竜王戦が渡辺竜王7連覇で終幕し1日が経った。悲しみに打ちひしがれているかというと、そうでもありません。多分たくさんの羽生ファンも同じだと思いますが、当然仕事がある身なので、そういう感情に沈んでいることは許されず、仕事中というか生活する中のふとした瞬間に「ああ、負けちゃったんだな」と思いだす一日でした。
竜王戦に関しては、1局1局について書きあげてから総括すべきだと思いますが、先日やっと第2局が書けたという状況なので、総括を書くのは遠い未来というか、書ける日が来ない可能性も大です。
書けたとしても「今更感」が強すぎですし、私の感じた印象なども薄れていると思われるので、今書くのが最善手でしょう。
ただ、気持ちの整理がついていないので、羽生ファンとしての悔しさや、負けを認めたくない負け惜しみが滲んだものになるのはお許しください。
Ⅰ 渡辺竜王の勝因
①羽生名人にコンプレックスを感じていない
ご存知のように羽生名人に勝ち越している棋士はほとんどいない。羽生世代、その上の世代はもちろん、羽生世代より若い世代にも羽生に勝ち越し、あるいは五分に渡り合っている棋士は渡辺竜王を除くと深浦九段ぐらいしかいない。対戦成績が五割で「羽生キラー」と呼ばれるほどである。
初顔合わせの若手に対してもその強さを発揮し、対若手戦で20連勝ぐらい続けていた記憶がある。ただ、今年度に入り、初対局で、戸辺六段、広瀬王位、豊島六段に続けて敗れ、その神話に陰りが出てきている。
羽生-渡辺の対戦成績は今回の竜王戦前までは10勝10敗の五分。しかし、2年前の竜王戦から流れが大きく変わり、2年前の竜王戦第4局以降は竜王の6勝1敗。
かなり偏っていると考えられるが、あの竜王戦の4連勝を除くと2勝1敗。しかも、竜王戦後の2年間は2局(1勝1敗)しか対戦していない。竜王にとってはコンプレックスどころか、2年前のいいイメージをそのまま持っている。
逆に羽生名人にとっては、あの痛手を2年間ずっと抱えたままでいた。2年間で2局しか対局していないので、苦手意識の払拭どころか、渡辺将棋の本質もつかめずに悪いイメージを無意識に増幅させてしまっていたのではないだろうか。しかも、今シリーズの出だしの連敗+王将リーグの敗戦で直近10局では1勝9敗と屈辱的な対戦成績となり、さらに悪いイメージは増幅された。
②挑戦者になる大変さ
今回挑戦を決めた時のインタビューで名人は
「竜王戦の挑戦者になるのは大変。(敗者復活戦があり5人の枠があるが)1組で勝ち上がっても、そのあと挑戦者決定トーナメントがこれまた大変。1組の戦いが2回あるような感じ」
というように話していた。
また、名人位挑戦権についても
「A級順位戦はほぼ1年あり長いんですよ」
と同様な感想を語っている。
棋界のレベルが上がったこと(羽生名人自信がレベルの引き上げに貢献している)により、挑戦権獲得に困難さを感じるようになった。それにより、「できれば今回で決めたい」という思いが強くなってきている。
③渡辺将棋と羽生将棋の相性
「相性」という言葉に逃げたくはないのですが……。
以前にも述べたことがあるかもしれないが、読みのリズムが合わないのではないか。
羽生名人は一局の将棋は読みの積み重ねで出来上がると考えている。定跡や研究の道筋をたどっていけばスイスイ進めるところでも、立ち止まって周りを見渡し樹木の後ろや看板の陰などを覗きたい。ところが、渡辺竜王はそういったものは実戦では不要でなるべく方針を決めて想定した局面に進めたい。もちろん想定した局面やそこに至る道に落とし穴がないかを検証する作業は必要だ。
羽生名人にしてはもう少し眺めていたい場面でも、竜王がずんずん進んでいってしまうので、ストレスに近いものを感じてしまうのではないだろうか。
両者の違いは心理面だけでなく、物理面(ちょっとニュアンスが違うかも)でも少なからず違いがある。
車に例えると、羽生名人は障害物を完璧なコーナリングでクリアしていく、きれいな弧を描きながら、しかも、紙一重で障害物をかわしていく。しかも、スピードを落とさず立ち上がりもフル加速で。
過去の定跡や研究を踏まえながら、また、一局の流れも考慮しつつ、さらに、局面局面をそのつど新鮮な目で解析しなおして、読みの精度を上げ大局観も駆使して読み進めている。
対する渡辺竜王は直線的なコーナリング。コーナー手前まで直線的に入り、そこで一気にターンをし、直線的にコーナーに突っ込んでいく。スキーの回転競技のように旗門の前でターンを終え肩から旗にぶつかっていくイメージだ。もちろん、強靭な足腰(タイヤのグリップ力)と基礎体力(エンジン)とボディの頑丈さが要求される。ただ、読みの省略がうまいので、細かいコーナリングはそれほど要さない。
具体的に将棋について言及するとしたら、先ほど述べたように定跡や研究を基に、対局前や開始直後に目指す局面を想定しそこを目指す。中盤以降は寄せ筋をある程度想定し、それを目指すための方針(受け切る、斬り合う、入玉含みに上部を厚くする)を決める。
両者とも高いスペックが要求されるが、名人の方がエネルギー的にも物理的(制動力やタイヤやエンジン)にも消耗が激しいように思える。
Ⅱ 今シリーズの印象
④渡辺竜王の巧みな戦略
特に第4局、第6局の後手番において、それは感じられた。
角換わりの後手番は分が悪く、ここ数年それを避ける傾向が強くなってきている。ひいては2手目に△8四歩を突きにくい状況に陥っている(角換わり後手番に成算がないと△8四歩を突けない)。
そこを敢えて角換わり後手番を受ける竜王。ただ、今シリーズは主流の角換わり同型ではなく、途中変化した亜流に持ち込んだ。互角というより先手が有利に持ち込むには枝葉が多く「よくできるのならやってみろ」(第4局)、防戦一方だが千日手も辞さない指し方で「千日手を打開してみろ」(第6局)という一種の開き直りとも見れる。
さらに微妙なのは、その間に指されたA級順位戦の対郷田戦。例の角換わり同型で新手を駆使したが、郷田九段に敗れている。
ここからは、私の妄想と思って読んでください。竜王は郷田戦の新手と第六局の千日手の新工夫を研究していた。郷田戦の新手は「たぶん郷田九段には通用しない。ある程度成功の可能性はあるが低い。もちろん成功しなくても、逆転できる範囲内でおさめることはできるだろう。うまくいけば勝てるかも」ぐらいだったのではないか。
それを敢えて直前の順位戦で用いたのは、ある程度の自信があったということもあるが、新手を見せることにより羽生名人の注意をそちらに向けておき、真の狙いの第6局の新工夫を徹底的に研究し、ぶつける……勘ぐり過ぎですよね。
⑤指し手の印象
渡辺竜王の指し手には自信と強い意志を感じた。
受けるなら徹底して受け、攻め合いなら一歩も引かない。特に受ける時は単に守りを固めるのではなく、相手の攻めを切らすか、入玉を含みに上部を厚くする力強い受けが目立った。「緩みは許しませんよ」という強い意思だ。
羽生将棋の特徴は指しての選択肢が多い局面に誘導して、そこから最善手順を紡ぎだす。複雑怪奇な羽生ワールドに引き込み相手を溺れさす。しかも、その複雑な局面においても押したり引いたり、時には手を渡して相手に決めさせる羽生マジックだ。
しかし、このシリーズは羽生名人の指し手はどこか強迫観念に駆られた前につんのめっている印象が強い。Ⅰで挙げた要因もあるが、渡辺竜王の頑強な指し手が羽生名人の手を限定させた感が強い。
Ⅲ 総括
今回、渡辺竜王の強さを十二分に感じたシリーズだった。ただ、戦略、心理面などを加えた総合的な力で羽生名人を上回っていたと考える。
しかし、純粋な将棋の力としては羽生名人が上回っていると考えたい(はい、かなり願望を含んでいます)。
羽生名人の「将棋が好きな力」が今後も羽生将棋の変革を進め、羽生対渡辺の名勝負が続いていくことだろう。
竜王戦に関しては、1局1局について書きあげてから総括すべきだと思いますが、先日やっと第2局が書けたという状況なので、総括を書くのは遠い未来というか、書ける日が来ない可能性も大です。
書けたとしても「今更感」が強すぎですし、私の感じた印象なども薄れていると思われるので、今書くのが最善手でしょう。
ただ、気持ちの整理がついていないので、羽生ファンとしての悔しさや、負けを認めたくない負け惜しみが滲んだものになるのはお許しください。
Ⅰ 渡辺竜王の勝因
①羽生名人にコンプレックスを感じていない
ご存知のように羽生名人に勝ち越している棋士はほとんどいない。羽生世代、その上の世代はもちろん、羽生世代より若い世代にも羽生に勝ち越し、あるいは五分に渡り合っている棋士は渡辺竜王を除くと深浦九段ぐらいしかいない。対戦成績が五割で「羽生キラー」と呼ばれるほどである。
初顔合わせの若手に対してもその強さを発揮し、対若手戦で20連勝ぐらい続けていた記憶がある。ただ、今年度に入り、初対局で、戸辺六段、広瀬王位、豊島六段に続けて敗れ、その神話に陰りが出てきている。
羽生-渡辺の対戦成績は今回の竜王戦前までは10勝10敗の五分。しかし、2年前の竜王戦から流れが大きく変わり、2年前の竜王戦第4局以降は竜王の6勝1敗。
かなり偏っていると考えられるが、あの竜王戦の4連勝を除くと2勝1敗。しかも、竜王戦後の2年間は2局(1勝1敗)しか対戦していない。竜王にとってはコンプレックスどころか、2年前のいいイメージをそのまま持っている。
逆に羽生名人にとっては、あの痛手を2年間ずっと抱えたままでいた。2年間で2局しか対局していないので、苦手意識の払拭どころか、渡辺将棋の本質もつかめずに悪いイメージを無意識に増幅させてしまっていたのではないだろうか。しかも、今シリーズの出だしの連敗+王将リーグの敗戦で直近10局では1勝9敗と屈辱的な対戦成績となり、さらに悪いイメージは増幅された。
②挑戦者になる大変さ
今回挑戦を決めた時のインタビューで名人は
「竜王戦の挑戦者になるのは大変。(敗者復活戦があり5人の枠があるが)1組で勝ち上がっても、そのあと挑戦者決定トーナメントがこれまた大変。1組の戦いが2回あるような感じ」
というように話していた。
また、名人位挑戦権についても
「A級順位戦はほぼ1年あり長いんですよ」
と同様な感想を語っている。
棋界のレベルが上がったこと(羽生名人自信がレベルの引き上げに貢献している)により、挑戦権獲得に困難さを感じるようになった。それにより、「できれば今回で決めたい」という思いが強くなってきている。
③渡辺将棋と羽生将棋の相性
「相性」という言葉に逃げたくはないのですが……。
以前にも述べたことがあるかもしれないが、読みのリズムが合わないのではないか。
羽生名人は一局の将棋は読みの積み重ねで出来上がると考えている。定跡や研究の道筋をたどっていけばスイスイ進めるところでも、立ち止まって周りを見渡し樹木の後ろや看板の陰などを覗きたい。ところが、渡辺竜王はそういったものは実戦では不要でなるべく方針を決めて想定した局面に進めたい。もちろん想定した局面やそこに至る道に落とし穴がないかを検証する作業は必要だ。
羽生名人にしてはもう少し眺めていたい場面でも、竜王がずんずん進んでいってしまうので、ストレスに近いものを感じてしまうのではないだろうか。
両者の違いは心理面だけでなく、物理面(ちょっとニュアンスが違うかも)でも少なからず違いがある。
車に例えると、羽生名人は障害物を完璧なコーナリングでクリアしていく、きれいな弧を描きながら、しかも、紙一重で障害物をかわしていく。しかも、スピードを落とさず立ち上がりもフル加速で。
過去の定跡や研究を踏まえながら、また、一局の流れも考慮しつつ、さらに、局面局面をそのつど新鮮な目で解析しなおして、読みの精度を上げ大局観も駆使して読み進めている。
対する渡辺竜王は直線的なコーナリング。コーナー手前まで直線的に入り、そこで一気にターンをし、直線的にコーナーに突っ込んでいく。スキーの回転競技のように旗門の前でターンを終え肩から旗にぶつかっていくイメージだ。もちろん、強靭な足腰(タイヤのグリップ力)と基礎体力(エンジン)とボディの頑丈さが要求される。ただ、読みの省略がうまいので、細かいコーナリングはそれほど要さない。
具体的に将棋について言及するとしたら、先ほど述べたように定跡や研究を基に、対局前や開始直後に目指す局面を想定しそこを目指す。中盤以降は寄せ筋をある程度想定し、それを目指すための方針(受け切る、斬り合う、入玉含みに上部を厚くする)を決める。
両者とも高いスペックが要求されるが、名人の方がエネルギー的にも物理的(制動力やタイヤやエンジン)にも消耗が激しいように思える。
Ⅱ 今シリーズの印象
④渡辺竜王の巧みな戦略
特に第4局、第6局の後手番において、それは感じられた。
角換わりの後手番は分が悪く、ここ数年それを避ける傾向が強くなってきている。ひいては2手目に△8四歩を突きにくい状況に陥っている(角換わり後手番に成算がないと△8四歩を突けない)。
そこを敢えて角換わり後手番を受ける竜王。ただ、今シリーズは主流の角換わり同型ではなく、途中変化した亜流に持ち込んだ。互角というより先手が有利に持ち込むには枝葉が多く「よくできるのならやってみろ」(第4局)、防戦一方だが千日手も辞さない指し方で「千日手を打開してみろ」(第6局)という一種の開き直りとも見れる。
さらに微妙なのは、その間に指されたA級順位戦の対郷田戦。例の角換わり同型で新手を駆使したが、郷田九段に敗れている。
ここからは、私の妄想と思って読んでください。竜王は郷田戦の新手と第六局の千日手の新工夫を研究していた。郷田戦の新手は「たぶん郷田九段には通用しない。ある程度成功の可能性はあるが低い。もちろん成功しなくても、逆転できる範囲内でおさめることはできるだろう。うまくいけば勝てるかも」ぐらいだったのではないか。
それを敢えて直前の順位戦で用いたのは、ある程度の自信があったということもあるが、新手を見せることにより羽生名人の注意をそちらに向けておき、真の狙いの第6局の新工夫を徹底的に研究し、ぶつける……勘ぐり過ぎですよね。
⑤指し手の印象
渡辺竜王の指し手には自信と強い意志を感じた。
受けるなら徹底して受け、攻め合いなら一歩も引かない。特に受ける時は単に守りを固めるのではなく、相手の攻めを切らすか、入玉を含みに上部を厚くする力強い受けが目立った。「緩みは許しませんよ」という強い意思だ。
羽生将棋の特徴は指しての選択肢が多い局面に誘導して、そこから最善手順を紡ぎだす。複雑怪奇な羽生ワールドに引き込み相手を溺れさす。しかも、その複雑な局面においても押したり引いたり、時には手を渡して相手に決めさせる羽生マジックだ。
しかし、このシリーズは羽生名人の指し手はどこか強迫観念に駆られた前につんのめっている印象が強い。Ⅰで挙げた要因もあるが、渡辺竜王の頑強な指し手が羽生名人の手を限定させた感が強い。
Ⅲ 総括
今回、渡辺竜王の強さを十二分に感じたシリーズだった。ただ、戦略、心理面などを加えた総合的な力で羽生名人を上回っていたと考える。
しかし、純粋な将棋の力としては羽生名人が上回っていると考えたい(はい、かなり願望を含んでいます)。
羽生名人の「将棋が好きな力」が今後も羽生将棋の変革を進め、羽生対渡辺の名勝負が続いていくことだろう。