世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

人生に悔いはなし

2011年10月13日 | 人生
「そりゃあそうでしょう」


と言われかねない。





やりたい放題、


やりたいことをやってきた。





自由を謳歌してきた。



好き勝手に暮らしてきた。




まさに


自由奔放。


我儘放題。





人をかき分け、


人を蹴落とし、




人を傷つけ、



人を泣かせ、


人に嫌がられ



人に憎まれ





それでも



雑草のように

自分を貫いてきた。






自分勝手な人生だった。







これ以上何を望もう。






だが、一方で



何かが足りないという


渇望感が残る。










しみじみと


孤独を感じ


孤独がゆえに



人生が謳歌できた。





罪多き人生。





今更


贖罪も



断罪も


あったもんじゃないだろう。





いくら徳を積んだところで追いつかない。






喜びも


悲しみも




分かち合うことなく



自分の胸にしまい込んできた。







ただひたすらに


わが道を進んだ。






途中まで一緒に歩いてくれた人も



いつの間にか


離れていった。





それは


いばらの道だった。




乾ききった


砂漠だった。





それでも


時にオアシスすを見つけた。





つかの間の休息。





自らも傷つき


倒れることもあった。





自ら

傷を舐め、


癒した。





再び


立ち上がり


歩き出す。





飢えた身体には



もう涙の水分も残っていない。





それでも


上を向いて歩き続けた。





遠い地平線の向こうに



きっと探していたものがあることを


信じて。





探しているものが何なのか分からないまま。




それでも


きっと何かがあると


自分に言い聞かせた。





ただひたすらに


自分を信じ



歩き続ける。





人生の最終地点は



例外なく


「死」 だ。





人々は


誰しも



「死」に向かって歩いている。




それゆえに

人生の意味は



そのプロセスにある。




どんな路(みち)を歩いたか。




きれいに舗装された道を歩くのか、


獣道をたどるのか



敷かれた軌道の上を走るのか




はたまた


ジャングルをかき分け

自ら道を作りながら歩くのか。





足跡のない



処女雪の上に


自らの生きた証を刻むのか。





人それぞれの生きる路がある。





だが


どんな道を歩こうが



行きつく先には


間違いなく


「死」 が待っている。





誰しも同じゴールを目指すのなら



「我が路」 を行くのみである。






人生に

悔いを残さないためにも。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする