英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

タイトル(名人位)を失うということ

2016-06-01 09:51:29 | 将棋
 一夜明けました。
 そして、≪ああ、そうだったんだな≫と沈む。

 現在、将棋のタイトルは、年度初めからの開催順に並べると、名人、棋聖、王位、王座、竜王、王将、棋王(王将と、棋王はほぼ重複)。
 この中で、名人位と竜王位は別格とされていて、契約金が「大きい竜王位の方が上」という読売新聞社の主張に従い、表向きには竜王位が「やや上」の扱いになっているが、連盟内の棋士の序列では同格で、個人の実績(タイトル保持数)や棋士番号で順位を決めている。昨日までは、羽生名人(王位、王座、棋聖)、渡辺竜王(棋王)郷田王将、の順であったが、渡辺竜王(棋王)、佐藤名人、羽生王位・王座・棋聖、郷田王将となる。(ちなみに、その他のタイトルは、契約金額の順に王位、王座、棋王、王将、棋聖となっている模様)

 ただ、棋士、あるいはファンの思いは「名人>竜王」となっているようで、「将棋で一番強い人」「将棋の第一人者」「将棋界の顔」といえば名人と思っている人が多数であろう。歴史的にも江戸時代から続いている名人位に格式を感じる。
 棋士の場合は特にそうで、順位戦のクラスによって地位も給料も決まる。いや、竜王戦のクラスでも同様なのでそうは言えないのだが、それでも、関根13世名人引退後から始まった順位戦の歴史の積み重ねが大きく、「順位戦のクラス=地位」という概念が強い。
 さらに、抽選の運不運(対戦相手の厳しさ)はあるにせよ、リーグ戦をほぼ1年(正確には10か月)戦い抜いた勝者が昇級するという厳しさが実感され、やはり、順位戦への思い入れは大きいようだ。その厳しさを突破してたどり着くのがA級順位戦で、それがトップ棋士の証。そのトップ棋士の戦いを勝ち抜いた棋士のみが名人位に挑戦できるのである。
 名人位失冠が決まった時、挑戦者になって奪還してほしいと思ったが、同時に、あのA級順位戦を戦うのか……とその困難さを感じてしまった。もちろん、勝ち抜いて、来期の名人戦のひのき舞台に立って、名人位を奪還することを信じているが。

 ところで、将棋界や囲碁界とスポーツ界(個人競技)は勝負を争う点では似ているが、大きく異なる点がある。
 それがタイトル。もちろん、スポーツ界にもタイトルはある。テニスだとウインブルドン(全英オープン)、全米、全仏、全豪、男子ゴルフの4大メジャーは、マスターズ・トーナメント、全米オープン、全英オープン選手権、全米プロゴルフ選手権(PGA選手権)がそうで、一般の競技では、オリンピックと世界選手権が目指すタイトルである。
 棋士とスポーツ選手の大きな違いは、個人名にタイトルを冠するかどうかである。前年度チャンピオン(前回覇者)と称することはあっても「ジョコビッチ・ウインブルドン王」や「タイガーウッズ・マスターズ王」とは言わない。(プレーヤーの紹介として、4大大会の実績や、その大会の過去の成績を紹介したり讃えることはある)

 その点、棋士は渡辺竜王、郷田王将と称される。そして、佐藤天彦八段は「佐藤名人」と称される。
 そう、今後少なくとも一年間は、「佐藤名人」と呼ばれるたびに、また、その文字を目にするたびに、残念感、悔しさが蘇るのである。嗚呼
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