英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『平清盛』 第45話「以仁王の令旨」

2012-11-20 17:42:51 | ドラマ・映画
(前話ラストシーン)
言仁が開けた障子の穴を見つめる清盛
「いかがにござりますか?そこからの眺めは・・」
この祇園女御の声を重ねるところから今話が始まり

「ここはわしの世じゃ!」
清盛はたったひとりで暗闇の中にいた

で、今話を締めくくっている。

祇園女御の言葉
清盛が病に倒れ死の淵にいる時、白河法皇が清盛に掛けた言葉「そちはまだ知らぬ。のぼりきったその果ての景色を」という言葉を引き継いでの問い掛け。

障子の穴
客観的に自分や物事を見られなくなっていて、障子の穴から物事を見る狭い視野を示している(『平成エンタメ研究所』でコウジさんが指摘しており、なるほどと思いました)
 権力の頂点にたった清盛も白河法皇も、もう登るべき道はなかった(頂上なのでそれ以上の高みはない)。目標がなくなり、権力を使うことと、その権力の座にとどまることしか考えられなくなっていた。
 てっぺんから見ると、すべてが下り坂。恐怖を感じたのかもしれない。


「ここはわしの世じゃ!」

 まさに白河法皇と同じ言葉を吐く清盛

 元来、清盛は、白河法皇と違い、「武士の世を造る」「豊かな国づくり」という目標があったはずだが、それを成し遂げるための権力の頂に立つという手段が目的と化してしまっていた
 視野が狭くなり、そして……

暗闇
 権力しか視野になく、もはや暗闇に居るのと同じ。
 さらに、清盛は「どれだけの犠牲を払って、ここまで来たというのじゃ」と漏らしており、その犠牲とは……権力の頂に登りつめるために、義朝、忠正、兎丸、重盛を始め政敵も含め、多くの屍を乗り越えて頂に立っているという思いが、まとわりついているのだろう。それを意識しているのではなく、漠然としているゆえ、余計、見えなくなってきている。



 平氏一族(時忠、小兎丸、間接的に時子)からも呆れられ
 方々(寺社、伊豆、奥州、公卿、源頼政、八条院)から反感を買う


それでも清盛を信じ、従う盛国
 お伽噺や童話で、馬鹿な主人公に従う魔法使いや召使のような忠実さの盛国。
 理不尽な命令にも、「されど…」「畏れながら…」と清盛の失った視界を補うべく状況を解説し諌めようとするが、それでも我を通す清盛の命に、「承知つかまつりました」と従う。
 しかし、清盛の横暴ぶりや酒と女に溺れるさまを見る盛国の目は、悲しみの色が濃くなっていくようだ。いつか、爆発するのでは?
 「ご自分しか見えぬ国創りに邁進するためには、理不尽にならざるを得ん時もあろう」と小兎丸を諭したり、「それも欲のうちにございましょう。どんな綺麗事も欲がなければはじまりませぬゆえ……」と清盛の様子を訝しがる時忠に釈明していたが、自分に言い聞かせているようにも思える。
 何しろ、「ご自分しか見えぬ国創り」と言い、盛国にも見えないと言っている(これは、以前からだが)。
 ここで、ふと思ったのだが、「わしの国創り」とは、「わしの、国創り」ではなく、「わしの国、創り」だったのではないだろうか?

もうひとり、清盛を信じる男がいた……頼朝
「果たして、(武士の心を)忘れてしまわれたのであろうか……私には、そうは思えぬ。きっと通らねばなら道なのであろう。武士の世を創るために……」

 対抗勢力の一番手の頼朝、そして、ナレーションでもある岡田君の言葉なので、現在の暗闇から清盛が脱出する予言と思える。
そうなると、キーポイントは盛国の爆発ということになる。
 しかし、脚本家が好きな対比の表現の一つかもしれない。

平家の中で、清盛の怪電波の影響を受けた人物……清盛の三男・宗盛
 重盛の死によって平家の棟梁となった宗盛だが、清盛の横暴な命令をもろに被り、それを受け止める器量もないので、清盛の狂気に徐々に犯されていく。
 権力の魅力に溺れつつも、その非を自覚する。棟梁の責任や、忠正の思い出も交錯するが、清盛の狂気の渦にあがなえず、苦しむ。



 清盛の狂気ぶりがこのまま続くのか、あるいは、頼朝の予言が正しいのか、今後の展開が待たれる。でも、もう少し、清盛の心情を明かしてほしい。
 それと、源氏の魂って、そんなにたいそうなものだったの?
 一族同士で争ったり、目先の利益で事を起こしたりしたことしか、頭に浮かばないのだけど。源頼政にしても、義朝を見限り兵士に寝返っただけだし。義朝の弟・源行家は平治の乱後身を潜めていたというが、まさに「誰、これ?」状態。

 白拍子の祇王と祇女の姉妹、そして、仏御前が清盛に近づいた理由は何なのだろう?

【ストーリー】番組サイトより
 後白河法皇(松田翔太)を鳥羽離宮に幽閉し、清盛(松山ケンイチ)は武士として初めて天下の頂に君臨する。清盛は福原にいながら朝廷の人事権を掌握し、1180年、高倉天皇(千葉雄大)に譲位を迫り、孫の東宮・言仁を即位させようとする。
 一方、今回の政変で長年の所領を奪われてしまったのは、後白河法皇の子・以仁王(もちひとおう・柿澤勇人)。ふさぎ込む彼の様子を見かねた猶母の八条院子(あきこ・佐藤仁美)は、源頼政(宇梶剛士)を呼びだし、武力決起して平家討伐をせよとたきつける。しかし老いた頼政は、平家に逆らうなど愚の骨頂と言って断る。
 東宮・言仁の即位に際し、朝廷で何かと物入りになると、伊豆には早速増税の命が下る。国のためのはずの租税が、平家のためにばかり使われている現実に、北条時政(遠藤憲一)は、いよいよ平家への不満が爆発するときがくると源頼朝(岡田将生)に示唆した。頼朝には徐々に武士としての心構えがよみがえりつつあった。
 そのころ、義経(神木隆之介)と弁慶(青木崇高)は奥州平泉で藤原秀衡(京本政樹)のもとにいた。秀衡は、近頃の清盛の動きを警戒し、もし今後平家が平泉に押し寄せることがあれば、平泉の武力と財力を好きに使って応戦するがよいと、義経に言い含める。
 各地で反平家の動きがさかんになる中、言仁が正式に即位して安徳天皇となった。清盛は慣例をやぶり、新院となった高倉上皇の嚴島神社への参詣計画を進める。しかし、寺社勢力は猛反発。日頃は仲悪しき寺同士も手を組み、結束を強めていく。
 重盛が亡き後、平家の棟梁となったのは清盛の三男・宗盛(石黒英雄)だったが、この事態に狼狽し、弟の知盛(小柳友)や重衡(辻本祐樹)に対処を任せるのみだった。結局、平家の武力を恐れた寺社勢力は兵を挙げることはなかったが、高倉上皇の嚴島参詣は遅れ、清盛の不満は募った。清盛は、新しき帝が誕生するとともに福原へ遷都することを画策するが、思うように進まないことにいらだっていた。
 そこへ美しい白拍子の姉妹・祇王(尾上紫)と祇女(花影アリス)が目通りを願い、優美な舞を披露した。清盛は現実逃避するかのように祇王にひきつけられた。
 京では宗盛が宴三昧の日々を送っていた。母・時子(深田恭子)は叱るが、宗盛は兄・重盛の冥福を祈る宴だといい時子をあきれさせる。また、源頼政の子・仲綱(須田那裕)の愛馬を奪ったうえ、馬の名を仲綱と呼んで辱めた。仲綱は頼政に怒りをぶつけるが、頼政はこらえるよう諭す。しかし頼政も心の葛藤が強くなっていた。
 そして、以仁王と八条院子のもとへ、反平家への決意を固めた頼政と仲綱が訪れた。そこで八条院は源義朝の弟・源行家(江良潤)を引き合わせた。行家は平治の乱に敗れた後、熊野で身をひそめていたと言う。
 八条院はこのように諸国に潜む源氏に向けて、平家打倒の令旨をだすよう以仁王に迫った。そして、不当に権勢をふるう平家を追討せよという以仁王の令旨は、行家の手により伊豆の頼朝に届けられた。驚きながら令旨を読みあげる頼朝を時政や政子(杏)が見つめていた。再び源氏が立ち上がる時が迫っていた。
 4月、内裏では安徳天皇の即位の儀が行われた。福原で浮かれて舞い踊る清盛の前に新たな白拍子があらわれた。その白拍子(木村多江)の美しさに清盛はたちまち虜になり、祇王らを置き去りにして彼女を抱きかかえて連れて行った。寝所で清盛は「仏」と名乗るその女性に向かい福原への遷都の夢を語り、「ここはわしの世じゃ」と告げる。清盛はたったひとりで暗闇の中にいた。
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