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作家・曽野綾子さんコラム 海外は批判、日本は抑制的 人権意識メディアに差? ”日本社会が問われている”

2015-02-22 01:35:41 | 社会
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/article/146466
作家の曽野綾子さんが、人種ごとに居住区を分けるべきだと主張した産経新聞のコラムが波紋を広げている。欧米メディアは、アパルトヘイト(人種隔離)を「称賛した」と問題視し、曽野さんが「安倍晋三首相の助言者」だとして、政権との関係を結び付ける報道も目立つ。一方、日本メディアはあまり反応せず、批判も抑制的にみえる。日本が人権問題に鈍感なのか、欧米メディアが過剰反応しているのか。

 コラムは11日付の産経朝刊に掲載された。いち早く問題視したのは英のロイター通信だ。13日の菅義偉官房長官の記者会見で、ロイターの日本人記者がコラムに関する政府の認識を2回質問。菅氏は「個人の見解について政府としてコメントは控えたい。日本は法の下の平等が保障されている」と述べた。会見場には西日本新聞記者も2人いたが、日本メディアからは質問が出なかった。

 ロイターは同日、「首相の元アドバイザーがアパルトヘイトを称賛」と報道。曽野氏について、2013年まで安倍内閣の教育再生実行会議委員を務め、「自民党の長年の助言者」だと紹介した。

 南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使が産経に抗議文を送付すると、米のAP通信やフランスのAFP通信も相次ぎ報道。南アのウェブニュース(電子版)はAFPの記事を掲載し、「南ア政府がアパルトヘイト称賛について日本の新聞を非難」と見出しを付けた。シンガポールのストレーツ・タイムズ紙(同)や米ニューヨーク・タイムズ紙(同)も通信社電を報じた。

 自前の記事を報道したメディアもある。米ウォールストリート・ジャーナル紙は、「国際社会の一員として恥ずべき考え」とする識者のコメントを載せ、13年に曽野さんが「女性は出産後、仕事を辞めるべきだ」と発言したことも紹介した。米誌ニューズウィーク系のウェブサイトは、日本の主要メディアがこの問題で批判を躊躇(ちゅうちょ)していると指摘。「あり得る理由」として、首相と主要メディア幹部が会食を繰り返していることを挙げた。

 これに対し、この問題を大きく取り上げた在京メディアは東京新聞と朝日新聞ぐらいだ。昨年秋、自民党の稲田朋美政調会長や、高市早苗総務相が極右団体と撮った写真が公開された際も、欧米メディアが相次ぎ非難し、日本メディアは出遅れた。

 在日コリアンへのヘイトスピーチ(憎悪表現)も、昨年7月には国連の自由権規約委員会が、8月には人種差別撤廃委員会が法規制を含む対応を求めた。欧米メディアは人権問題として厳しく非難しているが、日本ではメディアも含め法規制の論議が深まっているとは言い難い。

 立教大の服部孝章教授(メディア法)は「政府や権力という強いものに巻かれやすい日本メディアは、主体性を持って差別や人権問題を取り上げず、海外で問題になって初めて批判する。産経も編集権があり、コラム掲載には責任がある」と指摘する。

 アパルトヘイト下の南アで暮らした経験がある九州大の小川玲子准教授(移民研究)は「アパルトヘイトは人道に対する罪と国連で認定されており、居住を分けることは差別の象徴。正当化するようなコラムの発表は極めて残念だ」と語った。

 ■曽野さん「撤回は表現の自由に関わる」
 曽野綾子さんは西日本新聞の取材に対し、コメントを文書で寄せた。
 (コラムがアパルトヘイトを肯定、擁護しているとの批判について)あなたのご質問は、現代の日本で、武家制度を復活し、脇差しをさして生活することを望むか、という感じです。私にはよくわかりません。

 (コラムが海外メディアで多く報じられ、産経新聞への抗議や撤回を求める動きがあることについて)私は安倍総理の「アドヴァイザー」だったことなど一度もありません。そのような間違った報道を正すことをしてください。一作家が書いた文章を撤回させるということは、表現の自由に関わる問題です。日本はそんな国でしたでしょうか。

 ■産経新聞「人種差別一貫して許されず」
 産経新聞の小林毅東京編集局長は15日付朝刊で社の見解を表明。「当該記事は曽野綾子氏の常設コラムで、曽野氏ご本人の意見として掲載しました。産経新聞は、一貫してアパルトヘイトはもとより、人種差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」としている。

 ■産経新聞コラムの要旨
 最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。一方で若い世代の人口が減る日本では、労働力補充のためにも、労働移民を認めねばならない立場に追い込まれている。

 しかし同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。条件を納得して日本に出稼ぎに来た人たちに契約を守らせることは、何ら非人道的なことではない。

 外国人を理解するために、居住を共にすることは至難の業だ。20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、白人、アジア人、黒人に分けて住む方がいい、と思うようになった。人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい。

感想;
「人間にとって成熟とは」曽野綾子著 野田聖子議員の息子さんの医療費について批評
http://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/7f6703d65e3d97d2c7c13f2741b84133

またまた、曽野綾子氏はどうしてしまわれたの?と思ってしまいました。
野田聖子議員の息子さんの医療費についての批判も???でした。
元々がそういう考えの人だったのでしょうか?

海外で同じ国出身の人が集まっているところはあります。それは、便利だとかさまざまな理由があっての結果だと思います。
それと、「白人、アジア人、黒人に分けて住む方がいい」の考えとは違い、差別に繋がることではないでしょうか。

今問われているのは、”曽野さん「撤回は表現の自由に関わる」”の問題ではなく、曽野綾子氏ほどの影響力のある方が、そのような考え方をされ、公の新聞に意見を出されることが問われているのだと思います。それを掲載している新聞社はそれを支持していることになるためそれも問題であり、それを支持している日本人がいることも問題視しているように感じました。影響力がある人の発言は、アパルトヘイトの肯定につながり、それを放っておくことは日本の社会が容認したことにもつながるために海外メディアも取り上げているのだと思います。