世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

シニアライフ

2018年09月22日 | 100の力
年を取ることは

寂しいことでも惨めなことでもない。


むしろ喜ばしいことなのです。


青春を謳歌する以上に、

「老春」を満喫しましょう。


そのために最も大切なことは、

お金ではなく、

「健康」と「考え方」です。


そして、

出来るだけたくさん「旅」をすることです。


人生そのものが旅なのですから。

あなたのストーリーを紡いでください。


旅といっても

物理的に遠くへ行かなくても、

近場でも、心の旅でもいいのです。


イメージしてみてください。

ワクワクする「心のときめき」こそが重要なのです。


アインシュタインはいいました。

「想像力は知識よりも重要だ。

知識には限界があるが、想像力は世界さえ包み込む」と。



今いるフィリピンで、

シニアライフを満喫している方がいます。



年金だけで優雅に幸せに暮らしています。

今回はお言葉に甘えて、

そこでお世話になっています。


                 (近所の子供たちと)


もはや日本だけに拘っている時代ではありません。

選択肢は多ければ多いほどいいのです。


移住してもしなくても、

自分の居場所をより多く持つことも良いことです。


どうしてもこうあらねばならないというこだわりを捨てれば

選択肢は無限に広がります。


今回、フィリピンに来て

強くそのことを感じました。


本来、老後は楽しいものです。


夢を諦めないで。

死ぬまで追求してください。


それが本来の「生涯現役」というものではないでしょうか。

















急遽フィリピンへ

2018年09月21日 | 熊本地震
ホーチミンから南シナ海を横断し

マニラ空港に着くと

雑踏の中にあるバスターミナルへタクシーを走らせた。


ターミナルへ着くなり、

半ば動き始めたバスに飛び乗った。


そのバスは西へ西へと夕陽に向かって進んだ。


すっかり日も暮れ、

6時間ほどで

南シナ海に面する美しい町へ着いた。



      
バスで隣り合わせた親切な女性に電話を貸してもらったり、

降りる場所を教えてもらったりと、

いろいろお世話になった。



実は、そのマルベレスという町に会いたい人(ご夫婦)がいたのだ。




フィリピンを訪れるのは

実に約5年ぶりになる。


当時、チョッと苦い思い出があって、

それ以来行ってなかった。

その時のフィリピン人の彼女が36歳の若さで亡くなったのだ。



それはさておき、

今回フィリピンを訪ねたのは、

ハウスエクスチャンジの提案を頂いたご素敵なご夫婦に会うためである。




暫く苦ここでお世話になることにした。











今回三度目、機上の人へ

2018年09月20日 | 
実は、

今日、深夜のフライトで日本へ帰るチケットを取ってもらっている。


一旦は迷った。

反故にするにはもったいない、と。

(片道より、往復でとるほうが安いので、

よくこの方法を使うことがある)



だが、

やっぱり旅を続けることにした。


しかも、考えていた旅先とはまったく別の行き先に。


これから、その予定変更先へと向かう。


約3時間の空の旅と

6~7時間のバスの旅が待っている。




これは、

チョッとした冒険の旅です。


無事着けるかどうか、

正直分かりません。


着いても、

今日の夜遅くなると思います。


無事着けばまた報告しますね。


ではまたその時。

(があればですが)


行ってきます。

さようなら。




【追記】


さて今日はどこへ行くでしょうか?

本日の最終行き先の地名を当てた人には、

10万差し上げます。


ホント!


締め切りは、

本日(20日)午後8時(日本時間20時)までとします。


(関係者は除きます)笑


















チョッと一息

2018年09月19日 | 100の力
旅の途上で、

時間をみつけては、せっせと出版のための原稿を書いている。

なかなか骨の折れる作業だ。

特に集中するのが難しい。


2時間の時差を利用し、

朝5時(日本時間7時)くらいに起きて執筆にとりかかる。

朝食の時間までの4時間を使う。


夜は、日本時間の12時(ベトナム時間22時)に寝れば、

7時間睡眠はとれる。


たぶん、思われてる以上に旅先でも品行方正なのだ。



それでも

まだまだ仕上げには程遠いが

ひとまず原稿を出版社に送った。


きっと厳しい答えが編集長から返ってくるだろう。

それも自分に打ち勝つための試練だと言い聞かせる。


いい作品に仕上げて、

デッカイ夢に近づくためには

ここはどうしても乗り越えなければならない一里塚。


こうして世界のどこに居ても嬉々として仕事ができることは

実に有り難いことだと感謝している。


―――――――――――――――――――――――――――

昨日からは、

一昨日の一泊$3のゲストハウスから一転して、

5つ星のホテルに投宿している。

(この極端な差は何なんだ)


それもこれも

ボクの大好きな可愛い彼女が紹介してホテルを取ってくれたお陰。



感謝、感謝、感謝以外の何ものでもない。




彼女とは知り合ってから、もうかれこれ5年ほどが経つ。

3年ほど前、日本の広島でも再会し

原爆ドームを一緒に見て回ったほどだ。


いつも優しく親身になってお世話をしてくれるが、

恋仲にならないのが不思議なくらい。


「お友達だから続くのよ」 とは彼女の弁。

そうかもしれない。

(と、無理に納得 (;^_^A))



そして、

久しぶりにジムで汗を流した。

一通りマシンをこなす。



運動不足の上、

ベトナム料理が美味しすぎて、

やや太り気味。

旅先での運動は、いつも課題だ。

ただ日本にいる時よりはよく歩く。



その後はプールサイドでリラックス。




ホーチミンには、

彼女に逢うために来た、といってもいい。





明日はまた機上の人になる。


予定していた瞑想修行のためのミャンマー行きが、

ビザの関係でまた没になった。


何処へ行こうかと迷った。

スリランカ、ネパール、インドからお呼びがかかる。

どこも魅力的だ。


特に

以前、ボクが役員をしていたインドの会社から

仕事のオファーが入った。

100 companies from Japan's Nagasaki ready to induct Indian engineers

to support their information technology, shipping and manufacturing service industries

「長崎の100社が、インドからエンジニアを招聘する用意がある」

というもの。

とうとう日本は人手不足から技術者まで不足してきた模様。

(すでに分かっていたことだが)


こうした情報が、刻々と寄せられてくる。



それはさておき、

大幅に予定を変更して、

やっとその後の行き先を決めた。


それは、

2~3日前までは、全く予期していなかった場所。


さて、

その行き先は?


アッと驚く展開と、

素敵なドラマが待っているかも。


チョッと危険な冒険だけど。


「かじえいせいの旅レポート」

お楽しみに!!















日本人歓楽街 潜入ルポ

2018年09月18日 | 
ハノイと違って

ホーチミンには日本人がたむろする歓楽街がある。




10年ほど前は、

居酒屋がひしめき合っていたような記憶しかない。


当時、知り合いの居酒屋のおやじは、

ここは商売がしにくいといって

プノンペン(カンボジア)に引っ越していった。


今はほとんどが怪しい店になっていた。



アオザイを着たお姉さん方が客引きをする。




ボクが入ったガールズバーは、

20席ほどあるカウンター席が日本人でほぼ満席だった。



だいたい600,000ドン(3000円)で飲める。



ホテルからの往復は

Grabバイクを呼んでもらったが、

10分くらいの距離を

16,000~18,000ドン(80~90円)で行ける。



これは便利だ。
















ボランティアの日

2018年09月17日 | 100の力
ハノイにいると決まって日曜日の朝は

ホエンキエム湖畔で

ゴミ拾いのボランティアをする。




湖畔では、

おばさま方がエクササイズを行っている光景に出くわした。



いくつになってもアオザイの似合う体形でありたい、という願いを込めて。




何処からともなく

ボランティア志願者が三々五々と集まってくる。



日本人もいる。

親しい友人はほとんど毎週参加している。


回を経るごとに増えている気がする。

子どもたちも参戦している。




地元の人たちが

感謝の笑顔を見せてくれるの嬉しい。


見ず知らずの人たちとあいさつを交わすのも楽しい。




こうした地道な活動が

充実した国際交流を促進する。


ベトナムを知り、

ベトナムに貢献する。


その為に自分にできることは何か。

それを粛々とこなすだけ。



さて、今日は

ハノイからホーチミンへ移動します。














パーソナルブランド

2018年09月16日 | 100の力
もはや名刺を持ち合わせていない。


肩書を上げれば10個以上もある。

店の屋号だってある。

一時はNPO法人も立ち上げた。

(現在はNGOとして存在する)


今は、敢えてそれらを名乗らない。

名刺交換もしない。

(そもそも名刺がないのだから)


問題は、

どれだけ相手に印象付けられるかだ。


そして、

どれだけお互いを必要とするかだ。


名刺をもらっても、

ほとんど見直すことはない。


関心がある人のプロフィールは

名刺だけではむしろ不十分だ。


その人のことが知りたければ、

発信しているSNSやブログ、メルマガを見ればいい。

名前でググれば、出てくる。


まったく発信していない人は、

恐らく世捨て人だろう。

(英語ではcave man)


連絡は、

世界中、ほとんどfacebookのメッセンジャーですます。

電話(free call)も然り。


今のところ事足りている。

不便は感じない。


そもそも、

パーソナルブランドはネット社会で効力を発揮するものだから。


会社や組織の後ろ盾もない。

いわば一匹狼である。


行動も決断も一瞬でする。



これまでの「実績」と「信頼」が基礎だ。


「行動力」、「企画力」がものをいう。


そして、何より、

「結果(成果)」を出さなければならない。


何をやるにも10年はかかる。


ベトナムに来出して、早10年。




ひたすら現地の人たちと交流し、

ハノイや福岡にカフェを開き、

日本語学校を手掛け、

納豆レストランに挑戦したり、

バイオマス事業に係り、

コーヒーやココナツオイルや焼き物の輸入をし、

着物をアオザイにリメイクし、

仕事を斡旋したり、

ベトナム人アイドルをデビューさせたりと

八面六臂の活動をコツコツと積み上げてきた。


試行錯誤の結果が今にある。




失敗や頓挫、無駄なものなど何一つない。

何故なら、

全てが今に繋がっているから。


全ての基本は

自らが「楽しむこと」、

そして、

人様の「お役に立てること」。


行動指針はこの二つに照らし合わせている。



だから、

初対面では "May I help you?" の精神で接する。


何か困ったこと、課題を見つけ、

自分に何ができるかを問う。


そこまで入り込める人とのお付き合いは長い。




【追記】


人を見る時、

その人が、どういうポジション(肩書)にいるかではなく、

どういうことをやっているかを見る。


つまり、

"be" でなく "do" に重きを置く。

ポジションなんていずれ失われるもの。


だが、

行動はキャリアとしてその人となりを形成するもの。


そして、

過去の経歴だけでなく、

これから先、

どんな夢を描いているかが肝心だ。


それは、

自分の生き方に対する「意志」や「哲学性」、

人生を描ききる「美意識(美学)」に繋がっているから。


そしてそれは、

顔や行いにはっきりと出る。