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中国国民は一斉に蜂起せよ

2014年09月30日 | 国際
        ”革命” なんという良い響きだろう!


アラブの春(Arab Spring)を彷彿とさせる。

アラブの春は、2010年から2012年にかけてアラブ世界において発生した、

前例にない大規模反政府(民主化要求)デモや抗議活動を主とした騒乱の総称である。


2010年12月18日に始まったチュニジアでの暴動によるジャスミン革命から、

リビア、エジプト、そしてシリアとアラブ世界に波及した。


一方で、2012年に入ると政権の打倒が実現したエジプトやリビアでも国内の対立や衝突が起きるなど民主化に綻びが見られ始め、

また遅れて反政府デモが盛り上がりを見せたシリアでは泥沼の内戦状態に突入し、

国内のスンナ派とシーア派の対立やアルカイダ系の介入などによる火種が周辺国にも影響を及し始めるなど、

深刻な事態が浮かび上がってきている。


それが今、ISIS(イスラム国)の台頭から、アメリカ軍の空爆へ続いているのはご承知のことだろう。



今回の香港での民主化のデモはまだ始まったばかりで、どこまで影響を及ぼすかは予断を許さないところだ。




ただこれをきっかけとして、弾圧が厳しい新疆ウイグル地区やチベット、そして南モンゴルが一斉に蜂起すれば

中国の民主化そして独立という流れは大きくなっていくことは間違いない。



危惧するのは、現代の動きはネットに頼るところが大きく、

これを遮断されると動きが急速に鈍くなる。


そして、香港での学生の行動も、歌ったり、食べたい、道路に座ったりでお祭り騒ぎの感が強く

統率性に欠けるところが見受けられる。




第二の天安門事件として過去に葬られる脆弱性も孕んでいる。




彼らの本気度が試される。



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日本にもこうした動きが過去にあった。

60年と70年安保闘争だ。



           国会を取り囲んだデモ隊(1960年6月18日)




安保闘争とは、

1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)、1970年(昭和45年)の2度にわたり、

日本で展開された日米安全保障条約(安保条約)の与党自民党による慎重審議なくして強行採決を行ったことに関して反発した

国会議員、労働者や学生、市民および批准そのものに反対する国内左翼勢力が参加した

日本史上で空前の規模の反政府、反米運動とそれに伴う政治闘争である。


         この中にボクもいた





そもそもなぜアメリカ軍は日本に駐留しているのか。


1951年(昭和26年)9月8日に、アメリカのサンフランシスコにおいて、

アメリカやイギリスをはじめとする第二次世界大戦の連合国47ヶ国と日本の間で、

日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)が締結されたが、


主席全権委員であった吉田茂は、

同時に、平和条約に潜り込まされていた特約(第6条a項但し書き。二国間協定による特定国軍のみの駐留容認)に基づく

「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(旧日米安全保障条約)に署名した。


この条約によって日本を占領していた連合国軍の1国であるアメリカ軍は、

「在日米軍」となり、継続して日本に駐留する事が可能となり、今に至っている。


だが、これまで60年、70年と二度の反安保闘争があったことは忘れ去られようとしている。


当時日本の若もにはこれだけのエネルギーがあったのだ。

ボクも、70年安保闘争の渦中にいた。


ぼく達学生の間では1968年(昭和43年)から1969年(昭和44年)にかけて

全共闘や新左翼諸派の学生運動が全国的に盛んになっており、

東大闘争、日大闘争を始め、全国の主要な国公立大学や私立大学ではバリケード封鎖が行われ、

「70年安保粉砕」をスローガンとして大規模なデモンストレーションが全国で継続的に展開された。


ボク自身も、当時大阪、上六にあった大学にバリケードを築いて立てこもった。


街頭闘争も盛んに行われ、新左翼の各派は、

1967年(昭和42年)10月、11月の羽田闘争、1968年(昭和43年)1月の佐世保エンタープライズ帰港阻止闘争、

4月の沖縄デー闘争、10月の新宿騒乱事件(騒乱罪適用)、

1969年(昭和44年)4月の沖縄デー闘争、10月の国際反戦デー闘争、

11月の佐藤首相訪米阻止闘争などの一連の闘争を「70年安保闘争の前哨戦」と位置づけて取り組み、

「ヘルメットとゲバ棒」スタイルで武装し、投石や火炎瓶を使用して機動隊と戦った。


70年代に入り、戦いに敗れ、ベトナム反戦運動と共に

キューバ革命に憧れて亡命を試みたりもした。


ボクの友人は、よど号をハイジャックしてとうとう北朝鮮に亡命したのだが。



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そうしたことが、今回の香港の動きを見て走馬灯のように脳裏に流れた。


中国は内部崩壊する、と信じて疑わない。

ただ、同じ社会主義国であるベトナムにも飛び火する可能性はある。


ベトナムの政治は安定しているが、

共産党一党独裁であることには変わりはない。

選挙という民主主義の手段を持たない。

ミャンマーがそうであったように、曲がりなりにも政権を選ぶ権利が国民の手にあってもいいのではないか。


ベトナムには、ソフトランディングを期待する。



【参考資料】


これを見れば、中国の実態がわかる。




天安門事件とは、

1989年6月4日に、同年4月の胡耀邦の死をきっかけとして、

中国・北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、

中国人民解放軍が武力弾圧(市民に向けての無差別発砲や装甲車で轢き殺したとの報告がある)し、

多数の死傷者を出した事件である。


       これは有名な写真である





香港の学生たちがこの二の舞にならないことを祈る。