幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「賢く生きるより辛抱強いバカになれ」 稲盛和夫/山中伸弥共著 ”ビジョン&ワークハード”

2015-02-13 01:26:05 | 本の紹介
山中伸弥
VW(ビジョン&ワークハード)が大切。ビジョンは大切だが、行動が伴うことが必要。

アメリカから帰国してうつになり、研究者をやめる手前までいった。
アメリカの研究環境が素晴らしすぎて、帰国後の研究環境との落差にうまく対応できなかった。日本に帰ってからは自分でネズミの世話までしないといけなかった。その当時はマウスES細胞しか樹立されておらず、医学の役に立つかどうかわからなく、自分がやっている研究は人の役に立つだろうかと、だんだん気持ちが落ち込んでいき、その内朝になっても布団から起きられなくなっててき、もう研究やめよう、下手でも手術をやっている方がまだ人の役にたつかもしれないと、本当に研究をやめる直前までいった。そんな時に人間のES細胞が作られたというニュースが飛び込んで来た。ES細胞は医学のためになるということで、突然大きな脚光を浴びるようになった。

稲盛和夫
結果=考え方×熱意×能力
この中で一番重要なのは考え方で次に熱意

JALに持ち込んだこと
 ・部門別採算性 皆がコスト意識を高めるために
 ・稲盛経営哲学 一人ひとりがやる気になること

京セラフィロソフィー(稲盛経営哲学)
 ・常に謙虚に素直な心で
 ・常に明るい前向きに
 ・真面目に一生懸命仕事に打ち込む
 ・地味な努力を積み重ねる
 ・感謝の気持ちを持つ

大善の心で叱る(大善は非常に似たり、小善は大悪に似たり)
叱ることも必要。ただ、その人のことを思って叱る。普段からコミュニケーションを取っておく。皆の前で叱るときは人を選ぶ。

不運なら、運不運を忘れるほど仕事に熱中しろ

イギリスの思想家 ジェームズ・アレンの言葉
「人間の心は庭のようなものです。それは知的に耕されることもあれば、野放しにされることもありますが、そこからは、どちらの場合にも必ず何かが生えてきます。
もし、あなたが自分の庭に、美しい草花の種を蒔かなかったら、そこにはやがて雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い茂ることになります。
優れた園芸家は、庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育みつづけます。同様に、私たちも、もしすばらしい人生を生きたいなら、自分の心の庭を掘り起し、そこから不純な誤った思いを一掃し、そのあとに清らかな正しい思いを植えつけ、それを育みつづけなくてはなりません」

感想
お二人の対談は深いものを感じました。
お二人とも、ビジョンを持って一生懸命努力を積み重ねて来られました。その姿勢が周りの協力者、女神も味方に付けられた様に思いました。このお二人から出た言葉なのでより重みを感じました。

公開講演会 「~うれしい絵本読み聞かせ~聞かせ屋。けいたろう」 絵本は大人も楽しい!

2015-02-12 01:42:20 | 笑顔
●主 催 社会福祉法人 千葉いのちの電話
●講 師 坂口 慶氏  元保育士   
●日 時 2015年2月11日(水)14時10分~15時45分
●場 所 千葉市文化センター9F    ●厚生労働省の補助金

講演内容;
絵本「Mary Smith(メアリー・スミス)」の絵本を読み聞かせ
メアリー・スミスはロンドンに実在した女性で、目覚まし時計が普及する以前に、本当にあった職業で、頼まれた人を起こして回った。頼まれた時間に長い棒で窓を叩いて起こした。起こされた人は窓を開けて起きたことを知らせた。その知らせがあるまで叩き続けた。その話が絵本になった。 

絵本を自分で読むと文書を読むことに必死になり、絵を見ない。読んでもらうことで絵を見る。絵本は読み聞かせが大切だと思う。大人にも絵本を読み聞かせ大切よい。

赤ちゃん絵本に絵本の原点
絵本「だーれだだれだ
ねこさんだ おさかなさんだ あむあむあむ
だーれだだれだ いぬさんだ お肉が好きだ  あむあむあむ
だーれだだれだ ぞうさんだ ばななが好きだ あむあむあむ

後路好章(うしろよしあき)先生、長谷川義史先生
あかちゃんは視力が弱いから 絵ははっきり、黒で縁を取り、背景はなし。
あむあむあむが美味しい言葉。心地よい言葉を待っている。リズミカル言葉と絵。
読み手の顔をゼロ歳の赤ちゃんが見ている。
両唇音(りょうしんおん)が赤ちゃんは好き。
まみむめも パピプぺポ ばびぶべぼ 唇がくっつない言葉
いないいないバー

シュシュポッポ シュシュポッポ ポッポ―
アメリカでやった時も、シュシュポッポが言えた。

そんなの関係ないオッパピー、キャリーパミュパミュも両唇音が入っているから人気が出た。
繰返すことで言葉の関わりができる。

絵本「ぶーぶーぶー」こかぜさち作
お口にぶー ほっぺたにぶー お腹にぶー くるまがぶー 皆でぶぶぶー ばい
次の作品が「ぎゅーぎゅーぎゅー
音との関わりが、赤ちゃん絵本では重要になる。

北千住駅前の路上で絵本の読み聞かせをやった。保育で毎回、佐藤先生が絵本の読み聞かせしてくれた。読んでもらっているクラスは70人で男性は3人だけ。クラスの多くの女性が佐藤先生の読み聞かせを楽しんでいる。自分は皆んなより4歳上だった。そのクラスを皆が楽しみにしていた。佐藤先生は絵本を読んで、それから授業に入った。絵本のコメントも感想も尋ねられることはなかった。その時、大人でも絵本を読んでもらうと良いのではと思った。
2006年卒業式の時に、図書館に行って路上で紙芝居をやろうと思った。しかし、紙芝居の自転車がない。紙芝居を広げてやるのも大変。その時、佐藤先生が読んでくれた絵本を思い出し、絵本15冊借りた。北千住の夜の路上で絵本を15冊並べて、「絵本読み屋始めるよ!」 夜の9時半で誰もお客さんが来ない。中には「売っているのか?」と尋ねられることも。アベックだと彼女が「絵本見たい」と言っても、彼が「いいよ」と言って過ぎて行った。そこで誰もいなくても絵本を読みだした。先ずは練習だと思って読んだ。読んでも読んでも誰も来ない。恥ずかしい気持ちだった。これは罰ゲームかとも思った。でもここで止めたらもう始めないなと思った。
女子高生の2人組(金髪ギャル)、 ウンチングスタイル座って、「なにやっての?」「絵本の読み聞かせ。だれもいないんだよ」「待ち合わせ時間までまだ時間あるから、だったら私たちに読んでよ」「これ読んでよ」と。読み終わったら拍手してくれた。次から次と読んだ。「最後もう一冊だけ読んで」と言って取った絵本が「かわいそうなぞう」だった。<今日は悲しくなるので今日は読まない>。涙ながらに佐藤先生に読んでもらった。「悲しいお話だよ」と言ったら、「知ってる。お母さんに読んでもらったから」。一生懸命読んだ。女の子は絵に夢中。表紙を閉じたら、拍手が聞こえない。選ぶの間違えたかなと思ったら、女の子が下を向いて泣いていた。3人だけの空間ができた感覚を抱いた。これは誰かやらないといけないかなと。だったら僕がやろう。それからいろんなところでやった。一人目が来ない。でも、誰か一人来るまでやった。こんな恥ずかしいことやれるかと思った。今も1回/月やっている。恥ずかしいことで勇気がいること。「大人に絵本、聞かせや」と新聞に取り上げられた。そうしたら、声がかかるようになった。
路上にはいろんな人がいる。酔っ払いも来る。酔っ払いが「よぱらっちゃたよ」と言う。言わなくても酔っぱらっていることがわかるのに。「かわいそうなぞうを読んでよ」。途中で泣き出した。酔っ払いのお父さん「スナック行くより、よっぽどよい」と言ってくれた。

絵本のページをめくるとき“送り”と“迎え”(手で絵を隠す、絵本が動く)がある。
絵本によって縦書きと横書きで本の構成が違う。縦書きの本は右から読む。横書きの本は左から読む。外国から来た絵本では英語は横書きなので、横書きになる。よって絵本は横書きが基本で左から読む。マンガの吹き出し(言葉の部分)は縦書きなので右からになっている。マンガが海外に行くと逆になるので、最後のページに「あなたが読む方向が違っている。右から左に読むのだ」と説明されている。

アメリカでやる時は、右手で絵本持って送りをする。日本では両方ある。迎えではページの下を持つと迎えでも絵本を手で隠さなくてもできる。

歌う絵本「おばけなんてないさ
おばけはこわい おばけはきらい 途中手拍子
おばけはもうこわくないよね。

幸せなら手をたたこう 絵本の中の動物が手をたたく 幸せならしっぽふろう
幸せなら足たたこう 幸せなら万歳しよう

絵本「わたしのて
わたしのて わたしにはにほんの手があります。わたしの手はこんなことができる
ぼたんをはめる 紐をむずぶ 音楽を流す 切る のりではる 混ぜて形を作る
押してたたく なでる 犬をなでる 手はおはなしできる 止まれ たくさんのことができる わたしの手は他の人の手を握れるということ

今聞かせ屋をやって9年目になる。いろんなことがありました。ここで皆さんからご質問を受けたいと思います。

Q;路上の読み聞かせやっててよかったことは?
A;最初の二人との出会い。その他には、進路に悩んでいる高校生と母親が来て、美容師か保育士か悩んでいた。そして保育士を選択した。人の人生に影響を与えたということはとてお大きなこと。

Q;アメリカで日本語の絵本を読まれての体験を?
A;2009年4月、保育士の非常勤で路上読み聞かせやっていた。日本語学校をアメリカでやっている。さちさん。「アメリカにてやってくれない。交通費はだせないけど、生活費はだすから」と。日本語で伝わるのではないかと思っていた。日本語学校では英語が禁止。少し英語を勉強した。日本語学校は日本語を忘れて欲しくないので親が通わせている。
さちさんの日本人学校(桜学園)でスピーチ大会があった。なぜ日本語を学んでいるかを話した。日本語のスピーチを何度も直しているのに、何で自分は日本語だけでやろうとしていたのか。下手な英語を入れたくなかった。アメリカ人の前で英語やるのは勇気がいる。

紀国屋書店サンフランシスコ店でも読み聞かせを行った。少し日本人だがほとんどアメリカ人。日本語だけだとアメリカ人は一冊聞いて帰って行く。聞いていても内容がわからないからである。そこで絵本に英語を加えてチャレンジした。その時の拍手が一番大きかった。絵本は文書もあって完成する。そうしたら、わかってくれた。For me 私に読んでもらっているとの感覚になる。最初の1か月は日本語だけ、2か月目は少し英語を入れた。
ねずみくんのチョッキ 大げさに読む 動物が大きくなって行く。ネズミの自分のチョキが伸びてしまった。そしたら、チョッキがブランコになってしまった。この絵本はアメリカ人に受けた。英語でやっていると日本語を入れると楽しんでくれた。4か月アメリカにいた。
人と人の距離だな。こころの距離。歩み寄りが必要だと実感した。

高校の時はバンドマンだった。その時は路上ミュージシャンをやってミュージシャンを目指していた。高校卒業して音楽の学校に行きボイストレーニングをやっていたが、すごく不安が大きくなった。他の人よりも自分は劣っていると実感した。音楽では仕事にならないと思った。落ち込んだ。そうすると音楽が嫌になって来た。どうしようもないと思って、母親に言った。「お金たくさん出して貰ったけど、音楽家にはなれないかと思う」と。母親は「最初からわかっていた。あんたは音楽やりだしたのは高校からで、他の人はもっと小さい時からだし、でもあなたがやりたいというからやらせていただけ」。それを聞いたらまた音楽が楽しくなった。ボイストレーニング1年終わって、次なにやろうかと思った。

次に入ったのがウルトラマン館に行った。子どもがウルトラマンを握手する。それを見て感動した。子どもたちと接することに興味ができた。そこに来ていた母親が「うちの子にはお父さんがいない。保育園にも男の人がいない」。そこで3年間働いてそれから保育の短大に入った。22歳の時で、すごくプレッシャーがあった。年齢が大学を卒業する歳だったので。実習の場にでたが何もできない。音楽もダメだったし、保育もダメなのか。今までやっていたことを諦めたのではないかと思って鬱になった。寝られないし、3時間ごとに目が覚める。それでも学校に行くと、辛くて、学校にも行けなくなることもあった。とても辛い時期があった。実習で自分が楽しくないことをやろうとしていた。工作はかなり準備もあり大変だった。ギターを持って行ってやったら、子どもたちが付いて来てくれた。それがすごく自信になった。自分が楽しめることをやってみようと思った。ビール売りのアルバイトを昔やっていた。それをもう一度やってみたら、すごくビールが売れるようになっていた。人とのコミュニケーションが上達していた。何やっても上手く行かなかったが、今思うと全てが無駄ではなかった。全部が重なって、「聞かせ屋。けいたろう」になったと思っている。

最後に、絵本「この世界いっぱい」を読み聞かせて終わります。

この世界いっぱい。岩を石を砂を 身体で掘り起こして
この世界いっぱい 広々と ミツバチが飛んで トマトがまっかに
大地に育つベット 当たりの空が広がって行く 満たされている静けさ  
あなたとわたし 希望すること、平和なこと 信頼すること 愛すること(一部)

羽二重くるみ(福井のお土産) 買うには努力も必要

2015-02-11 02:15:17 | 笑顔
羽二重くるみ/金花堂はや川
http://habutaekurumi.com/

羽二重くるみはご存知でしょうか?羽二重餅は有名ですが。
勝山にある本店と福井駅のお店で販売しています。
羽二重餅に煮込んだクルミが入っており、カステラ生地で挟んでいて美味しいです。

日曜日から月曜日にかけ、福井に行って来ました。家内から羽二重くるみを買って来て欲しいとメールが入りました。これは忘れてはいけないと、日曜日に福井駅に行った時に、お店に行きました。お店の場所を確認し、買おうかなと思いましたが日持ちが5日なので、少しでも新しいものをと思い、翌日に買おうと思いました。また買うとお土産を持って仕事先の工場に行くのも嫌だなとの思いがありました。

行きは福井駅からタクシーで仕事先の工場に行きました。帰りは近くの芦原温泉駅になりました。帰りが、福井駅ではなく芦原温泉駅になったのは誤算でした。
15時25分の”特急しらさぎ”がありました。しかし、それに乗ると福井駅で買うことができません。
ネットで調べたら、15分に各駅停車の電車がありました。各駅停車の電車は15時32分にしらさぎは37分に福井駅に着きます。福井駅で5分の待ち合わせがありました。5分あれば何とか途中下車で買えるのではないかと思い各駅停車に乗りました。

ところが芦原温泉駅の各駅停車の電車が雪のため3分遅れて出発しました。福井駅に着いたら35分でした。2分しか待ち合わせがありません。残念、買えなかった。買えば喜ぶのになと思う気持ちと買わなかったら何か文句を言われるではないかとの両方の思いが駆け巡っていました。

諦めて駅弁を買おうとしていたら、しらさぎが5分遅れるとのアナウンスがありました。時計を見たら37分でした。5分ありました。走って改札口を出て、お店で買いホームに戻りました。3分で買うことができました。

最後まで諦めずに、可能性にかけてみるとチャンスを手にすることができることを改めて体験しました。












雪のために電車の乗継(特急⇒新幹線)ができなかった。 感情はどう転ぶか?

2015-02-10 00:35:32 | 笑顔
仕事で福井県の芦原温泉駅近くの工場に行きました。
夜に入り、翌日仕事を終え帰りましたが、帰る日は今年一番の寒気団が訪れ、朝から一日雪でした。
帰りの電車は、”しらさぎ(特急)”に福井駅で乗り、米原で”ひかり”に乗り継ぐチケットでした。

福井でしらさぎに乗りましたが、雪のため米原には20分遅れで着いたために、新幹線のひかりに乗り継げませんでした。
社内のアナウンスは「雪のため遅れたので、ひかりには乗り継げません。米原の駅で駅での案内をお尋ねください。新幹線も5~10分遅れています」だけでした。
1)しらさぎなので、名古屋にそのまま乗って行くのも選択肢です。でもそのまま乗っていたらチケット代はどうなるのか?
2)米原駅での次の乗り継ぎはどうなるのか?
3)新幹線も5~10分遅れていたらひょっとしたら乗り継ぎできるのでは?
つまり、「遅れる&乗り継げできない」のアナウンスはありましたが、その後の選択肢がなく、米原駅で尋ねて欲しいとだけでした。

結局、米原駅で次の”こだま”に乗り、名古屋駅で”のぞみ”に乗り継ぐことができました。
チケットはひかりだったので、のぞみに乗り継ぎができることは、米原駅の駅員さんに尋ねてわかりました。

雪のために遅れることは仕方がないですが、もう少し乗客のための情報提供があってもよかったかと思いました。
米原駅ではみどりの窓口が行列になりました。JR米原駅も改札内だけでなく改札外の窓口も途中から案内してくれました。
行列の真ん中に並んでいましたが、私がぎりぎりチケット切り替えが間に合いました。
間に合わずに、チケット切り替えできずにこだまに乗った人もいたのではと思います。

結局、雪のために東京着が50分遅れました。
昔は、遅れたりするとイライラすることが多かったですが、今はいつも本を持っているので、「読書の時間が増えた」と思い、本を読んでいます。そうするとイライラすることが減りました。不思議なことに家だと時間があってもなかなか本が読めません。電車が遅れたとかという時間が、気持ちの切り替えで読書時間になります。本を読んでいると心も本の中に入り込み、時間を忘れることにもなります。

電車が遅れてトラブル⇒イライラして怒る
電車が遅れてトラブル⇒読書を楽しむ
同じ事象でも、気持ちの持ち方、行動で感情は正反対にすることも!
でも、やはり電車は送れない方がよいですが。笑











アウシュヴィッツ解放70年 メルケル(ドイツ首相)の誓い  ”過去から学び今に生かす”

2015-02-09 00:16:05 | 社会
http://www.newsdigest.de/newsde/column/dokudan.htmlより(一部略)
2015年1月27日は、ナチスのアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所をソ連軍が解放してから、ちょうど70年目に当たる。この日を前に、ナチスによる虐殺の犠牲者を追悼する式典が行われたのだ。

ユダヤ人600万人を虐殺
ナチスがポーランドに建設したアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所では、1940年から5年の間に、ユダヤ人やポーランド人、シンティ・ロマ(ジプシー)、ソ連兵捕虜、同性愛者など約110万人が殺害された。ビルケナウにはシャワー室に見せ掛けたガス室があり、女性や子どもなど肉体労働ができないと判断された被害者は、家畜輸送用の貨物列車で収容所に着くと、直ちにチクロンBという青酸ガスで殺害された。

生存者は語る
式典を主催したのは、国際アウシュヴィッツ委員会(IAK)。1952年に虐殺を逃れた生存者たちが創設した国際機関で、2002年からはベルリンに事務局を置いている。式典では、2人の元収容者たちが証言した。

その内の1人は、ハンガリー在住のエヴァ・ファヒーディ女史(89歳)。1944年5月、当時19歳だったファヒーディ氏は、家族とともにアウシュヴィッツに移送された。収容所のプラットホームには、ナチス親衛隊の軍医で「死の天使」として恐れられたヨーゼフ・メンゲレがいた。彼は、指をただ左右に動かすことによって、ユダヤ人をガス室に送るか、労働させるかを決めていた。彼女は労働者のバラックに送られたが、母親と当時11歳だった妹は直ちにガス室で殺された。

「アウシュヴィッツでは、常に遺体を焼く臭いが立ち込め、いつ殺されるか分からないという恐怖と隣り合わせでした」。「真夏のバラックで、私たちは飢えと乾きに苦しみました。飲み水さえなかったため、糞尿を入れた大きな桶を運ばされたときに、中身がこぼれて手や足が汚れても、体を洗う水はありませんでした」。

アウシュヴィッツの生存者の多くは、心に深い傷を負ったために、長い間自分の体験を他者に語ることができなかった。ファヒーディ氏も45年間にわたり沈黙し続けたが、79歳になったときにアウシュヴィッツ収容所跡を初めて訪れ、自分の経験を本として発表し、語り部としての活動を始めた。

白髪のファヒーディ氏は、苦しそうな表情で語った。「なぜ私だけが生き残ったのでしょう。母と妹には墓標すらありません。2人と同じくアウシュヴィッツで殺された人々に代わって、当時の状況を語り伝えることが、私に与えられた役割だと思います」。聴衆は、彼女が語り終わると、席を立って長い間拍手を送った。

恥の気持ちを告白したメルケル
この後、メルケル首相(キリスト教民主同盟=CDU)が演壇に立った。メルケル氏は「ナチス・ドイツは、ユダヤ人らに対する虐殺によって人間の文明を否定しましたが、アウシュヴィッツはその象徴です。私たちドイツ人は、恥の気持ちでいっぱいです。なぜならば、何百万人もの人々を殺害したり、その犯罪を見て見ぬふりをしたのはドイツ人だったからです」と述べ、ドイツ人がナチス時代に大きな罪を背負った点を強調した。

そして会場の最前列に座ったファヒーディ氏をじっと見つめながら、「あなたは渾身の力を振り絞って、収容所でのつらい体験を語ってくれました。そのことに心から感謝したいと思います。なぜならば、私たちドイツ人は過去を忘れてはならないからです。私たちは数百万人の犠牲者のために、過去を記憶していく責任があります」と語った。

さらにメルケル氏は、ドイツの反ユダヤ主義を厳しく糾弾した。「今日ドイツに住む10万人のユダヤ人の中には、侮辱されたり暴力を振るわれたりした経験を持つ人が増えています。これはドイツの恥です。我々は、反ユダヤ主義、そしていかなる形の差別、排外主義に毅然として対抗しなくてはなりません」。

歴史との対決を国是とするドイツ
さらにメルケル氏は、1月にフランスで起きたテロ事件にも言及し「パリではイスラム過激派が、言論の自由を主張した風刺画家たちやユダヤ系商店を訪れたユダヤ人たちを殺害しました。これは狂信主義が生む結果を明確に示しています」と指摘した。

そして、「ナチス時代のドイツ人の犯罪と批判的に対決すれば、将来我々の共存や尊厳、価値観を奪おうとする勢力に対して、対抗する能力を身に付けることができます」と述べ、過去との対決は、今日の民主主義体制を守る上でも重要な意味を持っていると強調した。メルケル氏の「アウシュヴィッツは我々に、人間性を認め合うことを共存の物差しとするべきだと教えています。アウシュヴィッツは我々全員にとって、将来も重要な問題であり続けるでしょう」という言葉は、ドイツ社会の主流派が、歴史との対決を国是としていることを明確に示している。

敗戦から70年目に当たる今年、彼女の言葉は私たち日本人にとって「対岸の火事」だろうか。(熊谷徹氏)

感想;
日本ではどうでしょうか?
政府高官は日本が行ったことは正当化、虐殺などはなかったと否定する方向に向いているように思うのですが・・・。
過去を今に生かさないと、また繰り返してしまうのではないでしょうか?