60歳を過ぎた辺りから
自分の年齢を忘れることにした。
実際、歳を数えることに疲れた。
ふと、
自分の年齢を意識すると、
正直、萎えることがある。
だから、
還暦から歳は逆行すると考える。
つまり、
120年で0歳に戻る。
「120歳寿命説」である。
これからは、
年齢を可変性があるものと考える必要がある。
いまや、
時間と年齢を単純に結びつける発想に終止符を打たなくてはならない。
(『LIFE SHIFT2 :100年時代の行動戦略』より)
人生100年時代において
暦における年齢は
実質意味をなさなくなってきている。
なので、
人に「何歳ですか」と聞くのは
まったくの愚問である。
なぜなら、
「×歳です」という回答は、
生まれてから現在までの年数(暦年齢)という
単一の基準(一面的)でしか年齢を考えていないからだ。
年齢という概念には、
この「暦年齢」以外にも、
・生物学的年齢(肉体がどれくらい若いか)
・社会的年齢(社会でどのように扱われているか)
・主観的年齢(自分がどのくらい老いている、もしくは若いと感じているか)
といものがある。
年齢の可変性が高まると、
これらのさまざまな年齢がますます一致しなくなる。
いまの子どもたちが60歳になる頃には、
生物学的年齢が
暦年齢と大きく食い違うケースも多くなる。
自分自身をどのように見るかと、
ほかの人たちからどのように見られるかの間にも、
大きなズレが生じる。
格差社会と言われる中には、
年齢格差も含まれる。
70代でも50代に見える人、
50代でも70代に見える人もいる。
特に今の70代は、
元気で年齢以上に若い人が多い。
今日の78歳と
1922年の65歳が同水準だとも言われる。
そうすると、
78歳以上を「高齢者」の基準にしてもいい。
暦年齢だけに着目し、
高齢者の数が増えている点ばかりを強調する考え方は、
人々の老い方が大きく変わりつつあり、
長寿化が個人と社会に多くの機会をもたらし、
新たな問題解決策をも生み出している
という事実を無視しているといえる。
実際、
歳を取るほど
経験と実績で、
可能性の幅が広まり、
人生は面白くなっていくのだ。
拙著『生涯成長論』は
そういう考えの元から生まれた。
【補足】
「老害」ばかりが取り上げられ、
「若害」にはほとんど目が向けられていない。
日本が衰退しているのは
高齢者社会だからではない。
むしろ少子化で、
若者に、覇気(夢と希望)がないからなのだ。