関ヶ原の戦いと九州制圧
関ヶ原の戦いは小早川秀秋の寝返り(優柔不断で決められなかった秀秋だが、家康が大砲を撃ち込む恫喝が決定打となった)で、拮抗していた戦い(やや西軍が押していたが息切れの気配もあったらしい)の均衡が破れ、西軍総崩れとなり、1日で決着。
九州を制圧し引き入れた軍勢を以って、天下取りを目論んだ如水であったが、天下分け目の一戦がわずか1日の決着で、野望は潰えた………
主人公の見せ場を作るため、如水に天下取りの野望を持たせ、無理やり九州制圧を関ヶ原の戦いに絡ませたが、その野望が1日で潰えるのを知っているせいか、得意気に“天下取りの秘策”を口にし、輿の上でふんぞり返る如水が滑稽に思えてならなかった。
そもそも、如水が天下取りの野心は全くなく、天下泰平を願い、ひたすら秀吉の下で動いてきた。秀吉臨終の際にも天下取りを否定していた。
それが、家康が更なる争乱を起こそうとしていると知るや、(家康を封じるのならいざ知らず)自ら天下を欲っさせ、終盤近くまで描いていた官兵衛の生き方を180度方向転換させてしまった。
それに、今大河では、関ヶ原の戦いには如水の誘導が多分に影響しており、関ヶ原は如水の計画の中核を成していたはず。それなのに、決戦が一日で終了してしまい、まったく天下取りが間に合わないのでは、格好悪過ぎである。
真剣に天下取りを狙うのなら、一応、誘いのあった三成方に与するポーズを取り、開戦を遅らす工作をしなければならなかった。しかし、それだと西軍派の九州を制するのは反三成になってしまうなあ……
とにかく、三成へ牽制(嫌がらせ)と勝利するであろう家康の手土産で九州制圧に動いたとする方が自然であろう。
さて、関ヶ原の戦いであるが……
「宇喜多勢に福島正則が撃ちかかりしてございまする」という注進で戦闘シーン突入。
長政「よいかぁ!今こそまさに、天下分け目の決戦じゃぁ!」
又兵衛「後れを取るなぁ!ここが命の捨て所ぞぉ!我に続けぃ」
と勇ましく黒田勢も突入!
と、盛り上がったものの、“天下分け目の決戦”というのに、登場した武将が少なすぎ。
宇喜多秀家も福島正則も注進(伝令)の台詞だけで処理。大谷吉継の奮戦、島津勢の敵陣突破の退却は今ドラマの主流でないので描かないのは仕方がないが、毛利軍の不動については描くべきなのではないだろうか(斬首間際の恵瓊の「まさか、吉川、小早川、共に調略していたとはなあ……さすが如水殿の息子、あっぱれじゃ」で済ませてしまった)
小早川秀秋の腰抜け振りは、なかなかだったが……
三成の最期
処刑前に長政と対峙
「憐みは無用。我が思い、如水殿だけは分かってくれる」と。
家康の回想(如水との会談時に明かす)
「武運拙く敗れ、天下を正すこと叶わず、無念でございます。
されど、天下を争うことができたこと、本望にございました」
三成の人生観については後述するとして、
無理やり、三成と如水をリンクさせた上記の会話より、
処刑前の三成、小西行長、安国寺恵瓊の3人に、家康が小袖を与えた際、他の二人は受け取ったが、三成は「この小袖は誰からのものか」と聞き、「江戸の上様(家康)からだ」と言われると、「上様といえば秀頼公より他にいないはずだ。いつから家康が上様に成ったのか」と言って受け取らなかった(『常山紀談』・『武功雑記』)
とか、
「三成が処刑直前に喉が乾いたので警護の者に水を所望した際、「水は無いが、柿がある。代わりにそれを食せ」と言われたのに対し、三成は「柿は痰の毒であるのでいらない」と答えた。これを聞いた警護の者は「もうすぐに首を切られる者が、今から毒断ちをして何になる」と笑ったが、三成は「大志を持つ者は、最期の瞬間まで命を惜しむものだ」と言い、泰然としていたという(『茗話記』・真田増誉の『明良洪範』)」
を入れてほしかったが、今回の三成の扱いようでは、期待はしていなかった。
如水、長政に文句を言う
「長政、(長政を讃える為)内府殿がお前の手を取ったと言うたが、それはどちらの手じゃ?」
「右手でございますが」
「その時お前の左手は何をしておった」
「左手……………………………………………!」
如水の意を解した長政を、見下すように立ち去る如水。
有名な逸話だが、長政がちょっと気の毒(笑)
家康、如水の会談
「天下は一人の天下に非ず、天下は天下の天下なり」(by家康)
自分が死んでも争いの起こらぬ太平の世を創る。
私利私欲の為ではないと如水に約束する家康。
官兵衛の方向転換は、家康が再び争乱を起こそうとしたことが原因であったが、如水の早とちり?
それはさておき、家康に天下を託して、官兵衛は表舞台から去った。
(家康が江戸に幕府を開いた後)
如水とおね、世間話
「今田豊臣の天下を夢見ているのは…淀殿、そして清正、正則くらいです。
清正、正則は今になって、徳川殿に味方したことを悔やんでおる(笑)」
<おねの回想>
「まさか、このまま徳川の天下になろうとは……」
「秀頼君だけは、なんとしても守らねば」
関ヶ原に参戦した正則はまだ出番があったが、清正は九州制圧に一役買ったはずだが、この台詞だけ。
この二人、大坂の陣では何かしたのだろうか?
それにしても、おねは変わらないなあ。
江戸幕府が倒れるまで生きたのではないだろうか?
如水、長政を讃え、善助に感謝
「4年前、関ヶ原の折、九州で天下の夢を見た。だが、その夢もわずか1日で破れた。
他ならぬ、お前(長政)の働きによってじゃ……
……見事であった。お前は、立派に黒田家を守った。
あれでよかったのだ。
長政、お前は…………あの時お前はワシを超えた。うれしかったぞ」
長政、やっと官兵衛に認められた。
さらに、善助に自身の兜を授け、感謝の意を伝える。
この頃の兜って、実用性はないよね。
特に、長政の兜って、足(頭)を引っ張りそう…
如水の最期
皆に感謝し、息を引き取る。
「光……お前が妻で良かった」
最後はやはり、光に対しての感謝が主。
回想シーンも挿入。
あ、そう言えば、テーマ曲でのクレジットで、「福島リラ(回想)」とあったが、官兵衛・光が赤子(長政)を抱くシーンで、遠くの廊下で侍女3人と善助が見守っていたが、親子3人にピントを合わせているため、廊下の4人はピンボケ。
……これでも、出演と言うのだろうか?
なんだか、ダラダラ感が強いなあ。
大坂の陣も挿入し、淀と又兵衛の最期も。
官兵衛が長政を認めた際、家臣を大事にせよと言っていたが、結局守れなかった。どういう経緯があったのか気になるが、如水が主人公なので描くのも変。この際、又兵衛の最期は描かなくても良かったのでは。
思い切り、説明台詞を同僚の兵士が語ってくれたが……
【総評】(と言うと大袈裟ですが)
官兵衛と深く関わった人物は……
……ドラマ序盤では、父・職隆、小寺政職、中盤は竹中半兵衛、荒木村重らがいるが、全編を通して考えると、光や家臣団を除くと、秀吉と三成であろう。
秀吉については、官兵衛の才に怖れや嫉妬を抱き遠ざけた心情、淀に執着、天下人となった故、徐々に狂い始めた様などは納得に近いものであった。(三成を重用した理由は描写不足)
しかし、三成の描写に関しては、非常に不満である。
最終回において、「天下を正すこと叶わず、無念。されど、天下を争うことができたことは本望」と語っていたが、ここまで、三成の心情についての描写は不十分、と言うより、私の視聴力が不足しているのか、まったく、読み取れなかった。
①「秀吉に認められたい」
②「天下を取りたい」
③「淀の喜ぶ顔を見たい」
④「天下は要らないが、官僚としての自分の才覚を発揮したい」
⑤「官兵衛が嫌い」
などが考えられるが、おそらく、比重に偏りはあるがすべてなのだろう。
⑤については感情的(感覚的)なものや理論(何を第一に考えるか)が合致しないこともあるが、①~④の目的を果たそうとすると官兵衛が邪魔をする(官兵衛にはその意思はないが)ので嫌いになったということもあるだろう。
そういう複合的なものは良いのだが、三成の心情の柱がないのと、心理描写がないのが問題。
このドラマにおいては、三成の心情から起因した行動はなく、三成は“官兵衛と相反する存在”として描かれ、“意思を持たない単なる敵役”に陥ってしまった。三成の行動は、官兵衛の邪魔をするためのものだけになってしまった。
そのせいで、ほとんど魅力なしの嫌われキャラで演じた田中圭さんが気の毒だった。(主人公を際立たせるには、敵役を貶めるという手法もありで、三成を魅力的に描くのが必須ではない)
しかし、私の好みだけなのかもしれないが、やはり敵役に魅力があった方が主人公も光るし、ドラマも面白い。もちろん、敵役に魅力がなくてもいいが、せめて、行動に一貫性を持たせてほしい。
そのため、クライマックスである関ヶ原の戦いも盛り上がりに欠け、三成の最期に何の感慨もなかった。
官兵衛に関しては、九州制圧の項で書いたように、官兵衛の信念が180度方向転換してしまったことに、大きな不満を感じる。
この大転換は、三成の人物像がぐらついてしまったことに起因しているような気もする。
で、最後まで観て感じたことは、
≪“(官兵衛を通して)何を描きたかったのか”を全く感じられなかった≫
残念さであった。
関ヶ原の戦いは小早川秀秋の寝返り(優柔不断で決められなかった秀秋だが、家康が大砲を撃ち込む恫喝が決定打となった)で、拮抗していた戦い(やや西軍が押していたが息切れの気配もあったらしい)の均衡が破れ、西軍総崩れとなり、1日で決着。
九州を制圧し引き入れた軍勢を以って、天下取りを目論んだ如水であったが、天下分け目の一戦がわずか1日の決着で、野望は潰えた………
主人公の見せ場を作るため、如水に天下取りの野望を持たせ、無理やり九州制圧を関ヶ原の戦いに絡ませたが、その野望が1日で潰えるのを知っているせいか、得意気に“天下取りの秘策”を口にし、輿の上でふんぞり返る如水が滑稽に思えてならなかった。
そもそも、如水が天下取りの野心は全くなく、天下泰平を願い、ひたすら秀吉の下で動いてきた。秀吉臨終の際にも天下取りを否定していた。
それが、家康が更なる争乱を起こそうとしていると知るや、(家康を封じるのならいざ知らず)自ら天下を欲っさせ、終盤近くまで描いていた官兵衛の生き方を180度方向転換させてしまった。
それに、今大河では、関ヶ原の戦いには如水の誘導が多分に影響しており、関ヶ原は如水の計画の中核を成していたはず。それなのに、決戦が一日で終了してしまい、まったく天下取りが間に合わないのでは、格好悪過ぎである。
真剣に天下取りを狙うのなら、一応、誘いのあった三成方に与するポーズを取り、開戦を遅らす工作をしなければならなかった。しかし、それだと西軍派の九州を制するのは反三成になってしまうなあ……
とにかく、三成へ牽制(嫌がらせ)と勝利するであろう家康の手土産で九州制圧に動いたとする方が自然であろう。
さて、関ヶ原の戦いであるが……
「宇喜多勢に福島正則が撃ちかかりしてございまする」という注進で戦闘シーン突入。
長政「よいかぁ!今こそまさに、天下分け目の決戦じゃぁ!」
又兵衛「後れを取るなぁ!ここが命の捨て所ぞぉ!我に続けぃ」
と勇ましく黒田勢も突入!
と、盛り上がったものの、“天下分け目の決戦”というのに、登場した武将が少なすぎ。
宇喜多秀家も福島正則も注進(伝令)の台詞だけで処理。大谷吉継の奮戦、島津勢の敵陣突破の退却は今ドラマの主流でないので描かないのは仕方がないが、毛利軍の不動については描くべきなのではないだろうか(斬首間際の恵瓊の「まさか、吉川、小早川、共に調略していたとはなあ……さすが如水殿の息子、あっぱれじゃ」で済ませてしまった)
小早川秀秋の腰抜け振りは、なかなかだったが……
三成の最期
処刑前に長政と対峙
「憐みは無用。我が思い、如水殿だけは分かってくれる」と。
家康の回想(如水との会談時に明かす)
「武運拙く敗れ、天下を正すこと叶わず、無念でございます。
されど、天下を争うことができたこと、本望にございました」
三成の人生観については後述するとして、
無理やり、三成と如水をリンクさせた上記の会話より、
処刑前の三成、小西行長、安国寺恵瓊の3人に、家康が小袖を与えた際、他の二人は受け取ったが、三成は「この小袖は誰からのものか」と聞き、「江戸の上様(家康)からだ」と言われると、「上様といえば秀頼公より他にいないはずだ。いつから家康が上様に成ったのか」と言って受け取らなかった(『常山紀談』・『武功雑記』)
とか、
「三成が処刑直前に喉が乾いたので警護の者に水を所望した際、「水は無いが、柿がある。代わりにそれを食せ」と言われたのに対し、三成は「柿は痰の毒であるのでいらない」と答えた。これを聞いた警護の者は「もうすぐに首を切られる者が、今から毒断ちをして何になる」と笑ったが、三成は「大志を持つ者は、最期の瞬間まで命を惜しむものだ」と言い、泰然としていたという(『茗話記』・真田増誉の『明良洪範』)」
を入れてほしかったが、今回の三成の扱いようでは、期待はしていなかった。
如水、長政に文句を言う
「長政、(長政を讃える為)内府殿がお前の手を取ったと言うたが、それはどちらの手じゃ?」
「右手でございますが」
「その時お前の左手は何をしておった」
「左手……………………………………………!」
如水の意を解した長政を、見下すように立ち去る如水。
有名な逸話だが、長政がちょっと気の毒(笑)
家康、如水の会談
「天下は一人の天下に非ず、天下は天下の天下なり」(by家康)
自分が死んでも争いの起こらぬ太平の世を創る。
私利私欲の為ではないと如水に約束する家康。
官兵衛の方向転換は、家康が再び争乱を起こそうとしたことが原因であったが、如水の早とちり?
それはさておき、家康に天下を託して、官兵衛は表舞台から去った。
(家康が江戸に幕府を開いた後)
如水とおね、世間話
「今田豊臣の天下を夢見ているのは…淀殿、そして清正、正則くらいです。
清正、正則は今になって、徳川殿に味方したことを悔やんでおる(笑)」
<おねの回想>
「まさか、このまま徳川の天下になろうとは……」
「秀頼君だけは、なんとしても守らねば」
関ヶ原に参戦した正則はまだ出番があったが、清正は九州制圧に一役買ったはずだが、この台詞だけ。
この二人、大坂の陣では何かしたのだろうか?
それにしても、おねは変わらないなあ。
江戸幕府が倒れるまで生きたのではないだろうか?
如水、長政を讃え、善助に感謝
「4年前、関ヶ原の折、九州で天下の夢を見た。だが、その夢もわずか1日で破れた。
他ならぬ、お前(長政)の働きによってじゃ……
……見事であった。お前は、立派に黒田家を守った。
あれでよかったのだ。
長政、お前は…………あの時お前はワシを超えた。うれしかったぞ」
長政、やっと官兵衛に認められた。
さらに、善助に自身の兜を授け、感謝の意を伝える。
この頃の兜って、実用性はないよね。
特に、長政の兜って、足(頭)を引っ張りそう…
如水の最期
皆に感謝し、息を引き取る。
「光……お前が妻で良かった」
最後はやはり、光に対しての感謝が主。
回想シーンも挿入。
あ、そう言えば、テーマ曲でのクレジットで、「福島リラ(回想)」とあったが、官兵衛・光が赤子(長政)を抱くシーンで、遠くの廊下で侍女3人と善助が見守っていたが、親子3人にピントを合わせているため、廊下の4人はピンボケ。
……これでも、出演と言うのだろうか?
なんだか、ダラダラ感が強いなあ。
大坂の陣も挿入し、淀と又兵衛の最期も。
官兵衛が長政を認めた際、家臣を大事にせよと言っていたが、結局守れなかった。どういう経緯があったのか気になるが、如水が主人公なので描くのも変。この際、又兵衛の最期は描かなくても良かったのでは。
思い切り、説明台詞を同僚の兵士が語ってくれたが……
【総評】(と言うと大袈裟ですが)
官兵衛と深く関わった人物は……
……ドラマ序盤では、父・職隆、小寺政職、中盤は竹中半兵衛、荒木村重らがいるが、全編を通して考えると、光や家臣団を除くと、秀吉と三成であろう。
秀吉については、官兵衛の才に怖れや嫉妬を抱き遠ざけた心情、淀に執着、天下人となった故、徐々に狂い始めた様などは納得に近いものであった。(三成を重用した理由は描写不足)
しかし、三成の描写に関しては、非常に不満である。
最終回において、「天下を正すこと叶わず、無念。されど、天下を争うことができたことは本望」と語っていたが、ここまで、三成の心情についての描写は不十分、と言うより、私の視聴力が不足しているのか、まったく、読み取れなかった。
①「秀吉に認められたい」
②「天下を取りたい」
③「淀の喜ぶ顔を見たい」
④「天下は要らないが、官僚としての自分の才覚を発揮したい」
⑤「官兵衛が嫌い」
などが考えられるが、おそらく、比重に偏りはあるがすべてなのだろう。
⑤については感情的(感覚的)なものや理論(何を第一に考えるか)が合致しないこともあるが、①~④の目的を果たそうとすると官兵衛が邪魔をする(官兵衛にはその意思はないが)ので嫌いになったということもあるだろう。
そういう複合的なものは良いのだが、三成の心情の柱がないのと、心理描写がないのが問題。
このドラマにおいては、三成の心情から起因した行動はなく、三成は“官兵衛と相反する存在”として描かれ、“意思を持たない単なる敵役”に陥ってしまった。三成の行動は、官兵衛の邪魔をするためのものだけになってしまった。
そのせいで、ほとんど魅力なしの嫌われキャラで演じた田中圭さんが気の毒だった。(主人公を際立たせるには、敵役を貶めるという手法もありで、三成を魅力的に描くのが必須ではない)
しかし、私の好みだけなのかもしれないが、やはり敵役に魅力があった方が主人公も光るし、ドラマも面白い。もちろん、敵役に魅力がなくてもいいが、せめて、行動に一貫性を持たせてほしい。
そのため、クライマックスである関ヶ原の戦いも盛り上がりに欠け、三成の最期に何の感慨もなかった。
官兵衛に関しては、九州制圧の項で書いたように、官兵衛の信念が180度方向転換してしまったことに、大きな不満を感じる。
この大転換は、三成の人物像がぐらついてしまったことに起因しているような気もする。
で、最後まで観て感じたことは、
≪“(官兵衛を通して)何を描きたかったのか”を全く感じられなかった≫
残念さであった。