英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

電王戦 第4局「Puella α VS 塚田九段」 その4

2013-06-21 22:47:01 | 将棋
『電王戦 第4局「Puella α VS 塚田九段」 その1』
『電王戦 第4局「Puella α VS 塚田九段」 その2』
『電王戦 第4局「Puella α VS 塚田九段」 その3』の続きです。

★『その3』の補足===========================

 この第9図で、△6二桂と打ち、角を逃げる手に△7四金と打てば大駒を1枚、手に入れることができる(入玉点数では「大駒5点-金・桂2点=3点」のプラス)。
 この筋は

第10図でも成り立ちそうだが、△6二桂▲4三角成(3二角成)、△7四金に、▲5三馬と王手で逃げられると空振りになってしまう。
==================================【補足・終】



 塚田九段が絶望感を味わったであろう局面。

 ▲7七玉!
提供されていたボンクラーズ(プエラαの前身)を研究(対局)して、塚田九段は「玉を追わなければ、入玉はしない」という感触を得ていたが、▲7七玉は塚田九段の思惑を打ち砕いた。

 この手を見て塚田九段は心が折れそうになったという。また、局後の会見での開発者の伊藤氏の「簡単ではあるが入玉対策も組み込んでいた」という言葉を聞き、「聞いていないよ~」とつぶやき、泣きそうな苦笑いを浮かべた。
 この対局に当たって、塚田九段は二つの方針を立てた。①「普通に構えて、プエラαの無理攻めをとがめる」、②「入玉将棋が苦手な弱点を突く」

 、確かに、コンピュータ将棋は成果を急ぐ傾向があり、タメを作らず即行で仕掛けてくることが多い。そのため、攻めが細く、無理攻めに陥りやすい。
 しかし、読みの射程距離が長くなり、形勢判断も正確さを増してきており、人間が切り捨てるような細い攻めであるが、実際はぎりぎり繋がっているという仕掛けを、見極めがしっかりできて、決行していることが多い。裏を返せば、無理な仕掛けは無理と判断できるので、無理攻めを仕掛けることも減ってきている。
 本局のプエラαも即決攻めのコンピュータ将棋の特性を残しつつ、無理攻めに陥らず攻めをつないでおり、進化を感じさせる

 の入玉将棋については、「玉を詰める(詰められない)」という目的に加え、「玉を敵陣に侵入し、駒数を確保する」という目的が加わり、どちらを優先させるかの切り替えも難しい。入玉将棋においては、駒の価値も変わってくるのも難易度を高めている。
 それに加え、コンピュータ将棋の進化が、棋士の棋譜を学習することに負うことが大きく、入玉将棋の実戦例が非常に少ないことも、コンピュータ将棋が入玉将棋が苦手である要因と言われている。
 しかし、入玉将棋においても、プエラαは塚田九段の見込み(期待)を打ち破る進歩を遂げていた。
 
 と、プエラα(コンピュータ将棋)の進化を讃えたが、私は塚田九段に大きな甘さを感じている
 ここ数年のコンピュータ将棋の実情をある程度知る者(棋士、将棋ソフト開発者、将棋界関係者、将棋ファン)ならば、1年間のコンピュータ将棋の進化が著しいことを把握しているだろう。旧ソフトのボンクラーズを以って対戦相手の棋力や棋風を想定したのは、甘すぎる。
 今回の電王戦、確か、デモンストレーション的趣向ではあるが、コンピュータ将棋協会が将棋連盟に挑戦状を叩きつけたと記憶している。つまり、コンピュータ将棋将棋連盟という図式のはず。それならば、連盟は参謀(アドバイザー)として勝又六段や飯田六段を起用してもよかったのではないだろうか。塚田九段はソフトの時間設定が自由に変更できることさえ知らなかったようだ。

 それはともかく、第12図(再掲載)の▲7七玉で塚田九段は「心が折れた(折れかかった)」と話しているが、
 
この局面で、▲7七玉と上部脱出を図らなかったとして、塚田九段は「先手玉を追いつめる、あるいは、駒数を挽回して持将棋に持ち込めることができる」と思っていたのだろうか?
 たとえ先手玉が自ら上部に逃げないという縛りがあったとしても、攻められれば当然先手玉も逃げるのだから、第12図の状況で、先手玉を捕らえるのは難しい。「その3」で、私は「(塚田九段は)なるべく遠巻きに後手の勢力を増していき、ゆっくり先手玉の右側から押していけば先手玉を捉えられるかもしれないと考えていた(のだろう)」と述べたが、先手玉の行く手を阻む後手の駒は皆無、中央から押していくにしても、駒不足である。

 塚田九段の心内を推測すると、
≪ボンクラーズでは、かなりの駒損でも入玉すればボンクラーズ玉は上部を目指さないので何とかなった(勝つことができた、持将棋に持ち込めた)ことがあった(その頻度は分からない)。プエラαでも、同じ戦い方が通用する(かもしれない)≫
 ここで問題になるのは、この指し方がプエラαに通用するかどうかは別にして、塚田九段がどのくらいのパーセントで「通用する」と考えていたかである。
 入玉するまでの塚田九段は、なりふり構わず入玉を最優先にする指し方だった。これをどう考えるか……
 5割近く「入玉さえすれば何とかなる」と考えていたのなら、塚田九段のなりふり構わない入玉志向の指し方は整合性が感じられる。3割の可能性と考えていたのなら、理解はできるが同意はできない。
 何とかなる可能性が3割5分以下、いや4割以下と考えていたのなら、木村八段らが示していた駒損を押さえる指し方、最善を尽くす指し方をすべきではなかったのか。

 私はたとえ、5割の成算があっても、相手のミスを期待する指し方に、棋士の誇りを感じない。3割以下の成算なら論外である。
 第12図直前で、塚田九段はどのくらいの成算を持っていたのだろうか?
コメント (10)
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