英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『幽かな彼女』 第9話「いじめ、その先に見た闇」

2013-06-05 22:42:11 | ドラマ・映画
「死んだら負けなんだよ。
 関係ない奴らが、いじめっ子を懲らしめてくれても、
 あんたが死んだら、何の意味もないんだよ。
 生きてなきゃ、意味ないんだよ。

 どんなに苦しくても辛くても、生きてなきゃ意味ないの。
 生きてなきゃ」

生きていくことは大変だけど、生きていればいいことあるよ、きっと。


「子どもの心より、自分の立場の方が大事だって言うんですか?

 大人が子どもにきれい事を言うの放棄してどうすんだよ!
 大人が間違った姿見せて、子どもにどうやって正しく生きろって言うんだ。
 あんた、最低だ。親として、大人として!

 留学なんて、させないでください。
 京塚さんを僕のクラスに戻してほしいんです。
 京塚さんを僕と僕のクラスの生徒たちに救わせてください」



心に響く叫びだった。
京塚の父の心に響いたのだろうか?


          そして、ラスボスは……教育委員会だった。



 京塚が暴走し、逆に京塚グループメンバーを中心に、京塚を爪弾きにするクラスメイト。
 今までほとんど台詞がなかった一般生徒、やっと台詞が話せると思ったら、そんな台詞(悪口)かい!



自分の嫌なところ、弱さを認めた河合先生
「河合先生、ありがとう」
 言ってもらって、よかったね。

 
 

【ストーリー】番組サイトより
学校で姿を消したアカネ(杏)が暁(香取慎吾)の部屋に戻った。記憶はよみがえったが成仏できず、部屋を出入りできる浮遊霊になったという。同じ頃、窪内(林泰文)は千穂(前田敦子)に、生徒の個人情報で実際の学校を模したゲームを作っていたと告白し、りさ(山本舞香)の意外な過去を明かす。

翌朝、和泉(真矢みき)はりさが舞(飯豊まりえ)を刺した事件を教育委員会に報告。ろくに事情も聞かず、りさに転校の処分を下す。りさは取り巻きの仲間に絶交され、クラスで孤立状態に。政治家である父親の京塚(飯田基祐)からも「またお父さんの足を引っ張るんだな」と突き放されてしまう。

アカネは孤独なりさに淳也をだぶらせていた。暁は和泉が告白した27年前の真相を思い出す。淳也は茜の説得で不良仲間が更生したことから孤立。茜を逆恨みして学校で刺したが、茜を呼び出したのは淳也に脅された和泉だった。「先生を裏切った」と罪の意識が拭えない和泉。それがりさへの厳しい処分に和泉を駆り立てているという暁に、アカネは「罰することじゃなくて、正してあげること」が大事だといい、りさを救うべきだと諭す。

一方、千穂は、窪内が話したりさの過去が気にかかっていた。りさは小学校で壮絶なイジメにあったが、政界で力のあった加害者の親族に京塚が屈し、りさに泣き寝入りさせたのだ。そのことで心に傷を負うりさを助けてあげてほしいという窪内。千穂は突っぱねるが、心中は揺れていた。

翌日、りさを助けたいという拓途(神宮寺勇太)らを連れ、京塚家に向かう暁。そのとき、りさがいなくなったと連絡が入る。りさは母校の小学校に向かっていた。かつてりさをいじめた加害者を告発するメールを教育委員会に送り、自殺しようとしていたのだ。そんなりさを止めようと追ってきたのは千穂だった。

千穂の説得に耳を貸さず、自分にナイフを向けるりさ。千穂は、駆けつけたアカネがりさの動きを封じた隙に飛びかかり、りさの頬をたたくと、「辛くても苦しくても、生きてなきゃだめ」と抱きしめる。

その夜、京塚がりさを海外に留学させると言い出した。りさを厄介払いする京塚に憤り、「あんたは最低だ!」とつかみかかる暁。だがアカネに制され、「彼女を救わせてください」とりさを学校に戻すよう懇願する。

千穂は自殺を思い止まったりさに「ありがとう」と告げられ、教師を続ようと決意。そんな折、教育委員会は暁に学校を辞めさせると通達し…。
コメント (6)
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内館牧子氏 『月夜の駒音』 ~「精神文化を学べ」~ について

2013-06-05 17:40:07 | 将棋
『月夜の駒音』(エッセイ)は、『将棋世界』誌で連載されているが、7月号(今月号)の「精神文化を学べ」には異論がある。

 内館氏は『週刊新潮』(4/25号)の≪入玉でコンピュータと引き分け、「塚田九段を泣かせた非礼感想戦」≫という記事で、
 塚田九段が流した涙の理由のひとつは、ソフト「Puella α」の五十代開発者の
「入玉対策はしていたが、なおざりだった。名局と言われた前の2戦に比べて、つまらない将棋になってしまった。勝ちを逃がしたけど仕方ないです」という言葉だという。
 同誌はこの言い方に対し、記事中の「ベテラン棋士」の言葉
「棋士は、自分が指した悪手を“つまらない手”だと言うことはあっても”つまらない将棋”だとは絶対に言いません。(中略)やはり、それは相手に対して、尊敬の念を持って戦っているからです」
 に考察を重ねて、内館氏は
「五十歳にもなって、教養がないんだなァ。相手にするだけ無駄だわ」と思ったとして、相手への敬意として文化や精神(相手を思いやる心)を学ぶ姿勢がないと批判している。


 私自身、『週刊新潮』の記事を読んでいないので、内館氏の引用した部分のみで判断するにとどまるが、まず、『週刊新潮』の記事について考えてみたい。

 まず、開発者の伊藤氏は入玉対策について、実際には「なおざり」ではなく「おざなり」と言っている。「おざなり」と「なおざり」は両方とも「いい加減な対処をする」という意味ではよく似ているのだが、「おざなり」のはその場限りの間に合わせで、「なおざり」は何もせず放置しておくような様を表わしている。
 大きな差はないが、この対局について言うと、「入玉対策は適当で不十分だった」と「入玉対策には手をつけていなかった」となり、かなり違う。
 次に、「つまらない将棋」と発言した状況の描写も不十分で、実際は「私がやるとつまらない将棋になってしまう」というふうに述べていて、塚田九段に対して発した言葉ではない。
 さらに塚田九段の涙の理由も疑問だ。
 塚田九段は、対局直後のインタビューとその後の共同記者会見とで、2度、涙を流している。2度とも「団体戦なので負けられず、(敗勢であっても)投了はできなかった」という主旨の言葉であった。もちろん、心の内をすべて語ったわけではないが、一度目の涙の時点では、伊藤氏は将棋の内容や感想については話しておらず。塚田九段へのインタビューの後に「つまらない将棋」云々の言葉を発している。(2度目の涙に関しては、影響を与えた可能性はある)

 上記の理由で、『週刊新潮』の記事で伊藤氏を批判するのは早計のように思える。

 さらに、ベテラン棋士の発言にも疑問を感じる。

 「つまらない」という言葉には、①面白くない。興味・関心がない。②価値がない。③取るに足らない。ささいである。ちいさい。④無駄である。甲斐がない。などの意味がある。
 伊藤氏は自分を卑下して①②の意味で発したと思われる。
 棋士が「つまらない手」と口にする時は②であることが多いが、「つまらない手を指してしまった」という場合は「うかつな失着」という意味で③の意味を含む場合もある。「つまらない手」と「迂闊な手」はほぼ同意と考えて良いかもしれない。
 さて、『棋士は「つまらない将棋」とは言わない』とベテラン棋士は断言しているが、私自身、よく耳にし、文章でも目にしているように思う。この言葉は②の意味で発せられることもあるが、①~④とは別の意味で使われることが多い。
 別の意味とは「自分の意図していた将棋とは全く違う展開になってしまった」という意味で、しかも多用されているように思う。


 実際、昨日の棋聖戦第1局、羽生棋聖・王位・王座×渡辺竜王・棋王・王将戦での感想で、羽生三冠はこの表現を用いている。中継ブログによると、

「▲7一歩成(39手目)は新手だったみたいです」という言葉を受けて
羽生三冠「そうですね、早めに捨てておかないと危ない変化もあるんじゃないかなと思いました。意味としては同じなのですけどね。昼休で8五桂がなかなか取り切れないので、つまらない将棋にしたかなと思っていました」と答えている。

 私は「アンチ内館」ではなく、氏のエッセイは楽しみにしている(時々異論を持つが)。
 しかし、今回は考察不足のように感じた。
コメント (2)
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