英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

トッカン -特別国税徴収官- 第6話

2012-08-23 20:21:22 | ドラマ・映画
 すみません、簡単感想です。

①他の案件で職員総出で出払ってしまい、ぐー子ひとりで計画倒産に当たることになったが、1人ぐらいぐー子の補助に回っても影響ないと思う。10人→9人(←人数は適当ですが、1割減)と1人→2人(倍増)と考えるが…

②冷徹(そうな)役人役の島田久作さん、相変わらずいい味出すなあ。(『ATARU』の時もよかった)

③まったく役に立ちそうになかった署長(岩松了)が陰で活躍したとは

④藤原摂関家(堀部圭亮)が、現代で悪事を!

⑤変女3人組(井上真央、木南晴夏、美波)がいい感じだった

⑥大島プラスチックが何とかやっていると聞きホッとした。まあ、あの状態から立ち直るのはご都合主義だとは思うが

⑦「法律にだって心が要る」という理屈は説得力はありませんが、そうあって欲しい

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甲子園 ~勝利至上主義~

2012-08-23 14:49:36 | スポーツ
実は、昨日の記事には続き(というか、本題)があったのですが、少し過激な内容なので一旦アップした後、削除しました。しかし、せっかく書いたので、やはりアップします。


 今回も出場していてベスト4に進出、常連校であり強豪校である明徳義塾。今年のチームも好チームであった。ここまで読んで、「ああ、あのことかな」と思い当る方もいらっしゃるかもしれない。
 このチームの監督が馬淵監督で、氏の顔を観るたび複雑な気持ちになる。プロフィールには同校の教頭とある。

「1992年8月16日、第74回全国高等学校野球選手権大会2回戦の明徳義塾高校(高知)対星稜高校(石川)戦において、明徳義塾が、星稜の4番打者・松井秀喜を5打席連続して敬遠する作戦を敢行し、この試合で松井が一度もバットを振ることないまま星稜が敗退した出来事である」(ウィキペディアの文をそのまま引用)
 詳しくは、ウィキペディアの「松井秀喜5打席連続敬遠」の項を。

 ランナーを背負っている場面ならともかく、7回表の松井の第4打席では二死無走者(3-2と明徳1点リード)からの敬遠は、やり過ぎだと思う。
 確かに、潔く力の差を認め、ある種の代償(1塁に出塁させる)を払って勝負を避ける(危険を回避)するのは、正当な作戦である。
 しかし、甲子園は高校球児にとって憧れの地で、そこで思い切りプレーをすることを目指して厳しい練習や苦しい県予選を戦ってきた松井選手の気持ちを思うと、あまりの仕打ちではないかと憤慨した。(松井選手は春のセンバツでは、初戦の対宮古戦で2打席連続本塁打、2回戦の堀越戦でも本塁打を打っている。また1年生の時も出場、2年生の時もホームランを打っているので、「甲子園」でバットを振っていないというわけではない)

 ただ、これだけなら、20年も前の事を何の関係もない私が書くべきことではない。
 しかし、馬淵監督のコメントを読むと、どうしても書かずにはいられない気持ちになってしまう(ウィキペディアを鵜呑みにしてはいけないとは思うが)。この気持ちは、今年持ったわけではなく、20年間胸にくすぶり続けている。

「松井への全打席敬遠は私が指示した。生徒達には『オレが全て責任取るから心配するな』と伝えた。本当はためらったのだが、こちらも高知県代表として初戦で負けるわけにはいきませんから。負けるための作戦を立てる監督は誰もいない、私は全てを読んだ」

 高知県を代表すると初戦で負けてはいけないのか?高知県民は、一生懸命戦って負けたものを責めるのか?
 「負けるための作戦」=「松井選手と勝負する」なのかという問題は難しい。ただ、二死無走者で敬遠するということは、「松井選手と勝負する」=「100%ホームランを打たれる」という式が監督の頭には出来あがっていたのだろう。


で、この記事を書く決定的な因となったのが、次の文章

馬淵は現在でも当時を回想したインタビューで「あの作戦は今でも正当だと思っている。当時としては最善の策だった」と述べている。毎日新聞(2008年)のインタビューでも「彼と勝負するならインコースしかなかった。でも、詰まってもホームランの確率があるのだから…それだけ松井君が偉大だったということですよ。勝つ確率と負ける確率を考えて、勝っただけ。力のない者が勝つにはどうすればいいのか。野球は確率だと思っている」と当時を振り返った。2011年にも、週刊ポストのインタビューにおいて、「私は今でも間違った作戦だったとは思っていない。あの年の星稜は、高校球児の中に1人だけプロがいるようなものだった。あれ以前も、あれ以降も、松井くんほどの大打者と僕は出会っていません。甲子園で勝つための練習をやってきて、その甲子園で負けるための作戦を立てる監督なんておらんでしょ? 勝つためには松井くんを打たせてはいかんかった」と語った。

5打席連続敬遠から20年後がたった2012年の夏の高知県大会決勝の高知高校戦においても相手の4番打者を4打席連続(うち、最後の2打席は連続敬遠)を含む5四球という作戦を決行し延長戦の末、甲子園出場を決めた



 「勝つ確率」「最善の策」と言われるとそうかもしれないが、馬淵氏にとっては「甲子園では勝つことが何より大事」なのだなと思ってしまう。
 「甲子園で勝つための練習をやってきて、その甲子園で負けるための作戦を立てる監督なんておらんでしょ? 勝つためには松井くんを打たせてはいかんかった」
 こう言われると説得力があるが、勝つことに徹したことで、この試合で両チームの選手の心に落とした影は非常に大きく暗いものではなかったのか?
コメント (25)
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