英会話喫茶として
不安のうちにオープンした 「フリートーク」 だったが
アッという間に半年が経過した。
その間
「インターナショナル & コミュニティ・カフェ」
としてその活動の枠を広げてきた。
それもこれも
多くの方のご協力と
ご理解の賜物と感謝します。
3か月持たないだろうと
大多数の方が懐疑的だった。
冷ややかな視線に晒された。
熊本はもとより
日本初の試みだったからだ。
ボク自身も
大いに不安があった。
だから
もし失敗に終わっても
大きな痛手を被らないよう
最小限の投資でスタートすることにした。
だが
訳も分からないまま
「勢い」 と 「流れ」 で
オープンにこぎつけたことも否めない。
いや
むしろ
発想の段階から 「勢い」 を感じていたし
そうした 「流れ」 にならなければ
オープンにまでは決して漕ぎつけなかっただろう。
何か新しい物を始めるときとは
得てしてそういうものだ。
つまり
あくまでも自分の意志なのだが
それ以外の力が働く。
見えざる手で背中を押される感じだろうか。
それが
神の手なのか
悪魔の手かは分からない。
とにかく
レバレッジが掛かったように
自分ではどうにもできないような
強い力が働いているを感じるのだ。
これが 「流れ」 となり
もう後に引くに引けなくなる。
それが
さらなる 「勢い」 となって
あれよあれよという間に
ドーッと事態が流れていく。
だからこそ
構想からオープンまで半年という
超スピードの船出だったことを昨日のように覚えている。
それだけに不安もひとしおだった。
オープンを決意した時は
「エーイ、、ダメでもともと」
という気持ちが強かった。
だが
いったんスタートさせると
そう簡単に止めるわけにはいかない。
責任もあるし
意地もある。
それ見たことか、
やっぱりな
等と思われたら悔しい。
周囲の好奇の目は
どうもそう言いたくてたまらないように映った。
それだけに
一心不乱と言えばまだ聞こえもいいだろうが
見栄も外聞もかなぐり捨てて取り組んだ。
文字通り、
必死だった。
だが一方、
秘かな自信もあった。
また
それがなければ
オープンしなかっただろう。
それは
自分に課せられた 「ミッション」 だ。
つまり
① 英会話の普及
② 外国人の雇用創出
による 「国際都市」 の実現である。
そしてそれを
「社会起業」 と位置付けた。
それは
自分にしかできないと思う
強い 「信念」 だった。
再三述べてきた
「社会起業」 としての
ミッションに気付き、
どうしてもやらなければならないという
責任と義務を感じた。
だが
やるからには
ビジネスとして成り立さねばならない。
そこには
したたかな
戦略があった。
それは
今まで培ってきた成功法則と、
過去の成功体験に頼らず
タブーを破る
新たな試みへのチャレンジ精神という
二律背反的なものだった。
つまり、
「成功法則」 に従えば、
① オリジナリティなものであること
② 設備投資にお金をかけず
あるものを工夫して使うこと。
③ 広告費は使わず
泥臭い営業と
口コミを利用すること。
だから
今回は
立ち上げには一切借り入れはしなかった。
だが
今までと違ったのは
自分が営業に係わるのではなく
あくまでも
① スタッフ主体の事業ということと
人里離れた田舎でなく
② 町の中心に立地させたことは
自分にとってまぎれもなく初の試みだった。
それは
これまで行ってきた3か所の事業形態とは
まったく正反対のことだったのだ。
今まで誰も来なかったところに
人を呼ぶことには成功してきた。
だが
人通りが多く、
数多の店が立ち並ぶ激戦区で
戦っていくには
それなりの覚悟と
戦術が必要だ。
つまり
今までの 「成功体験」 を
捨てる勇気が必要なのだ。
いつまでも過去の美酒に酔いしれていたら
この早い時代の流れにはついていけない。
そうした中で
恵まれたのは
① 立地とテナントの形態、
そして
② スタッフ、
それから
③ スポンサー
それに
④ 良いお客様に恵まれた
ことだった。
ところが
オープン以来
この半年の間に
思わぬ事件が
立て続けに起こる。
それは
幸運の女神が
一転して
悪魔と化したかのように思えた。
(Continuing)
不安のうちにオープンした 「フリートーク」 だったが
アッという間に半年が経過した。
その間
「インターナショナル & コミュニティ・カフェ」
としてその活動の枠を広げてきた。
それもこれも
多くの方のご協力と
ご理解の賜物と感謝します。
3か月持たないだろうと
大多数の方が懐疑的だった。
冷ややかな視線に晒された。
熊本はもとより
日本初の試みだったからだ。
ボク自身も
大いに不安があった。
だから
もし失敗に終わっても
大きな痛手を被らないよう
最小限の投資でスタートすることにした。
だが
訳も分からないまま
「勢い」 と 「流れ」 で
オープンにこぎつけたことも否めない。
いや
むしろ
発想の段階から 「勢い」 を感じていたし
そうした 「流れ」 にならなければ
オープンにまでは決して漕ぎつけなかっただろう。
何か新しい物を始めるときとは
得てしてそういうものだ。
つまり
あくまでも自分の意志なのだが
それ以外の力が働く。
見えざる手で背中を押される感じだろうか。
それが
神の手なのか
悪魔の手かは分からない。
とにかく
レバレッジが掛かったように
自分ではどうにもできないような
強い力が働いているを感じるのだ。
これが 「流れ」 となり
もう後に引くに引けなくなる。
それが
さらなる 「勢い」 となって
あれよあれよという間に
ドーッと事態が流れていく。
だからこそ
構想からオープンまで半年という
超スピードの船出だったことを昨日のように覚えている。
それだけに不安もひとしおだった。
オープンを決意した時は
「エーイ、、ダメでもともと」
という気持ちが強かった。
だが
いったんスタートさせると
そう簡単に止めるわけにはいかない。
責任もあるし
意地もある。
それ見たことか、
やっぱりな
等と思われたら悔しい。
周囲の好奇の目は
どうもそう言いたくてたまらないように映った。
それだけに
一心不乱と言えばまだ聞こえもいいだろうが
見栄も外聞もかなぐり捨てて取り組んだ。
文字通り、
必死だった。
だが一方、
秘かな自信もあった。
また
それがなければ
オープンしなかっただろう。
それは
自分に課せられた 「ミッション」 だ。
つまり
① 英会話の普及
② 外国人の雇用創出
による 「国際都市」 の実現である。
そしてそれを
「社会起業」 と位置付けた。
それは
自分にしかできないと思う
強い 「信念」 だった。
再三述べてきた
「社会起業」 としての
ミッションに気付き、
どうしてもやらなければならないという
責任と義務を感じた。
だが
やるからには
ビジネスとして成り立さねばならない。
そこには
したたかな
戦略があった。
それは
今まで培ってきた成功法則と、
過去の成功体験に頼らず
タブーを破る
新たな試みへのチャレンジ精神という
二律背反的なものだった。
つまり、
「成功法則」 に従えば、
① オリジナリティなものであること
② 設備投資にお金をかけず
あるものを工夫して使うこと。
③ 広告費は使わず
泥臭い営業と
口コミを利用すること。
だから
今回は
立ち上げには一切借り入れはしなかった。
だが
今までと違ったのは
自分が営業に係わるのではなく
あくまでも
① スタッフ主体の事業ということと
人里離れた田舎でなく
② 町の中心に立地させたことは
自分にとってまぎれもなく初の試みだった。
それは
これまで行ってきた3か所の事業形態とは
まったく正反対のことだったのだ。
今まで誰も来なかったところに
人を呼ぶことには成功してきた。
だが
人通りが多く、
数多の店が立ち並ぶ激戦区で
戦っていくには
それなりの覚悟と
戦術が必要だ。
つまり
今までの 「成功体験」 を
捨てる勇気が必要なのだ。
いつまでも過去の美酒に酔いしれていたら
この早い時代の流れにはついていけない。
そうした中で
恵まれたのは
① 立地とテナントの形態、
そして
② スタッフ、
それから
③ スポンサー
それに
④ 良いお客様に恵まれた
ことだった。
ところが
オープン以来
この半年の間に
思わぬ事件が
立て続けに起こる。
それは
幸運の女神が
一転して
悪魔と化したかのように思えた。
(Continuing)