等は卒業したらどうするのだろうか。
この県の都会にでるのか、
それとも東京のような大都会に出るのか。
地元に残るのだろうか。
いずれにしても、彼等はその背中に
その土地のいろんな物を背負っているのである。
内地へ向かう夜行列車は、夜半というより未明に函館を出る。
駅の傍の朝市は、そろそろ商売の準備を始めているころ。
櫛の歯のようにホームが並んだ構内の静寂を破るように
青いディーゼル機関車に牽かれた列車が入ってくる。
函館駅で、今までとは反対方向に電気機関車をつけて
青函トンネルへの準備を整える。
深夜、未明ではあるが函館駅に活気のある瞬間でもある。
私はこの列車に乗る。
青函連絡船の頃は
トンネルができることで、接岸の感動が薄れてしまうと
そう考えた人が多かったし
事実、トンネルを出たところで
そこが北海道であるとか内地であるとかの実感は
すぐには沸いてこない。
やはり、右舷から下北半島の影が消えてしばらく後に函館山が見えてきたり
左舷に下北半島の影が見えて平舘海峡に入り
揺れが少なくなることで青森港が近づいたという実感、
青森駅の長いホームの先での乗り換えなんかは
ある種の旅情であろう。
今はこの感情が、新幹線の延長開業と在来線の関係に変わってしまった。
何年後かには、夜行列車「はまなす」も
昔話になってしまうのであろうか。
<つづく>
既に一部の軌道工事は終わっているらしい。
そうなると、夜行列車はどうなってしまうのだろうか。
確かにトンネルの取り付け部前後は
人里離れたような場所であって
だから車窓も代わり映えがしないように思われるけれども
だからこそ、その植生とかに土地の差があって
北海道に渡れば、北海道らしい風景が広がるのである。
人家があれば、たとえば屋根の角度や瓦の色、材質に
それぞれの土地の特徴があって
高架橋の上から跳ぶように流れ去ってゆく新幹線の車窓よりも
やはり鈍行列車で、眺める景色が絶景である。
鈍行列車に乗るのであれば朝がいい。
登校する高校生たち。
彼等は卒業したらどうするのだろうか。
この県の都会にでるのか、
それとも東京のような大都会に出るのか。
地元に残るのだろうか。
いずれにしても、彼等はその背中に
その土地のいろんな物を背負っているのである。
内地へ向かう夜行列車は、夜半というより未明に函館を出る。
駅の傍の朝市は、そろそろ商売の準備を始めているころ。
櫛の歯のようにホームが並んだ構内の静寂を破るように
青いディーゼル機関車に牽かれた列車が入ってくる。
函館駅で、今までとは反対方向に電気機関車をつけて
青函トンネルへの準備を整える。
深夜、未明ではあるが函館駅に活気のある瞬間でもある。
私はこの列車に乗る。
青函連絡船の頃は
トンネルができることで、接岸の感動が薄れてしまうと
そう考えた人が多かったし
事実、トンネルを出たところで
そこが北海道であるとか内地であるとかの実感は
すぐには沸いてこない。
やはり、右舷から下北半島の影が消えてしばらく後に函館山が見えてきたり
左舷に下北半島の影が見えて平舘海峡に入り
揺れが少なくなることで青森港が近づいたという実感、
青森駅の長いホームの先での乗り換えなんかは
ある種の旅情であろう。
今はこの感情が、新幹線の延長開業と在来線の関係に変わってしまった。
何年後かには、夜行列車「はまなす」も
昔話になってしまうのであろうか。
<つづく>