英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『軍師官兵衛』 第41話「男たちの覚悟」 (【補足あり】)

2014-10-12 23:07:43 | ドラマ・映画
今週の台詞
「豊臣家の為に天下があるに非ず、
 天下の為に豊臣家がある」
(by 利休)

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「天下の為、関東で力を養っておくとしよう。
 黒田殿、殿下の手綱を頼みますぞ」


 徳川家の国替えに紛糾する家康の家臣団、そこへ官兵衛登場。
「殿下は今、お世継ぎの為、豊臣の天下を盤石にせんと、脇目も振らぬありよう」(by家康)
「それが天下の為になるのであれば宜しいのですが、天下をわたくしするためとなれば、お諫めするのがそれがしの役目。
 (居住まいを正して)
 徳川様、此度の国替え、天下の為になるかどうかは徳川様次第!」(by官兵衛)

「天下の為、関東で力を養っておくとしよう。
 黒田殿、殿下の手綱を頼みますぞ」



 ちょっとよく分からないシーンだった。
 官兵衛が出てこなくても、秀吉の威光が最高の今、家康が逆らうと思えない。

 話の流れからすると……
<徳川家を中央から排除するための国替え>であるが、天下の為に黙って従って欲しいという官兵衛の申し出に
<天下の為、ここは関東に退こう>と家康が了解した
 ということであるが、

“此度の国替え、天下の為になるかどうかは徳川様次第”という台詞の意味はどういうことなのか?
 家康が国替えに従わなければ、天下が乱れ戦乱が再び起こる。その意味で、"徳川様次第”と言ったと考えるのが妥当であるが、その程度の会話ならこのシーンは不要のように思える。
 そこで、
“天下をわたくしするためとなれば、お諫めするのがそれがしの役目”という言葉が、家康に向けたものと考えた方がよいのかもしれない。

 さらに気になるのは、家康の本心
 単に、天下の為に関東に引いたのだろうか、それとも、明国征服の野望を持つ秀吉から距離を置き、豊臣家が衰退するのを待つ方が得策と判断し、“天下の為、関東で力を養っておくとしよう”と言ったように思われる。



「黙れぃ!半兵衛のことをだしに使い、この儂に意見する気かぁ!」
「耳の痛くなることを申す者がいらんと仰せであれば、
 それがしはもはや殿下の軍師は務まりませぬ!」
「たわけたことを申すな、貴様がこの儂の軍師になるかならないかは、この儂が決めることじゃ」


  ………官兵衛と北の政所、秀吉の明国征服を諌めることに失敗。
 伝家の宝刀?「軍師をやめるぞ」を抜いたが、タイミングが悪く、「雇うのは社長だ!」と切り返されてしまった


「半兵衛が死に、小六が死に……儂も長くはない。
 じゃが、豊臣家の行く末が気にかかって、死ぬに死ねん。
 官兵衛、儂も命あるうちは兄者を諌めてまいる。だが、いつまでもという訳にはいかぬ。
 官兵衛、利休……兄者を正せるのはお主たちの他にはおらぬ………頼む」


 このドラマでは、ほとんど“空気”であった秀長。
 そのお主が、官兵衛や半兵衛や利休と同等な働きをしていたように言えるのか?
 はっきり言って、小六以下だったのでは……
 ……これまでも、そして、この台詞を言った後も秀吉を諌めるシーンはなかった………


「殿下をお諫めするためでございます。
 近頃の殿下の目は曇っておられるようで、物事の良し悪しが見えておられませぬ。
 明の征服など無謀にございまする」
「戦乱の世は100年余り続き、皆、平穏を望んでおります。
 このうえ、国を挙げての無謀な戦に走れば、人身は離れるばかり、豊臣の行く末も危のうございまする」


 小西行長は朝鮮が明国への道案内を承服していないことを隠しており、官兵衛がそのことを打ち明ける際、決死の覚悟で秀吉を諌めようとするのに先んじて、利休が朝鮮の真意を明かした
 利休は自分が犠牲となることで、官兵衛を残し、後を託したのだった。
 秀吉、怒り心頭。三成の讒言もあり、利休、蟄居を命じる。



「石田様、あなたは何のために働いていらっしゃる?」
「無論、殿下の為、豊臣家の天下の為にござる」

「豊臣家の為に天下があるに非ず、
 天下の為に豊臣家がある」


 おお、利休、良いことを聞いてくれた。
 三成はやはり秀吉のために動いていたよう。
 しかし、なぜ、朝鮮出兵をそそのかすのだろう?出兵のメリットは何か、示してほしい。
 単に秀吉の望みを叶えたいため?

 “天下は豊臣家の為にある”と言われて、顔をヒクヒクさせた三成だが、何も反省せず。
 もう少し、マシに描いてほしい……

【補足】
 このドラマで三成は“非常に嫌な奴”として描かれている。
 実際、関ヶ原の戦いでは武闘派大名には嫌われて西軍の勢力は家康方東軍に劣っていた。
 しかし、秀吉と三成の出会いの逸話“茶坊主”では、三成の気配りの細やかさが窺える。
 また、三成の親友の大谷吉継は「家康と戦うのは無謀だ」と止めていたが、三成が決起すると、病床にもかかわらず参戦し奮闘したと言われている。
 三成がこのドラマのような嫌な奴だったら、戦に否定的であった吉継が病床を押して参戦するとは考えにくい。

 また、三成が20万石に留まった点を考慮すると、私利私欲に走ったと考えにくい。

 官兵衛を良く描くのは主人公だから仕方がないかもしれないが、対抗の三成を悪く描き過ぎである。
 前田利家や山内一豊も出てこないし……
【補足、終】



利休、茶の道の根本を官兵衛に指南
「茶を引く時は、静かに油断なく滞らぬように
 茶道具は度々洗っておくこと。茶道具も人の心と同様、汚れが付きやすいものでございます
 茶の湯を一柄杓、汲み取った後は、水を一柄杓差し加えておくこと。
 決して使い捨て、飲み捨てにしてはならない


「黒田様、後のことはお頼み申します」


利休切腹………

鶴松死去………



悲嘆にくれる秀吉、
利休を死に追いやった天罰が下ったと後悔

「もう何もない……望みもすべて消えてしもうた」
官兵衛にすがって泣き崩れる………………


ほどなくして………
秀吉、朝鮮出兵を宣言!


例によって、大河ドラマ特有の番組最後の大転換(大逆転)。
まあ、鶴松を亡くして、残った望みは「朝鮮出兵」のみが残ったというのは、理屈は通っているけれど……
秀吉、立ち直りのきっかけは何?
コメント (4)
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