JR水道橋駅前にある三崎稲荷神社は、寿永元年(1182)創祀と伝えられる古社です。
元々は現在地より北東側の神田山麓にあったとされ、遠浅の入江の岬だったことから
「みさき」という村名がつけられたようです。
家康公入府の際に、日比谷入江埋め立てに伴う神田山掘削で西側に遷座されました。
家光の時代には、将軍自ら参詣したことで諸大名家もそれに追随し
参覲交代などで江戸に入る際には、ここで身体を清めてから江戸屋敷に入ったそうです。
神田上水開削工事が始まった万治二年(1659)に、現在地周辺に再遷座したものの
万延元年(1860)に幕府の練兵所である講武所開設にあたって水道橋西詰に遷座しました。
明治に入って甲武鉄道が飯田町から万世橋まで延長した際に現在地に鎮座しました。
神田の地にありながら、神田祭以外の祭りを行うのは、三崎が武家屋敷の町で
そこに住む武士たちから厚く信仰を受けていた証でもあります。
元々は現在地より北東側の神田山麓にあったとされ、遠浅の入江の岬だったことから
「みさき」という村名がつけられたようです。
家康公入府の際に、日比谷入江埋め立てに伴う神田山掘削で西側に遷座されました。
家光の時代には、将軍自ら参詣したことで諸大名家もそれに追随し
参覲交代などで江戸に入る際には、ここで身体を清めてから江戸屋敷に入ったそうです。
神田上水開削工事が始まった万治二年(1659)に、現在地周辺に再遷座したものの
万延元年(1860)に幕府の練兵所である講武所開設にあたって水道橋西詰に遷座しました。
明治に入って甲武鉄道が飯田町から万世橋まで延長した際に現在地に鎮座しました。
神田の地にありながら、神田祭以外の祭りを行うのは、三崎が武家屋敷の町で
そこに住む武士たちから厚く信仰を受けていた証でもあります。