約1000坪の敷地の中に
現在5軒の家がある。
そして、
そのそれぞれの家の中に
モノがあふれかえって(散乱して)いる。
ここは熊本県阿蘇の西原村。
もともと築120年の農家だったからして、
母屋(住まい)と牛小屋(納屋)と
蔵と機械倉庫の4軒の家があった。
それに竹林の裏山がおまけみたいについていた。
21年前にここを買い取って、
母屋をカフェと雑貨のお店、
牛小屋をコンドミニアム形式のホテル、
蔵を事務所、
機械倉庫を物置に改装した。
自宅は、熊本市内に約100坪の一軒家の持ち家が別にあった。
そして、数年後、
竹林を切り開いて、裏山に別のホテルを建てた。
この時点で、
6軒の家を所有していたことになる。
だが、
熊本市内の自宅を、別れた女房に渡し、
3年前の地震を機に
ここ阿蘇の西原村に居を移した。
といっても、
ほとんど住んではいなかった。
海外を転々としていたのだ。
そして、
持て余した挙句、
半年ほど前までは、ここを手放そうと真剣に思っていた。
(実際売りに出していた)
他人に貸したり、
住んでいなかったために荒れ放題であった。
中も外も。
ところが、
あることをきっかけに
ここに住んで、
カフェとホテル(ゲストハウス)を再開することにした。
荒れ野を整地しなおし、
家の中を片付けだした。
(古いパソコンやコピー機、ファックスなどを処分した事務所)
もちろん、
一人だけではない。
友や愛する人の助けによるところが大きい。
ただ、
1000坪の敷地と、
5軒の家を整備するといっても
一朝一夕にはいかない。
しかも、
3年前の地震で、
中は足の踏み場もないほどモノが散乱している。
それでも一軒一軒少しづつ片づけている。
数日前は
廃品回収業者がたまたま通りかかり、
使えなくなったボイラーやタンクなどの大物を引き取ってもらった。
そして、
一から店づくりと住まいづくりを始めた。
まだ緒に就いたばかり。
生活(経済)の立て直しも必至だ。
正直、気は急(せ)くが、
焦っても仕方がない。
何といっても
健康が一番。
心身を健やかに保ち、
手と手を取り合って
一歩一歩、目標に向かって進んでいく。
目標とは、
二人の豊かで幸せな暮らし、と、
子供、孫の幸せに他ならない。
そして、
あわよくば、
係る人々の幸せのお手伝いができることを願ってやまない。
現在5軒の家がある。
そして、
そのそれぞれの家の中に
モノがあふれかえって(散乱して)いる。
ここは熊本県阿蘇の西原村。
もともと築120年の農家だったからして、
母屋(住まい)と牛小屋(納屋)と
蔵と機械倉庫の4軒の家があった。
それに竹林の裏山がおまけみたいについていた。
21年前にここを買い取って、
母屋をカフェと雑貨のお店、
牛小屋をコンドミニアム形式のホテル、
蔵を事務所、
機械倉庫を物置に改装した。
自宅は、熊本市内に約100坪の一軒家の持ち家が別にあった。
そして、数年後、
竹林を切り開いて、裏山に別のホテルを建てた。
この時点で、
6軒の家を所有していたことになる。
だが、
熊本市内の自宅を、別れた女房に渡し、
3年前の地震を機に
ここ阿蘇の西原村に居を移した。
といっても、
ほとんど住んではいなかった。
海外を転々としていたのだ。
そして、
持て余した挙句、
半年ほど前までは、ここを手放そうと真剣に思っていた。
(実際売りに出していた)
他人に貸したり、
住んでいなかったために荒れ放題であった。
中も外も。
ところが、
あることをきっかけに
ここに住んで、
カフェとホテル(ゲストハウス)を再開することにした。
荒れ野を整地しなおし、
家の中を片付けだした。
(古いパソコンやコピー機、ファックスなどを処分した事務所)
もちろん、
一人だけではない。
友や愛する人の助けによるところが大きい。
ただ、
1000坪の敷地と、
5軒の家を整備するといっても
一朝一夕にはいかない。
しかも、
3年前の地震で、
中は足の踏み場もないほどモノが散乱している。
それでも一軒一軒少しづつ片づけている。
数日前は
廃品回収業者がたまたま通りかかり、
使えなくなったボイラーやタンクなどの大物を引き取ってもらった。
そして、
一から店づくりと住まいづくりを始めた。
まだ緒に就いたばかり。
生活(経済)の立て直しも必至だ。
正直、気は急(せ)くが、
焦っても仕方がない。
何といっても
健康が一番。
心身を健やかに保ち、
手と手を取り合って
一歩一歩、目標に向かって進んでいく。
目標とは、
二人の豊かで幸せな暮らし、と、
子供、孫の幸せに他ならない。
そして、
あわよくば、
係る人々の幸せのお手伝いができることを願ってやまない。