『将棋世界』12月号 ~竜王戦展望対談……森下九段×中村太六段~
『将棋世界』12月号 ~竜王戦展望対談……森下九段×中村太六段~ その2
の続きです。
(それにしても、決着して20日以上も経った竜王戦“展望”対談の記事に、未だに噛みついている私って……)
「その1」では、森下九段の世代交代観についての検証と反論、
「その2」では、森下九段の過去の言動についての考察
をしてきましたが、今回はこの記事を書く動機となった『将棋世界』の対談記事での氏の発言について述べます。
「自分自身を鑑みても、もって生まれた才能と運は厳然と存在します。私の弟子である増田(康宏四段)を見ても、才能と環境に恵まれた運は大きいと思いますね。ただ恵まれたすべての人間がトップに立てるかどうかは別の話です。
中村さんも言いましたが、情熱を持ち続けるのことが難しいんです。自分も嫌というほどわかります。情熱が薄れたときは自分がいちばん敏感に感じるんです。それなりに頑張ってはいますが、やはり違っています。
振り返ると私は24歳くらいのときに情熱が薄れました。27歳になるとはっきりダメだとわかっていました」
(--森下九段の20台半ばというと、当時の谷川竜王へ挑戦(1991年)した頃ですよね)
「そうなんですよ。こんなことではダメだとわかっていても、一度情熱が薄れてしまうとそれは前の自分とは別の存在になってしまうんです。
ただ自分は奨励会入会からそのときまでずっと将棋一筋で打ち込んできたという下地がありました。この20年間はその貯金でごまかしてきました。
もし情熱が薄れたのが37歳だったらもっと強かっただろうし、逆にもっと前に薄れていればどうなっていたか」
(横道に逸れますが、記事の文章そのまま引用していますが、「とき」「いちばん」は平仮名が一般的なのでしょうか?)
いやぁ~、びっくり!
森下氏の情熱の希薄さについては感じることはあった(解説の中で洩らしていた気がする)が、将棋連盟が発行する『将棋世界』誌の対談で語ってしまうとは……
対談での言葉というのは、基本的にすべて記事(文章)になると考えられる。それなのに、堂々と≪私は20年以上前からやる気がなくなってしまい、その後は惰性で将棋を指してきました(仕事をしてきました)。でも、若い時の精進と才能で何とかごまかしてきました≫と公言してしまったのである。しかも、森下氏は連盟の元理事である。
いきなり言いたいことを言ってしまおう。(書き連ねていくと、感情が高まって何を書いてしまうか分からない)
情熱を失ったのなら、さっさと棋士などやめてしまえ!
法を犯していないし、人にも迷惑をかけていないし、私の氏を糾弾する資格も権利もないのは承知しているが、この『将棋世界』の記事を見て、頭に血が上ってしまった。かなり、間を於いて記事を書いているのだが、それでも興奮してしまう。
もちろん、他人に言えない苦労や葛藤はあったと思うが、現役棋士が「情熱がなくなった」と口が裂けても言ってはいけない。しかも、こともあろうか、機関誌の記事になることをが前提の対談で。
先の電王戦では、リップサービスかもしれないが「ぜひ私を七冠王にするプログラムを作ってください」という『“将棋連盟の命運を懸ける”とは掛け離れた』コメントを発していたが、情熱を失った人ゆえのコメントだったのだ。情熱を失った人が、将棋連盟の看板を懸けて将棋ソフトと戦ってはいけない。
また、電王戦において「情熱を取り戻すために竜王戦に名乗りを上げた」とも述べているが、そういう個人的気持ちで戦って欲しくはなかった。
ここで、少し冷静になって、氏の言葉を分析してみよう。
「情熱が薄れたときは自分がいちばん敏感に感じるんです」
「一度情熱が薄れてしまうとそれは前の自分とは別の存在になってしまうんです」
不思議な言い回しである。
引用した全文を解釈すると、「20代半ばで情熱を失い、その後は惰性ですませた」はずなのだが、上記の2文は、「今までに何度か情熱を失ったことがあり、それを敏感に感じた。また、そういう時は、自分と違う存在になってしまっていた」というような印象を受ける。
あるいは、これまでの前世の記憶をいくつも持っており、その経験を踏まえての言葉とも解釈できる。
まあ、こんな分析はともかく、氏の言葉(この対談だけでなく)は、どこか他人任せのように感じることが多い。奨励会やC級2組時代を“地獄の苦しみ”と述懐したと、「その2」でも述べたが、森下氏にとっては将棋を心底好きではなく、自分のために将棋を指していないように思えてしまう。
「もし情熱が薄れたのが37歳だったらもっと強かっただろう」
これも他人事の言い方である。
ダメな人のひとつの言い訳として「自分がやる気になったらすごいよ」という負け犬の遠吠えがあるが、それに近いものを感じる。
この森下氏が大晦日にひと騒動。
「電王戦 リベンジマッチ」
ニコニコ動画の特設サイトには
「『将棋電王戦リベンジマッチ 森下卓九段 vs ツツカナ』は、「第3回将棋電王戦 第4局」小田原城で戦った、森下卓九段とコンピュータ将棋ソフト“ツツカナ”の再戦イベント。第3回将棋電王戦では森下卓九段が自分の将棋を貫き、相矢倉で真っ向勝負を挑んだが、苦戦の局面で大悪手を指し惜しくも敗れた。
その後行われた記者会見で継盤を使っての対局を提案し、再戦のチャンスが与えられた。森下九段が自ら考えたルールでツツカナに勝利することができるのか…」
とある。
森下式対局ルール
持ち時間
3時間(チェスクロック方式)、秒読み10分。継盤使用可
対局時間
番組開場 10:00 対局開始 10:15 終局予定 22:00
(休憩 13:00~14:00、17:00~18:00、21:00~21:30)
プライドをかなぐり捨てた森下氏。
確かに、≪氏の言う“ヒューマンエラー”をなくせば、コンピュータ将棋と互角以上に戦える≫ような気がする。
“ヒューマンエラー”とは、肉体的精神的疲労や時間切迫によって生じるミスと解しているが、休憩を充分に取り疲労を軽減させ、終盤に時間に追われないような対局システムであれば、ヒューマンエラーをかなり防げるはずである。
また、コンピュータ将棋は盤駒を使用しているのと同じであるので、人間が継盤を使用できないのは不公平のような気もする。
「人間の頭脳対コンピュータ」の勝負ならそれで良いが、「棋士」として戦うと考えた場合はどうなのだろう?
“秒読み”と言うが、これでは“分読み”である。継盤使用する図は、棋士としては格好悪いぞ。
そんな格好悪い画で負けたら、本当に格好悪い。
そんな格好悪さが、将棋界に及ぼす影響を考えたのだろうか。
情熱云々は置いていても、「負けたら引退」ぐらいの覚悟を持って勝負に臨んでほしい。(あっ、そうすると、ヒューマンエラーが生じてしまうか)
【蛇足】
ところで、本当に22時に終局するのだろうか?
持ち時間がチェスクロック使用の3時間なので、両者が同じような時間の使い方をすれば、実際の対局経過時間が6時間で秒読みに突入する。その時刻が18:15。その時点での局面が中盤か終盤か寄せの段階かは予測できないが、仮に終盤戦に入った辺りと仮定しよう。
昨日の順位戦B級1組10回戦において、6対局のうち3番目と4番目に終局した豊島七段-松尾七段、畠山七段-木村八段を見ると、終盤に入ったと思われた局面から終局までに30手ほど指されている。
1手平均8分費やすとして、8分×30=240分=6時間で、リベンジマッチの対局システムに当てはめると、24:45となる。
まあ、これは両者のペース配分によって大きく変わるが……
『将棋世界』12月号 ~竜王戦展望対談……森下九段×中村太六段~ その2
の続きです。
(それにしても、決着して20日以上も経った竜王戦“展望”対談の記事に、未だに噛みついている私って……)
「その1」では、森下九段の世代交代観についての検証と反論、
「その2」では、森下九段の過去の言動についての考察
をしてきましたが、今回はこの記事を書く動機となった『将棋世界』の対談記事での氏の発言について述べます。
「自分自身を鑑みても、もって生まれた才能と運は厳然と存在します。私の弟子である増田(康宏四段)を見ても、才能と環境に恵まれた運は大きいと思いますね。ただ恵まれたすべての人間がトップに立てるかどうかは別の話です。
中村さんも言いましたが、情熱を持ち続けるのことが難しいんです。自分も嫌というほどわかります。情熱が薄れたときは自分がいちばん敏感に感じるんです。それなりに頑張ってはいますが、やはり違っています。
振り返ると私は24歳くらいのときに情熱が薄れました。27歳になるとはっきりダメだとわかっていました」
(--森下九段の20台半ばというと、当時の谷川竜王へ挑戦(1991年)した頃ですよね)
「そうなんですよ。こんなことではダメだとわかっていても、一度情熱が薄れてしまうとそれは前の自分とは別の存在になってしまうんです。
ただ自分は奨励会入会からそのときまでずっと将棋一筋で打ち込んできたという下地がありました。この20年間はその貯金でごまかしてきました。
もし情熱が薄れたのが37歳だったらもっと強かっただろうし、逆にもっと前に薄れていればどうなっていたか」
(横道に逸れますが、記事の文章そのまま引用していますが、「とき」「いちばん」は平仮名が一般的なのでしょうか?)
いやぁ~、びっくり!
森下氏の情熱の希薄さについては感じることはあった(解説の中で洩らしていた気がする)が、将棋連盟が発行する『将棋世界』誌の対談で語ってしまうとは……
対談での言葉というのは、基本的にすべて記事(文章)になると考えられる。それなのに、堂々と≪私は20年以上前からやる気がなくなってしまい、その後は惰性で将棋を指してきました(仕事をしてきました)。でも、若い時の精進と才能で何とかごまかしてきました≫と公言してしまったのである。しかも、森下氏は連盟の元理事である。
いきなり言いたいことを言ってしまおう。(書き連ねていくと、感情が高まって何を書いてしまうか分からない)
情熱を失ったのなら、さっさと棋士などやめてしまえ!
法を犯していないし、人にも迷惑をかけていないし、私の氏を糾弾する資格も権利もないのは承知しているが、この『将棋世界』の記事を見て、頭に血が上ってしまった。かなり、間を於いて記事を書いているのだが、それでも興奮してしまう。
もちろん、他人に言えない苦労や葛藤はあったと思うが、現役棋士が「情熱がなくなった」と口が裂けても言ってはいけない。しかも、こともあろうか、機関誌の記事になることをが前提の対談で。
先の電王戦では、リップサービスかもしれないが「ぜひ私を七冠王にするプログラムを作ってください」という『“将棋連盟の命運を懸ける”とは掛け離れた』コメントを発していたが、情熱を失った人ゆえのコメントだったのだ。情熱を失った人が、将棋連盟の看板を懸けて将棋ソフトと戦ってはいけない。
また、電王戦において「情熱を取り戻すために竜王戦に名乗りを上げた」とも述べているが、そういう個人的気持ちで戦って欲しくはなかった。
ここで、少し冷静になって、氏の言葉を分析してみよう。
「情熱が薄れたときは自分がいちばん敏感に感じるんです」
「一度情熱が薄れてしまうとそれは前の自分とは別の存在になってしまうんです」
不思議な言い回しである。
引用した全文を解釈すると、「20代半ばで情熱を失い、その後は惰性ですませた」はずなのだが、上記の2文は、「今までに何度か情熱を失ったことがあり、それを敏感に感じた。また、そういう時は、自分と違う存在になってしまっていた」というような印象を受ける。
あるいは、これまでの前世の記憶をいくつも持っており、その経験を踏まえての言葉とも解釈できる。
まあ、こんな分析はともかく、氏の言葉(この対談だけでなく)は、どこか他人任せのように感じることが多い。奨励会やC級2組時代を“地獄の苦しみ”と述懐したと、「その2」でも述べたが、森下氏にとっては将棋を心底好きではなく、自分のために将棋を指していないように思えてしまう。
「もし情熱が薄れたのが37歳だったらもっと強かっただろう」
これも他人事の言い方である。
ダメな人のひとつの言い訳として「自分がやる気になったらすごいよ」という負け犬の遠吠えがあるが、それに近いものを感じる。
この森下氏が大晦日にひと騒動。
「電王戦 リベンジマッチ」
ニコニコ動画の特設サイトには
「『将棋電王戦リベンジマッチ 森下卓九段 vs ツツカナ』は、「第3回将棋電王戦 第4局」小田原城で戦った、森下卓九段とコンピュータ将棋ソフト“ツツカナ”の再戦イベント。第3回将棋電王戦では森下卓九段が自分の将棋を貫き、相矢倉で真っ向勝負を挑んだが、苦戦の局面で大悪手を指し惜しくも敗れた。
その後行われた記者会見で継盤を使っての対局を提案し、再戦のチャンスが与えられた。森下九段が自ら考えたルールでツツカナに勝利することができるのか…」
とある。
森下式対局ルール
持ち時間
3時間(チェスクロック方式)、秒読み10分。継盤使用可
対局時間
番組開場 10:00 対局開始 10:15 終局予定 22:00
(休憩 13:00~14:00、17:00~18:00、21:00~21:30)
プライドをかなぐり捨てた森下氏。
確かに、≪氏の言う“ヒューマンエラー”をなくせば、コンピュータ将棋と互角以上に戦える≫ような気がする。
“ヒューマンエラー”とは、肉体的精神的疲労や時間切迫によって生じるミスと解しているが、休憩を充分に取り疲労を軽減させ、終盤に時間に追われないような対局システムであれば、ヒューマンエラーをかなり防げるはずである。
また、コンピュータ将棋は盤駒を使用しているのと同じであるので、人間が継盤を使用できないのは不公平のような気もする。
「人間の頭脳対コンピュータ」の勝負ならそれで良いが、「棋士」として戦うと考えた場合はどうなのだろう?
“秒読み”と言うが、これでは“分読み”である。継盤使用する図は、棋士としては格好悪いぞ。
そんな格好悪い画で負けたら、本当に格好悪い。
そんな格好悪さが、将棋界に及ぼす影響を考えたのだろうか。
情熱云々は置いていても、「負けたら引退」ぐらいの覚悟を持って勝負に臨んでほしい。(あっ、そうすると、ヒューマンエラーが生じてしまうか)
【蛇足】
ところで、本当に22時に終局するのだろうか?
持ち時間がチェスクロック使用の3時間なので、両者が同じような時間の使い方をすれば、実際の対局経過時間が6時間で秒読みに突入する。その時刻が18:15。その時点での局面が中盤か終盤か寄せの段階かは予測できないが、仮に終盤戦に入った辺りと仮定しよう。
昨日の順位戦B級1組10回戦において、6対局のうち3番目と4番目に終局した豊島七段-松尾七段、畠山七段-木村八段を見ると、終盤に入ったと思われた局面から終局までに30手ほど指されている。
1手平均8分費やすとして、8分×30=240分=6時間で、リベンジマッチの対局システムに当てはめると、24:45となる。
まあ、これは両者のペース配分によって大きく変わるが……