今週の訓話
なんと!唄付きでした。流石、最終回。
茶化してしまいましたが、天海さんの唄、本当に良かったです。
訓話も良かったです。
「人は何故頑張るのか?それは、DNAの為。
DNAは肉体的な遺伝だけでなく、心のスピリットもバトンしていく。
あなたがあきらめれば、あなたの子どもも諦める。
あなたが逃げだせば、あなたの子どもも逃げ出すでしょう。
だけど、投げださず、折れなかった気持ちは、
必ず、あなたの子どもに受け継がれるでしょう。
そうやって、人の想いはバトンしていくのです」
「チャップリンが「あなたの代表作はどれか」と尋ねられた時、
「NEXT ONE」と答えたそうです。
生きている限り、振り返ることなく、自分のベストは次だと。
留まることなく、次に向かって欲しい」
ドラマとしては、廉を当て馬にして、洸を立ち直らせる。しかも、廉を死の淵に立たせて、ギリギリのところで真打ち(洸)を登場させ、見事な復活を果たす。
そして、今週のテーマで締める。
と、本当はここで終われば鮮やかな収束と行くのでしょうが、連続ドラマの宿命というか、最終回前で最高の盛り上がりに持っていかなければならないので、たいがいの最終回は、残り25分ぐらいは間延び感を伴うものになってしまうことが多いです。
で、そうならない為もうひと山を作る必要が生じます。それが、聖子の愚挙(悠里をナイフで狙う)による蓮見の重体。
悠里と聖子の対決は心に響くモノはありませんでした。
本来ならば、先週の蓮見の厳しい指摘「子どもが引き篭もるようになったのは、聖子が折れたからだ」(離婚して片親になってしまった負い目から、息子の機嫌を伺うようになってしまった=ドラマのテーマ「子どもの力、人間を信じて、妥協せず、高みに導くべきだ」の逆)で、聖子の件は終結すべきところです。
ただ、ドラマとしては、悠里と聖子が対決しないと形になりません。蓮見の重体も必要ですし。
悠里の『幸・不幸のブランコ論』……「幸、不幸はブランコのように揺れている。それが嫌になってブランコを止めてしまったら、退屈なだけ。辛くても漕ぎだして、揺らして幸せのところまで届かす」は面白い例えでした。
漕がないと幸せには届かない。悠里らしいです。
しかし、聖子に対して、自分の不幸を並べ立てるのは説得力がありません。確かに、不幸な要素はありますが、財力も権力も能力も美貌もある人に「これでも私が幸せだと妬ましい?」と聞かれてもねえ。基本的水準が高いですよね。
聖子の暴挙も最終回ゆえのものでしたが、一応最終回の盛り上がりました。
血液型をものともしない「早乙女の血」
悠里の想いの具象化の心霊現象
悠里と蓮見の少年時代からの強い結びつきなどなど。
その甲斐あって、蓮見は回復。
退院時などは、危篤だったのが嘘のような血色の良さです。
さらに、そこでサプライズ!
「チョウチョはどっかに飛んでった」って……
晶のタトゥーはシールだった……
「シールもありか」と頭をよぎったこともありましたが、まさか、そんなことをマジでやるとは。
2、3発殴られた時点で、真相を明かすでしょう。あれだけ殴られ、あの切迫したシーンは何だったのでしょうか?
恋人と別れて、失意のどん底に墜ちた思春期の娘が…シール…ですか。
この娘、何を考えていたのでしょうか???宇津木は行方不明のままだし……
蓮見は悠里が好きだったのですが、悠里の幸せを願い身を引き、家族として接していくようです。
悠里の兄の言葉「丈治、お前は家族だ。悠里に恋をしたら、もう家族じゃない」を蓮見は回想しましたが、結婚したら家族になるのではと、突っ込みたくなりました。
この兄貴、悠里には「GOLD」、蓮見には「妹に手を出すな」の呪縛を残しました。このドラマの諸悪の根源と言えるでしょう。
クライマックスは、リカの再採用。
悠里がGOLDの為、廉の生命を脅かす行為に対し発した言葉「社長にはついていけません」の揚げ足を取って辞表を出させた感が強いです。
「秘書が何たるか」を諭していましたが、非常過ぎでしょう。蓮見が気を利かさなかったら、あのまま縁がなくなっていたのでしょうか。
一度解雇して、再採用というのはありがちでつまらないとも思いましたが、敢えてベタな展開にして、リカと悠里の回想シーンを盛り込んで、ダブル「そんな~」で締めくくりました。
このドラマ、脚本の野島氏の一番の目的(動機)は、毎週の悠里に語らせた主張でしょう。そして、悠里とリカのコントによる小テーマも動機の一つで、これらが主で、ゴールドや早乙女家云々は付け足しで、ドラマ自体はぶれていたように感じました。
最終回も不満はかなり有ります(幸運の女神・麻衣子も使い捨て?)が、ラストを見ると、「これはこれでいいか」と思います。まあ、「NEXT ONE」です。(おお、上から目線!)
なんと!唄付きでした。流石、最終回。
茶化してしまいましたが、天海さんの唄、本当に良かったです。
訓話も良かったです。
「人は何故頑張るのか?それは、DNAの為。
DNAは肉体的な遺伝だけでなく、心のスピリットもバトンしていく。
あなたがあきらめれば、あなたの子どもも諦める。
あなたが逃げだせば、あなたの子どもも逃げ出すでしょう。
だけど、投げださず、折れなかった気持ちは、
必ず、あなたの子どもに受け継がれるでしょう。
そうやって、人の想いはバトンしていくのです」
「チャップリンが「あなたの代表作はどれか」と尋ねられた時、
「NEXT ONE」と答えたそうです。
生きている限り、振り返ることなく、自分のベストは次だと。
留まることなく、次に向かって欲しい」
ドラマとしては、廉を当て馬にして、洸を立ち直らせる。しかも、廉を死の淵に立たせて、ギリギリのところで真打ち(洸)を登場させ、見事な復活を果たす。
そして、今週のテーマで締める。
と、本当はここで終われば鮮やかな収束と行くのでしょうが、連続ドラマの宿命というか、最終回前で最高の盛り上がりに持っていかなければならないので、たいがいの最終回は、残り25分ぐらいは間延び感を伴うものになってしまうことが多いです。
で、そうならない為もうひと山を作る必要が生じます。それが、聖子の愚挙(悠里をナイフで狙う)による蓮見の重体。
悠里と聖子の対決は心に響くモノはありませんでした。
本来ならば、先週の蓮見の厳しい指摘「子どもが引き篭もるようになったのは、聖子が折れたからだ」(離婚して片親になってしまった負い目から、息子の機嫌を伺うようになってしまった=ドラマのテーマ「子どもの力、人間を信じて、妥協せず、高みに導くべきだ」の逆)で、聖子の件は終結すべきところです。
ただ、ドラマとしては、悠里と聖子が対決しないと形になりません。蓮見の重体も必要ですし。
悠里の『幸・不幸のブランコ論』……「幸、不幸はブランコのように揺れている。それが嫌になってブランコを止めてしまったら、退屈なだけ。辛くても漕ぎだして、揺らして幸せのところまで届かす」は面白い例えでした。
漕がないと幸せには届かない。悠里らしいです。
しかし、聖子に対して、自分の不幸を並べ立てるのは説得力がありません。確かに、不幸な要素はありますが、財力も権力も能力も美貌もある人に「これでも私が幸せだと妬ましい?」と聞かれてもねえ。基本的水準が高いですよね。
聖子の暴挙も最終回ゆえのものでしたが、一応最終回の盛り上がりました。
血液型をものともしない「早乙女の血」
悠里の想いの具象化の心霊現象
悠里と蓮見の少年時代からの強い結びつきなどなど。
その甲斐あって、蓮見は回復。
退院時などは、危篤だったのが嘘のような血色の良さです。
さらに、そこでサプライズ!
「チョウチョはどっかに飛んでった」って……
晶のタトゥーはシールだった……
「シールもありか」と頭をよぎったこともありましたが、まさか、そんなことをマジでやるとは。
2、3発殴られた時点で、真相を明かすでしょう。あれだけ殴られ、あの切迫したシーンは何だったのでしょうか?
恋人と別れて、失意のどん底に墜ちた思春期の娘が…シール…ですか。
この娘、何を考えていたのでしょうか???宇津木は行方不明のままだし……
蓮見は悠里が好きだったのですが、悠里の幸せを願い身を引き、家族として接していくようです。
悠里の兄の言葉「丈治、お前は家族だ。悠里に恋をしたら、もう家族じゃない」を蓮見は回想しましたが、結婚したら家族になるのではと、突っ込みたくなりました。
この兄貴、悠里には「GOLD」、蓮見には「妹に手を出すな」の呪縛を残しました。このドラマの諸悪の根源と言えるでしょう。
クライマックスは、リカの再採用。
悠里がGOLDの為、廉の生命を脅かす行為に対し発した言葉「社長にはついていけません」の揚げ足を取って辞表を出させた感が強いです。
「秘書が何たるか」を諭していましたが、非常過ぎでしょう。蓮見が気を利かさなかったら、あのまま縁がなくなっていたのでしょうか。
一度解雇して、再採用というのはありがちでつまらないとも思いましたが、敢えてベタな展開にして、リカと悠里の回想シーンを盛り込んで、ダブル「そんな~」で締めくくりました。
このドラマ、脚本の野島氏の一番の目的(動機)は、毎週の悠里に語らせた主張でしょう。そして、悠里とリカのコントによる小テーマも動機の一つで、これらが主で、ゴールドや早乙女家云々は付け足しで、ドラマ自体はぶれていたように感じました。
最終回も不満はかなり有ります(幸運の女神・麻衣子も使い捨て?)が、ラストを見ると、「これはこれでいいか」と思います。まあ、「NEXT ONE」です。(おお、上から目線!)
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