2008年6月、秋葉原で死者7名、負傷者10名を出す無差別殺傷事件が発生。「派遣切り」「ネット掲示板」という言葉が取り上げられました。
この本は犯人(加藤智大)の生い立ちから犯罪を犯すまでの生活を、周りの人のインタビューなどから集め、何故犯行に至ったかを知ろうとした本でした。
事件4日前に、子供の頃からの回想をネットに書いた。
唐突に小学生の頃を思い出した
人生にはモテ期が3度あるらしいけど、俺のモテ期は小4、小5、小6だったみたいだ。
考えてみりゃ納得だよな。親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、
親に無理やり勉強させられてたから勉強は完璧。
小学生なら顔以外の要素でモテたんだよね。俺の力じゃないけど。
親が周りに自分の息子を自慢したいから、完璧にしあげたわけだ。
俺が書いた作文とかは全部親の検閲が入ってたっけ。
中学生になった頃には親の学力が足りなくなって、捨てられた。
より優秀な弟に全力を注いだ。・・・
その弟は高校に入学して3か月で引きこもりになり、母親が自分の育て方に問題があったと弟に謝罪して、母親と弟は和解した。
母親は子どもたちを厳しき過干渉で育てたようです。
加藤が小学校の時、食べるのに時間がかかった。すると母は、彼が食べていた途中の食事をチラシの上にぶちまけ、それを食べさせた。
弁護士「チラシに食事をまかれてどうしたんですか」
被告「必死で食べました」
弁護士「どんな気持ちでしたか」
被告「屈辱的でした」
時には、チラシの上でなく、廊下にまかれたこともあった。
母は裁判で事実として認めている。
「被告は食べるのが遅かったので、早く片付けしたくて、食事を茶碗からチラシの上にあけて食べさせたこともありました」。
「夫は毎日お酒を飲んで帰りが遅くなり、暴れたりしたり、帰宅しない日もあり、そのイライラやはけ口を子どもたちに八つ当たりすることがたびたびありました。」(裁判所記録)
被告が中学に入り、野球部に入りたいと言ったら、母からは野球部はダメ、陸上部に入りなさいと言われ陸上部に入った。小さい時から、母は理由を説明してくれなかった。
被告は、言葉で説明することをせずに、行動で示すようになったそうです。それが対人関係でもトラブルを起こしていました。
被告は中学まで成績が良かったので、進学校青森高校に入学した。母親は北海道大学に入れたかったが、高校では成績が落ち車の整備系の技術短大に進んだ。しかし、そこでは勉強する気持ちにならずに、同級生が資格を取って行く中、資格を取れずに卒業しました。
それから仕事を転々としましたが、まじめに仕事に取り組んだので職場では認められることが多かったようです。職場でも話し相手や友だちも出来ていました。
被告は友達もその時その時でいたようです。ただ、リアルな関係では本音で付き合うことができなかったそうです。ただ一人、本音で付き合える人がいました。その人が本音で彼に接し、彼も本音で話をすることができました。しかし、リアルの世界ではそういった関係を築くことが難しく彼にとってはネットの中でのコミュニケーションが真の場だったようです。
ネットの管理人を尋ねる旅を企画してネット仲間に提案したら、それは面白いとレスポンス(レス)があったが、実際は休暇が取れずに集まりませんでした。そこで、彼がネット仲間を尋ねながら管理人のところに行く度をネットで報告することを提案したら、それは楽しみとのレスが寄せられた。そこで一週間休みを上司に依頼したら、上司から「遊びの旅で一週間も休暇は認められない」と貰えなかった。正直に話さずにもっともらしい口実を付ければ認められたかもしれませんが、それができなかった/しなかったようです。結局、休暇が認められないので、退職してその旅を実行します。
一方、ネットでは彼になりすまして彼のネットの場を荒らす投稿者が出て来ました。閲覧の邪魔をするためにネットを見難くするなどの投稿もあり、だんだんネット仲間もネットから去って行きました。
リアルな世界は、逃避してしまい、住まいもそのままにしてでていました。真の場であるネットの場所も投稿しても誰もレスが返って来ません。好きだったネット仲間の女性にも断られたこともあり、事件を起こすことを考えたようです。事件を起こせば注目される。事件により問題をわかって貰える、つまり言葉での説明よりも行動で示したい。それがよく行っていた秋葉原での殺傷事件になりました。
事件後、彼の行動に対する高い共感が社会に衝撃を与えました。
著者はこの事件が何故起きたか、それを真に理解するためには彼の生い立ちから交流、人生を丁寧に描くことで、事件が起きた背景を知りたいと思ったそうです。
感想;
今、イスラム国の問題が世界の問題になっています。イスラム教の人もイスラム国に対して、本当のイスラムの教えではないと強い嫌悪感を持っています。ではなぜ、多くの若者たちが集まるのか。それは社会に対する不満などがあるからだと言われています。それを少しでも解決していかないと、そのような若者を減らすことはできないと。
この本は犯人(加藤智大)の生い立ちから犯罪を犯すまでの生活を、周りの人のインタビューなどから集め、何故犯行に至ったかを知ろうとした本でした。
事件4日前に、子供の頃からの回想をネットに書いた。
唐突に小学生の頃を思い出した
人生にはモテ期が3度あるらしいけど、俺のモテ期は小4、小5、小6だったみたいだ。
考えてみりゃ納得だよな。親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、
親に無理やり勉強させられてたから勉強は完璧。
小学生なら顔以外の要素でモテたんだよね。俺の力じゃないけど。
親が周りに自分の息子を自慢したいから、完璧にしあげたわけだ。
俺が書いた作文とかは全部親の検閲が入ってたっけ。
中学生になった頃には親の学力が足りなくなって、捨てられた。
より優秀な弟に全力を注いだ。・・・
その弟は高校に入学して3か月で引きこもりになり、母親が自分の育て方に問題があったと弟に謝罪して、母親と弟は和解した。
母親は子どもたちを厳しき過干渉で育てたようです。
加藤が小学校の時、食べるのに時間がかかった。すると母は、彼が食べていた途中の食事をチラシの上にぶちまけ、それを食べさせた。
弁護士「チラシに食事をまかれてどうしたんですか」
被告「必死で食べました」
弁護士「どんな気持ちでしたか」
被告「屈辱的でした」
時には、チラシの上でなく、廊下にまかれたこともあった。
母は裁判で事実として認めている。
「被告は食べるのが遅かったので、早く片付けしたくて、食事を茶碗からチラシの上にあけて食べさせたこともありました」。
「夫は毎日お酒を飲んで帰りが遅くなり、暴れたりしたり、帰宅しない日もあり、そのイライラやはけ口を子どもたちに八つ当たりすることがたびたびありました。」(裁判所記録)
被告が中学に入り、野球部に入りたいと言ったら、母からは野球部はダメ、陸上部に入りなさいと言われ陸上部に入った。小さい時から、母は理由を説明してくれなかった。
被告は、言葉で説明することをせずに、行動で示すようになったそうです。それが対人関係でもトラブルを起こしていました。
被告は中学まで成績が良かったので、進学校青森高校に入学した。母親は北海道大学に入れたかったが、高校では成績が落ち車の整備系の技術短大に進んだ。しかし、そこでは勉強する気持ちにならずに、同級生が資格を取って行く中、資格を取れずに卒業しました。
それから仕事を転々としましたが、まじめに仕事に取り組んだので職場では認められることが多かったようです。職場でも話し相手や友だちも出来ていました。
被告は友達もその時その時でいたようです。ただ、リアルな関係では本音で付き合うことができなかったそうです。ただ一人、本音で付き合える人がいました。その人が本音で彼に接し、彼も本音で話をすることができました。しかし、リアルの世界ではそういった関係を築くことが難しく彼にとってはネットの中でのコミュニケーションが真の場だったようです。
ネットの管理人を尋ねる旅を企画してネット仲間に提案したら、それは面白いとレスポンス(レス)があったが、実際は休暇が取れずに集まりませんでした。そこで、彼がネット仲間を尋ねながら管理人のところに行く度をネットで報告することを提案したら、それは楽しみとのレスが寄せられた。そこで一週間休みを上司に依頼したら、上司から「遊びの旅で一週間も休暇は認められない」と貰えなかった。正直に話さずにもっともらしい口実を付ければ認められたかもしれませんが、それができなかった/しなかったようです。結局、休暇が認められないので、退職してその旅を実行します。
一方、ネットでは彼になりすまして彼のネットの場を荒らす投稿者が出て来ました。閲覧の邪魔をするためにネットを見難くするなどの投稿もあり、だんだんネット仲間もネットから去って行きました。
リアルな世界は、逃避してしまい、住まいもそのままにしてでていました。真の場であるネットの場所も投稿しても誰もレスが返って来ません。好きだったネット仲間の女性にも断られたこともあり、事件を起こすことを考えたようです。事件を起こせば注目される。事件により問題をわかって貰える、つまり言葉での説明よりも行動で示したい。それがよく行っていた秋葉原での殺傷事件になりました。
事件後、彼の行動に対する高い共感が社会に衝撃を与えました。
著者はこの事件が何故起きたか、それを真に理解するためには彼の生い立ちから交流、人生を丁寧に描くことで、事件が起きた背景を知りたいと思ったそうです。
感想;
今、イスラム国の問題が世界の問題になっています。イスラム教の人もイスラム国に対して、本当のイスラムの教えではないと強い嫌悪感を持っています。ではなぜ、多くの若者たちが集まるのか。それは社会に対する不満などがあるからだと言われています。それを少しでも解決していかないと、そのような若者を減らすことはできないと。