英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『八重の桜』 第25話 「白虎隊出陣」

2013-06-23 22:26:57 | ドラマ・映画
タイトルは「白虎隊出陣」であったが、内容は八重の決起 &会津の魂」であった。(タイトルを白虎隊出陣にしたのは、視聴率のための大人の事情?)

(竹子が戦に備え、女性たちによる薙刀隊を編成する様子を見て)
「薙刀では、薩長は倒せねえ」

(権八、尚之助の登城の際)
会津を守るためです。お城を、お殿様を守るためです」
「わたすは三郎の仇を討ちてえ!わたすは鉄砲で戦いやす!」
(母・佐久にビンタされ、諌められ、父・権八に「三郎の仇は儂が討つ」という言葉に、引き下がる)

(半鐘が鳴り、城へ集合する際)
「わたすは三郎と一緒にお城に上がりやす。今から私が三郎だ。
 逆賊呼ばわりして会津を滅ぼしに来るものたちを、わたすは許さねえ
 わたすは、戦う!」
(軍服に身をまとった八重の覚悟に、さすがの佐久も言葉を失う)

 会津のため、殿様のため、正義のため、仇を討つため……いろいろな思いから、八重は決起する。
 でも、八重の根底にあるのは、怒り、そして闘心のような気がする。
 
 

★会津の魂「徳川家、義のため、会津藩のために殉ずる」……「手柄は上げずとも良い。だけんじょ、命を惜しんで後れを取ってはいけません」(山川健次郎の母の言葉)
 家老や家臣、女子衆、斎藤一、白虎隊、会津藩の一人一人(使用人も)のそれぞれの決意、覚悟に感じることができたが、最も感じられたのは、
 出陣の儀であった。
 ……今回までに会津は出陣の儀を粛々と行ってきた。今回は大殿出陣(白虎隊随行)の際、そして藩士それぞれの家で古式に則った儀を行っていた。
 これには、会津の魂を感じる。おおむね泰平の世であった江戸時代ながら、そういった儀式を泰然と行うというのは、会津の魂が脈々と受け継がれてきた証しであろう。


★またしても容保は……
「此度こそ、儂は皆と共に戦わねばならぬ。城をを頼む。土佐、儂に続け!」
 と、自分の気持ちを優先させ、その結果、容保護衛の白虎隊が出陣することになった。
 そして、本陣(容保陣)に援軍要請が来て、白虎隊が戦場へ……

 秋田藩が降伏したことにより背後も守らねばならなくなったうえ、新政府軍を食い止めるため、峠すべてに兵を配備し、峠を破られた後も、城下への侵攻を防ぐため、なけなしの兵(白虎隊)を投入。
 いや、もう、兵力が乏しいのに、兵力分散させて勝てるわけがない。日光口の山川大蔵軍や、活躍が映されなかった官兵衛たちなど、全ての兵を会津に集約して、徹底抗戦して少しでも終戦の条件をよくするしかないのではないだろうか?


★鬼の官兵衛
 家老に昇進、活躍を期待されたが、見せ場は「はあぁっ!」という気合のこもった返事だけであった


【ストーリー】番組サイトより
 1868(慶応4)年8月、二本松を陥落させた新政府軍はついに会津領内へと陣を進めてきた。竹子(黒木メイサ)は戦に備え、女性たちによる薙刀隊を編成する。城下には触れが回り、権八(松重豊)と尚之助(長谷川博己)も登城することに。八重(綾瀬はるか)は、自分も一緒に出陣したいと懇願するが、権八に一蹴される。
 戦況はますます悪化し、会津藩士らは続々と出陣していく。ついに予備の部隊である白虎隊にも出陣命令が下り、八重は砲術を指南した隊士たちに最後の助言をして送り出す。そして、登城の触れはとうとう八重たちにも回ってくる。佐久(風吹ジュン)やうら(長谷川京子)も城に入る支度をするなか、弟・三郎(工藤阿須加)の形見の衣服をまとい、男装をする八重。その手には、覚馬(西島秀俊)から送られたスペンサー銃が握りしめられていた。
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LPSA、ようやく謝罪したが……

2013-06-23 13:06:54 | 将棋
 ようやく、「株式会社マイナビ様への謝罪」(6月19日付)の文が日本女子プロ将棋協会(LPSA)のホームページに掲載されました。
 同ホームページに掲載された「日本将棋連盟による女流棋戦からの排除行為について」が4月3日付で、それからだと2ヶ月半、マイナビ女子オープン準決勝の対局放棄(1月30日)から実に5カ月近く経過しています。

 当ブログでも『LPSA声明「日本将棋連盟による女流棋戦からの排除行為について」について』(5月17日記事)で取り上げました。この記事の1週間ほど前にLPSAに意見書のメールを送り、
「問題の件は将棋連盟会長をはじめいろいろな方と解決に向けて行動しており、ファンの皆さんにも良い報告ができると確信している。
 ファンの皆さんには大変なご心配をお掛けして申し訳ないと思っており、もう少し事態を見守ってほしい」

という回答をいただき、LPSAの善処を待っていました。

 時間がかかり過ぎであろう。この間、普通にLPSA所属の棋士が棋戦に参加、対局しているのが、私は不思議に思えた。(将棋界の緩やかさ、良いところなのだろう)
 謝罪の内容は、LPSAの非を認め、主張を取り下げ、謝罪しているものだった。いつもの変な主張(理屈)がなく、評価できるものだった(上から目線で申し訳ありません。うまい表現が見つかり次第、訂正します)。

 しかし、問題を起こした石橋氏(LPSAの代表でもある)の処分については触れておらず、将棋連盟や将棋ファンへの謝罪や言葉がないのは、どういうことなのだろう?
 何を措いても、マイナビ社への謝罪を優先させ、それから、連盟やファンに対してということなのだろうか?
 当の石橋氏の処分を下さなければ、LPSAが非を認め、謝罪しているように感じられない。謝罪文も形式的なものに思えてしまう。
コメント (7)
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