英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『平清盛』 第43話「忠と孝のはざまで」

2012-11-04 23:51:19 | ドラマ・映画

「あちらへ擦り寄り、こちらへ擦り寄り…決して落ちぶれぬ事が、私の生きることと思うておりました。
 …されど、平家の世となり、秩序が乱され、気がつけば、院の近臣たる私や西光殿が、平家の犬と化しておりました。左様に一生を終える事は面白うないと思いました。
 似合わぬ事をして、この様です」

         ……成親が重盛に漏らした言葉。

 世渡り上手がモットーの成親だったが、結局、公家のプライドからか平家(清盛・武士)が嫌いだったよう。
 ただ、成親の父・家成は平氏(平家)を引き立てており、他の公家よりは平家を毛嫌いする感覚はないと思われるが、なぜなのだろう?

 重盛の嘆願(説得)により、成親は流刑となった。しかし、食を与えられず、餓死した。斬首よりも残酷な仕打ちかもしれない。


重盛の苦悩、絶望
「私はこれまで、拙いながらも、父上をお支えしてきたつもりです。それは、父上が修羅の道を突き進んでも創りたい国というものを、私も見てみたいと思うた故にござります。
 されど、今もって、父上の思い描いておられる国の姿、その形が、私には見えません。
 父上は太政大臣にまで昇り、朝廷の要職はすべて我ら一門が握っております。厳島の社は新しくし、音戸の瀬戸を開削し、大輪田の泊を修復して、宋との交易を行い、宋銭を国中にまで巡らせました。
 この上、何が欠けていると仰せになりますか」


「重盛、わしは左様な話をしに上洛したのではない。これより、洛中洛外の寺社に申しつけ、中宮様に御子が授かるよう祈願いたす。
 早うそなたも働け」


「それが……欠けていると仰せになりますか…平家の血が流れる皇子様、いや、帝をおつくりになる事が……」
(重盛の言葉を遮り)
「重盛!聴こえなんだか?平家のの棟梁ならば、黙ってわしの国づくりを支えよ。
 それがそなたの務めじゃ…それだけが」


 清盛の目指すものが豊かな国づくりではなく、国の頂に立つ事になっていた。
 重盛は清盛の子でもなく、平家の棟梁でもなく「平家の棟梁という駒」でしかなかったのだ。

 その事を悟り、悲しみや怒りを通り越し、うなだれ呆けたようにその場を去っていく重盛。



「お辛うございましょうなあ。平家の嫡男であり、法皇様の近臣でもある重盛さまにとっては」
 盛国ぃ!ちょっと的外れな、解説だぞ!
 清盛の志が単なる私欲で、自分はその私欲の達成のための働く駒でしかない事を悟り、自分が今まで耐えてきた事が何だったのか?そして今後も清盛のために働かなければならないことに絶望したのではないのか?


 一方、源氏は
頼朝と政子が時政に結婚の許しをもらい、
遮那王(神木隆之介)と弁慶(青木崇高)が訪れ、平家を打倒すると宣言する………義経、誕生!


 それにしても、よく結婚を許したものだ時政は。  


そして……得子が懐妊し、皇子が生まれた。機は熟したと、清盛は事を起こそうとする。

「しばらくの間、法皇様にこの館においでいただこうと思うてな」
「なんと、情けないお言葉。一門の運も尽き果てたのでござりましょう。人は運が傾き始めると、必ず悪事を思いつくものにござります」
「これは悪事ではない。国造りじゃ」
「法皇様がおられてこその国でござりましょう」
「それはやってみねば分かるまい。この平清盛がやって見せてやるというのじゃ」
「わかりました………………………
  ……………では、法皇様の御所は私が警護いたします」


 この後、法皇の恩の深さを述べ立てるが、真実味が薄いなあ。そんなに後白河法皇の恩を受けたっけ?

「重盛っ!………今一度言う。
 これはわしの国造りじゃ。(重盛を突き飛ばす)
 それを阻むと言うのじゃな、平家の棟梁であるそなたが。(胸ぐらをつかみ睨みつける)
 我が子である、そなたが」
 

「悲しきかなぁ、法皇様に忠義を尽くそうとすれば、山の頂よりもなお高き父上の恩を、たちまち忘れることになります。
 痛ましきかなぁ、父上への不孝から逃れんとすれば、海よりも深き慈悲をくだされた法皇様への不忠となります」


「忠ならんと欲すれば、孝ならず。孝ならんと欲すれば、忠ならず。
 進退これ窮まれり。
 かくなる上は、この重盛が首を召されそうらえ。
 さすれば、御所を攻め立てまつる父上の御供もできず、法皇様をお守りする事も出来ますまい。
 父上、うわわわああああ……ああぁああああ……あぁああああ……ぁぁあああ……」


 重盛の命がけの説得であった。

 しかし、この「忠と孝の板挟み」であるが、しっくりこない。
 これまでに、重盛が言う海よりも深き法皇の慈悲って受けましたっけ?

 上記でも述べたが、私には「父・清盛の私欲のために働く駒にしか思われていない悲しみ」しか推し量れない。
 清盛を法皇を攻めるのを思いとどまらせるのに、重盛の子としての悲しみより、忠と孝のはざまで進退窮まっていることを訴えた方が説得力がある。そのための、脚本上の都合としか思えない。



【ストーリー】番組サイトより
 平家打倒の陰謀は未遂に終わり、首謀者の一人である西光(加藤虎ノ介)は、平清盛(松山ケンイチ)の命で斬首された。平家では、残る首謀者・成親(吉沢悠)をはじめ、陰謀に加わった者たちへの裁断が下されようとしていた。清盛は、成親が平治の乱でも平家に敵対したことを受け斬首に処そうとするが、重盛(窪田正孝)の必死の嘆願に根負けし、成親を流罪にとどめる。しかしわずかひと月後、成親は配流先で餓死する。
 肩を落とす重盛に、成親を餓死させたとほのめかす清盛。こらえきれず重盛は、清盛の思い描く国の姿が見えないと訴えるが、清盛は黙って自分の国づくりを支えよと冷徹に突き放す。平家の嫡男でもあり、後白河法皇(松田翔太)の近臣でもある重盛はますますつらい立場に追い込まれていた。重盛は後白河法皇を慰めるべく訪ねると、法皇は西光と成親の悲惨な最期を改めて確認し、うらめしそうに笑いながら清盛の中にもののけの血がうずいていると告げる。
 伊豆では、恋仲になった頼朝(岡田将生)と政子(杏)が時政(遠藤憲一)に結婚の許しを請おうとしていた。時政は激怒し反対するが、頼朝は政子とともに源氏を再興したいという志を訴え、時政の心を動かした。
 一方、京で暮らす常盤(武井咲)のもとに、息子の遮那王(神木隆之介)と弁慶(青木崇高)が訪れ、平家を打倒すると宣言する。そして常盤の反対を押し切り、ふたりは平泉へと向かう。その途中、遮那王は父・義朝最期の地である尾張で自ら元服の儀式を行う。そこで弁慶は常盤からあずかった名前を伝えた。こうして「義経」が誕生した。源氏の魂は着々とよみがえろうとしていたのである。
 1178年6月、清盛の娘であり、高倉天皇(千葉雄大)の后である徳子(二階堂ふみ)が懐妊したという待望の知らせが福原の清盛に届いた。清盛は喜び勇んで京にはいり、平家一門に安産祈願をさせる。そして11月、願いどおり皇子が生まれた。六波羅で平家一門をあげて催された祝宴には源頼政(宇梶剛士)も招かれていた。清盛は頼政を三位に出世させたと伝えると、頼政は涙ながらに礼を述べた。その後も祝宴はつづけられ、清盛も一門も上機嫌だったが、重盛は思いつめたように清盛を見つめていた。
 明けて1179年2月、清盛は緊急に一門を集め、重大な決意を伝えた。皇子の外祖父となった今、誰かがまた平家を陥れるために鹿ヶ谷の陰謀のような企てをする可能性があるため、後白河法皇を平家の館に連れてくるということだった。
そのころ、後白河法皇は病床に伏す乙前(松田聖子)を見舞っていた。乙前は後白河法皇と清盛の双六遊びの行く末が気がかりだと伝えると、法皇はまだ自分には手駒があると不敵につぶやいた。
やがて武装して法皇の御所に向かおうとする清盛や一門の前に、病に伏していた重盛があらわれた。清盛の意図を聞くと、自分は御所を守ると宣言した。清盛は自分の国づくりを子である重盛が阻もうとするのかと責め立てると、重盛は「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」と叫び、もし法皇を攻め入るのならば、自分の首をはねろと泣いて訴え続けた。重盛の命がけの懇願に、清盛も折れざるを得なかった。だがこの重盛の一途な忠義、孝行こそが、後白河法皇のつけいる隙でもあった。

コメント (2)
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