英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『幽かな彼女』 第10話「神山先生、最後の授業」

2013-06-12 18:02:28 | ドラマ・映画
今回の見所(柱)はふたつ。
1.アカネの死の真相と、それが明らかになることで副校長のわだかまり「生徒を信用しない」が解ける
 アカネは渡部淳也に殺されたのではなく、自殺しようとした淳也を止めようとしたアカネが刺されてしまったというのが真相だった。
 副校長は、自分が茜先生を騙し、そのせいで茜先生が殺されてしまった。茜先生の生徒である自分と淳也が先生を死に至らしめたという思いが、生徒を信じず、生徒を許さなくなっていた。リサの事件を一方的に処分を降し、リサの復学も認めないという判断も、そういうわだかまりがあったからだ。

 このドラマの大きなポイントであるアカネの死の真相、主要人物の一人の副校長のトラウマが解決する大きな事象のはずだが、いまひとつ、感情移入ができなかった。
 というのは、リサの事件以後は副校長らしくない処断だったが、それまでは、実に客観的、理論的で厳しくも優しさのある判断を見せていた。リサの事件が淳也の事件と似ているといことはあるが、副校長の変調ぶりには不自然さを感じた。

 深読みしすぎかもしれないが、副校長が「らしさ」を発揮したら、今回のリサの復学問題が暁の転任問題までこじれなかっただろう。
 リサの父親が権力者であるとは言え、その要求があまりにも理不尽なもので、副校長が正常だったら、「マスコミに公表する」という強硬手段をちらつかせ教育委員会を押さえようとはせず、根本的な解決手段を採ろうとしたはずだ。リサの復学も応援するはずだ。ストーリーの都合上、副校長が変調でないといけなかった?

 なので、アカネの死の真相、副校長のわだかまり、リサの復学問題をうまく絡ませ、ストーリーの巧みさを感じたが、本来はもっと大きなヤマとなるはずのアカネの死の真相が流れてしまったように感じて、残念だった。


2.本音をぶつけ合いリサがクラスメートに受け入れられる
 暁自体もそうだったが、生徒との距離を保ち、深くかかわらず、踏み込まないようにしていた。
 しかし、岩名先生の口癖ではないが「ぶつかり合って、生まれることがある」。
 ぶつかるのは痛い、時には怪我もする。距離を保ち、ぶつからないのは安全で傷つかない。しかし、ぶつかって生まれるモノもあるし、困難や痛みを克服してこそ、面白い。

 暁は自分の教師としての姿勢を生徒たちに語っていたが、それは子どもの成長や友達との関わり合いにも言えること。リサは香取に言われる前に、自ら矢沢たちに本音をぶつけることができたのは良かった。


 林先生も、変な呼びかけだったが、「無理せず本音を吐け」と言いたかったのだろう。
 その林先生の変化を、岩名先生は心から喜んでいた。良い先生だなあ。
 林先生も、何だかんだで河合先生のいいアドバイザーになっている。


 それにしても、リサの父親は「吐き気がする奴」だった。

「世の中は競争社会だ。学歴で収入で社会的地位で、人生の勝ち負けが簡単に決まってしまう。
 そういう現実を子どもに教えないのはただの欺瞞でしょう。
 だから、私は自分の子どもには強さを求めているんです。
 たとえば、いじめられる側よりもいじめる側の人間になることを」

「吐き気がします。あなたみたいな人が父親で政治家だなんて」(よく言ったぞ!)

「今の私の言葉は、世の中の多くの親の本音だと思いますよ。
 誰だって自分の子どもにはより幸せになってもらいたい。
 それ以外の子どもを蹴倒してでも」

 歪んだ自分の信念を、子どもに押し付けないでほしい。
 自分の考えが正しい、支持されると自惚れないでほしい。

 こいつ、最終回で改心できるんだろうか?


 それにしても、今の中学生は、言葉遣いが悪いなあ。
 暁に言わせれば「大人たちをカッコ悪い」と見下しているらしいが、もっと、年上を敬え!(年を食っていても、尊敬できない人はいるけど)
 長く生きるってことは、それだけで大変なんだぞぅ。

 
 何か最終回は大騒動になっている。
 そして、アカネはどうなる?



【ストーリー】番組サイトより
暁(香取慎吾)のクラスの文化祭の出し物が合唱に決まった。香奈(未来穂香)はさっそく停学中のりさ(山本舞香)に連絡。りさの早い復学を願ってのことだが、りさに反感を抱く舞(飯豊まりえ)らには、それがおもしろくない。

そんな折、轟木(加藤虎ノ介)が暁に転任を勧告。京塚(飯田基祐)がりさを復学させる条件として、暁を学校から追い出すよう教育委員会に要請したらしい。だが、和泉(真矢みき)はこの要求をはねつけ、りさを学校に戻すつもりはないと断言。親の愛情に飢えて心が歪み、茜をあやめた淳也に似たりさを許せずにいたのだ。このことを知ったアカネ(杏)は、和泉を救ってあげてほしいと暁に頼む。

そんな折、京塚の理不尽な要求を知ったりさの「私、学校に戻れない」という悲痛な訴えを聞いた千穂(前田敦子)は京塚家へ。権力を振りかざして暁を転任させようとする京塚をとがめるが、京塚は暁が「気に入らない」と聞く耳を持たない。

その頃、暁はアカネとともに和泉に会い、和泉の知らなかった27年前の真相を話していた。茜は和泉のおびえた様子に危険を察知していたが、淳也を信じて教室へ。親に絶望して自殺を図ろうとしていた淳也を止めようと揉み合ううち、ナイフが誤って茜に刺さってしまった。そして死んでからも、茜は自責の念にかられる淳也を救おうと部屋に現れ、そのまま地縛霊になったのだ。

あの夜のことは、不幸な事故だった。「いいの、もう苦しまなくて」と慰めるアカネの気配を感じて心がほぐれ、涙を流す和泉。暁は、茜が淳也を信じていたようにりさのことも「信じてみませんか?」と和泉を説得する。

翌朝、暁は「今日一日だけ、僕を京塚さんの担任でいさせてください」と京塚に懇願し、りさを登校させる。そして、りさと舞に互いへのわだかまりを吐き出させると、「僕も本音を言う」と赴任当初は生徒たちを避けていたことを明かす。だが、真剣に向き合うことで本当の姿を知ったと告白。「みなさんのような生徒と出会えて、本当によかった」と生徒たちに語りかけ、静かに学校を去る。それが転任を決意した暁の最後の授業だった。

帰宅後、暁はアカネに転任先についてくるよう告げると、「お前にずっとそばにいてほしい」と告白。一方、暁の転任を知った3年2組の生徒たちはがく然。そんな中、亮介(森本慎太郎)が「ガキしかできない抵抗の仕方をする」と暁の転任を阻むとんでもない計画をぶち上げて…。
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順位戦 C級2組 勝敗予想

2013-06-12 00:36:11 | 将棋
C級2組 勝敗予想
 アップしたのは日付が変わるころですが、私は全く結果を観ずに書いています。
△森-▲瀬川
△内藤-▲八代
○▲横山-△吉田
○△澤田-▲神崎
○▲佐々勇-△竹内
○△永瀬-▲中座
○△村田顕-▲伊奈
○▲西川和-△石川
○▲矢倉-△佐藤慎
○△及川-▲佐藤和
○△中田功-▲小倉
○△西尾-▲藤森
○▲阿部光-△増田
○△佐藤紳-▲藤原
○▲岡崎-△遠山
○△大石-▲田中魁
○▲中村亮-△田中悠
○△高見-▲長岡
△伊藤-▲門倉
△村中-▲上村
▲勝又-△牧野
▲村田智-△石田
▲西川慶-△千田

 以前、「勝敗が予想できてしまう対局は、意味が薄い」というようなことを書きましたが、前年度の成績などを考慮して立てた予想。


 そして、結果。
 青字が実際の勝者。太字は私の予想の勝者。 

△森-▲瀬川
△内藤-▲八代
横山-△吉田
澤田-▲神崎
佐々勇-△竹内
永瀬-▲中座
村田顕-▲伊奈
西川和-△石川
矢倉-△佐藤慎
及川-▲佐藤和
中田功-▲小倉
西尾-▲藤森
阿部光-△増田
佐藤紳-▲藤原
岡崎-△遠山
大石-▲田中魁
中村亮-△田中悠
高見-▲長岡
伊藤-▲門倉
△村中-▲上村
▲勝又-△牧野
▲村田智-△石田
▲西川慶-△千田

 23局中17局的中(74%)
 大きな誤算は、永瀬五段、及川五段が敗れたこと。
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『ガリレオ2』 #9「攪乱す -みだす-」

2013-06-11 19:14:53 | ドラマ・映画
悪魔の手
親愛なる警察の諸君へ

私は悪魔の手を持つものである。
その手を使えば、自在に人を葬ることができる。
警察には私を止めることはできない。
悪魔の手は人間には見えないからである。

警察は被害者の死を事故と判断するしかない。
愚かな君たちは、この警告文を悪戯と決めつけるだろう。
そこでまずは、デモンストレーションを行う。
それによって、君たちは私の主税を思い知ることになる。


自分たちで手に負えないと思うなら
例によってT大学のY准教授に助けてもらえばいい。

これはどちらが真の天才科学者かを決める勝負でもある。

では、Y准教授によろしく


悪魔の手


この犯行声明文(挑戦状)が岸谷美砂(吉高由里子)読み上げている最中に、上田重之(岡本正仁)を転落シーンが映される。


 大仰な始まりだったが、トリックは単純(仕掛けは複雑だが)。
 しかし、犯人のできること、できないことを整理し、仮説を立てる論理の組み立てが面白かった。

犯人ができること
・手を振れずに人を死に至らしめることができる
・声明文を信じるとしたら、それは目に見えない力
(・視聴者は、それが眩暈や平衡感覚を失わせる力であることが示されている)
・ネットの掲示板に犯行予告(死亡予告)を書き込める

犯人ができないこと(制限されること)
・声明文は手紙、予告はネット
・声明文は死亡の報道がなされてから送られてきた(報道がなされないと声明文を送れない)
  そのことから、確実に死に至らしめることはできないようだ
  ターゲットの声明などは把握できていなかったようだ
・死亡しないと、声明文を送れない
  被害者が生きていると、犯人にとって都合の悪い証言がされてしまう

仮説
 複数のターゲットを準備し掲示板に予告を書き込んで、それぞれ犯行を行い、犯行を完遂した(死に至らしめることができた)件に関して声明文を送った。


「掲示板で第三者が見ても犯行予告とは思えない種(書き込み)を蒔いておく」というトリックで、予言マジックと同じ原理だった。

 それを見破り、悪魔の手の痕跡を探した(「2人目」「自殺」などのキーワードを検索して、他の予告文を探した)
 その痕跡(予告文)から、犯行が失敗した被害者を探し当てた。

「明日は高速を走って銀座に買い物。音楽に夢中になって事故らないよう気をつけないと」
という書き込みを見つけた。
 それで、
「銀座につながる高速道路で死亡しなかった事故すべて」を調べさせた。


 眩暈や耳鳴りの症状を聞いて、犯行手段を推定した。



仮説は立てられても、犯人を全く特定できない。(湯川を恨み(逆恨み)を持つ者は多そう)
そこで、犯人を挑発し、自らが標的となることが、一番早く解決できると考えた湯川の合理性と、関係ない他人を巻き込まない湯川のやさしさが感じられた(巻き添えを食った栗林は可哀そう)。



 犯人は湯川を逆恨みしたどうしようもない男だった。
 巻き込まれて殺された被害者が気の毒。


【ストーリー】番組サイトより
帝都大学の湯川学(福山雅治)と、岸谷美砂(吉高由里子)を通じて彼に捜査協力を求めている貝塚北署に、『悪魔の手』を名乗る人物から犯行予告が届く。その人物は、“悪魔の手”を使って人を自在に葬ることができるとし、警察の手に負えなければT大学のY准教授に助けてもらえばいい、これはどちらが真の天才科学者かを決める勝負でもある、などと挑発していた。

ほどなく、2通目の手紙が届く。『悪魔の手』は、上田重之(岡本正仁)を転落死させた、と記していた。美砂によれば、最初の手紙が届いた日、品川のパチンコ店で高所作業中だったビル清掃員・上田が転落死したという。そして、湯川に届いた2通目の手紙には、インターネットのアドレスが記載されていた。それはある映画のサイトで、書き込み欄には「感動のあまり落ちないようにしないと。品川のパチンコ店より愛を込めて」という投稿があった。書き込まれたのは転落死事件の前日だった。

湯川は、美砂とともに転落事故があった現場を訪れる。だが、事故に見せかけて人を突き落す方法はあっても、『悪魔の手』がどんな方法を使ったのかまではわからなかった。

ほどなく3通目の手紙が届く。そこで悪魔の手は、記者会見を開いて自分の存在を世間に知らせるよう指示する。『悪魔の手』は、会見後に模倣犯が現れることを見越して乱数表まで同封するとともに、第2の犯行も予告していた。

一方、栗林宏美(渡辺いっけい)は、友人の物理学者で、いまはカルチャーセンターなどで講義をしている高藤英治(生瀬勝久)を訪ねる。高藤のアパートで一緒に酒を飲んだ栗林は、湯川が悪魔の手の事件に関わっていることを話していた。

そんな折、20代の男性会社員が電車に接触して死亡するという事件が起こり…。
コメント (2)
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『空飛ぶ広報室』 第9話「つのる想い・あふれる涙」(最終回についての訂正あり)

2013-06-10 23:10:55 | ドラマ・映画
今回は考えさせられる内容だった。(ブログも客観的な視点が必要だなあ)

 偏見に満ちた意見を放送したことに対するそれぞれの見解
リカ「誤った誤解を与える放送をしたことを許せない、訂正をしたい」
テレビ局「その発言は、局のモノではなく1コメンテーターのモノなので、局として訂正も謝罪も必要ない」
空幕広報室「事実と違う内容であったこと、コメンテーターのあまりにも一方的な偏見を公共の放送で流したことへの抗議」(抗議を表明したことに意義がある)

 リカの主張も理解できるし同意したいが、自衛隊側に寄り過ぎである。それに、テレビ局の対応も妥当だと思う。
 まあ、いい加減なコメンテーターを登用したこと、偏ったゲストの発言を修正するか、確認を取らなかったことは落ち度であろう(生放送なので難しい面もあるが、司会者の資質、テレビ局の質を問われる)
 空幕広報室が放送中に「ねつ造したものではない」と訂正を求めなかったのは、疑問だ。

 長期的に観れば、あのPVが事実であること認知されるように思う。ネットや世間を舐めてはいけない。それに、ライバル局もTBSの落ち度……違った、帝都テレビの落ち度を突っつき、PVがねつ造でないことが明らかになると思う。


報道部の部員は……嫌な奴だった。
「いい人たちだから認めろって言うの、いい人たちだから謝罪しろって言うの?
 俺は別に、自衛隊に対して何とも思っちゃいないよ。
 お前は何なの?自分の意見通りに世の中が動かないと我慢がならないわけ?
 肯定するもいる、否定する人もいる。それじゃ、いけないわけ?
 お前はいったいどの立場でものを言ってんの?」


 一見正論を言っているようだが、確かに一理あるが…
 リカが噛みつくきっかけになったことば、
「終わった話ほじくり返して、しかも、自衛隊の連中なんかの肩持って、あの女、マスコミの自覚あんのかね?」
 終わった話として片づけてしまう意識、「自衛隊の連中なんか」と言っておきながら、「何とも思っていない」と言い切る自分の言葉に責任のなさは、何なのだろうか?


 今回、皆、辛い思いをした。特にリカは加害者側の気持ちで、しかも、社内の立場も苦しくなってしまった。秋恵 (南明奈)も父への思いが踏みにじられて悲しい。
 それでも、すれ違うというか、空井がリカを誤解せずに済んだのは良かった。
 ナイスだ、カメラマン・坂出!

 次回は、最終回←間違えました。「次回は第10回」が正しく、最終回はもう一話あと、らしいです。
 原作とは離れたエピソードらしいが、原作者・有川浩さん(女性です)が良かったと思った台詞があるとのこと。きっと鷺坂室長が含蓄のあることを言ってくれるんだろうなあ。
 ブルーインパルスが空を切り裂くように、気持ちのいいストーリーを期待します。
 


【ストーリー】番組サイトより
 ドキュメンタリー風の新 PV の評判がよく、鷺坂 (柴田恭兵) はじめ広報室メンバーは上機嫌だった。そして、リカ (新垣結衣) が自信作だと言った 「あしたキラリ」 の放送も決まっていた。「父への想いを胸に~輸送機に乗せた夢/26歳・航空自衛隊整備員」 と題したミニ番組は、空自の PV 同様みんな期待して放送されるのを待ち構えていた。ところが、就職説明会や自衛隊ホームページで流した空自の PV が、新聞や帝都テレビの報道番組でねつ造した作り物のように批判され、リカをはじめ関わった人たちは愕然とする。
 空自広報室から帝都テレビへ抗議の申し入れがあり、局側は上層部で話し合うものの、番組内での謝罪や訂正も行わない決定が出た。それを知ったリカは抗議をするが、そのことが思わぬ方向に向かい…。

 一方、誰がなんと言おうとリカが必ずフォローしてくれるはずと信じている 空井 (綾野剛) は、直接リカと話がしたくて連絡をしていたが、リカは今の状態では空井に会えないと思い、会うことを拒んでいた。そんなとき、追い討ちをかけるように、リカが空幕広報室の男に入れあげているから自衛隊を庇うんだと言う噂が流れていることを知らされ…。
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『八重の桜』 第23話 「会津を救え」

2013-06-09 22:44:23 | 将棋
「どこで間違ったんだ?会津は。……いや、俺はどこで間違った?
 象山塾で、都で、長崎で……世界を観ようとしてきた。
 10年後、100年後に続く豊かな道を探すはずだった……
 それなのに、会津は今、滅びの道を進んでいる」

 覚馬の嘆きの言葉だが、今回の話を見て、この言葉が私の頭の中を駆け巡った。

(覚馬は、松陰の「天朝も幕府も藩もいらん、只、身一つで立ち上がればよい。立ち上がれ!」という言葉を思い出し、自分のできることがあると立ち上がったみたいだが)


 どこで間違ったのだろうか?
 何が悪かったのだろうか?会津は……

  ………徳川家に、朝廷に、忠義を尽くし、都のために身を粉にしたのに、朝敵に身を落とし、新政府軍に攻め込まれる憂き目に遭うとは…………


1.大局的な目を持たず、徳川家に朝廷に忠義を尽くし、京都守護職を引き受けたこと
2.忠義を尽くし、また、会津を引き立てた孝明天皇が崩御してしまったこと
3.薩摩が倒幕のため、長州と手を組み、会津を切り捨てたこと
4.懸命に尽くした徳川家の宗家・慶喜が自分の身と徳川家のことしか考えず、変わり身の早さだけは超一流だったこと
5.その慶喜があっさり大政奉還をしてしまい、会津が正規軍でいる拠り所がなくなってしまったこと
6.徳川家が大政奉還、江戸城を引き渡すという償を払ったが、会津はそれに見合う価値を持っておらず、徳川家の身代わりの生贄として都合がよかったこと

 などなど、多くの理由や不運が考えられるが(特に慶喜と西郷)、一番の原因は、バカが付くほどの忠義心で会津の民(家臣を含む)を考えなかった容保にある
 先週も書いたが、会津は容保の首をさっさと差し出せばよかった。討伐軍参謀・世良に引き渡せば、喜んで容保の身を引き受け、話がついたであろうに。

 容保が家臣から恨みを買うような悪い性格だったらよかったのに。


江戸城を明け渡し、水戸へと向かう慶喜は、
「これで徳川は残り、江戸も戦火を免れた。
 では、会津はどうなる?

 …………いや……よい」

 慶喜らしい言葉だった。
 

【ストーリー】番組サイトより
 1868(慶応4)年3月、会津討伐に乗り出した新政府軍が仙台に到着。参謀の世良修蔵(小沢仁志)らは同じ奥羽の仙台藩に早く会津を討つよう命を下す。しかし、理不尽さを感じずにはいられない仙台藩は米沢など奥羽の諸藩と結束し、会津救済の嘆願書を提出することに。その知らせを聞いた八重(綾瀬はるか)は、安堵(あんど)する。そして八重と尚之助(長谷川博己)は早速、米沢藩士らに銃の扱いを教える。
 しかし、会津救済の嘆願はあえなく世良によって破棄され、これに怒った仙台藩士らが世良を暗殺。新政府軍と会津・奥羽軍との間で戦いの火蓋が切られる。
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電王戦 第4局「Puella α VS 塚田九段」 その2

2013-06-08 17:26:48 | 将棋
間が空いてしまいましたが、『電王戦 第4局「Puella α VS 塚田九段」 その1』
の続きです。


 第5図は、Puella α(以下「プエラα」と表記)が、先攻し塚田九段がそれに対処するという流れで、ひと段落した局面。
 ここまでのプエラαは、成果があると判断したら即実行という指し手が多く、≪いろいろの手段を含みに持たせて、一番いいタイミングで≫という人間(棋士)とは対照的なコンピュータ将棋らしい指し手が目立った。
 だから、従来の棋理から見ると「損な指し方」なので、≪何とかなりそう≫と思われる。ところが、実際に指されてみると難しい。これは、このプエラαだけでなく、他の対コンピュータソフトに於ける共通した感触である。
 また、この将棋に関しては第3図の▲4六歩が相当な好手だった。

 この手単独では厳しさはないが、この歩が4五、4四と伸びてくると、後手陣の急所に突き刺さってくる。この手によって、先手の攻めに幅が出て、後手も受け切るのに難易度が増した。

 さて、第5図(再掲載)、

 後手は桂・香と金の2枚換えだが、歩切れ(歩損)で駒割は微妙。しかも、現在、銀桂交換の権利があるのも判断をややこしくしている。また、と金を作り、玉の上部がやや厚いが、これがどれだけの利があるかが判断し難い。後手の飛車、角が追い追い込まれ、とられる可能性もある。飛車の活用は難しいが、角だけでも働かせたいところ。
 と、種々の要素が絡み合って、形勢や今後の指し方の判断が難しい。実際、ニコニコ生中継の解説(木村八段がメイン)も判断をしかねている状況だった。(『週刊将棋』には「形勢は微差ながら先手有利が棋士の評判」とある)

 具体的に第5図では、▲4一金と飛車を捕獲する手がある。この手を防いで△7七桂成▲同桂△5二銀打(△5四銀)とする手が有力とみられていた。『将棋世界』の記事では「△7七桂成▲同桂△5四銀でやや後手持ちの評価で、塚田九段も局後そうすべきだったと同意していた」とある。しかし、この手順を選んだとして、勝ち切れる棋士はあまりいないような気がする。
 実戦は△2六香。「受ける手を読んだが、受け切るのは困難と判断し、入玉方針に切り替えた」という局後のコメントであった。事前の対COM戦で、「細い攻めを繋げるコンピュータ将棋の攻めの強さ」を塚田九段が体感していたことも、その方針決定の要因であろう。
 木村八段はこの△2六香を見て、顔を曇らせた。≪そういう指し方をするのか?≫という表情で、「私は全く予想しませんでした。こういう手が効果的だと塚田九段は知ってやったのかもしれません」と言いつつ、後手の指し手の方針と局面の分析をして、塚田九段の判断は良かったと言えるかもしれないが、実際にこの段階で▲4一金と打たれて飛車を取られる手は大きいし、入玉将棋になった場合5点というのも大きそうというような判断を示していた。
 私は、先手の飛車を2筋から追い(飛車を5筋に展開させるのがマイナスになる可能性もある)、後手の玉頭の厚みを確立させるこの△2六香自体は好きな手なので支持したい(私が支持しても仕方がないが)。実は、▲5八飛に△1三桂はないだろうかと考えていた。この△1三桂は飛車の逃げ道を作りつつ、次に△2五桂と跳ねれば入玉の道が相当はっきり見えてくる一石二鳥の手である。
 しかし、△1三桂の瞬間は非常に愚形で、これはこれで勝つのは大変かもしれない。実際、▲4一金△1一飛に角を取られると、後手としては1一の飛を取られずに入玉を果たすのは至難の業に思える。

 それはともかく、実戦は△2六香▲5九飛に△1五と▲4一金△1三玉(第6図)と進む。

 塚田九段の指し手は、一目散に入玉を目指すというものだった。
 入玉は、相手の手に乗って上部に逃げるのが一番効率が良い。相手の手に乗れば、自分だけで入玉する2倍のスピードになるし、相手が攻め駒が無駄になったり、逆に負担になったりする。(逆に言えば、自力で入玉を目指すのは効率が悪い)
 だから、その辺りを考慮して、攻めをちらつかせたり、厚みを作ったりして、相手に動いてもらうのが入玉将棋のコツである。もちろん、先に入玉した方が有利でプロ棋士同士でも、後から入玉する方は大駒を取られる筋(王手飛車取りや大駒の両取りなど)に掛かるような危険性があるので、先に入玉を確保するのも有効ではある。
 しかし、先に入玉した方が有利といっても大駒1枚ぐらいなら何とか挽回も可能という程度なので、飛車をあっさり見捨てるというのは、最善とは思えない。
 この塚田九段の指し手の根底には「コンピュータ将棋は、入玉将棋が苦手」という期待がある。この思考……相手の弱点を突くと言うと聞こえは良いが、「相手のミスを期待して、局面の最善手を追求しない」……木村八段はこの思想に、顔を曇らせたのだ。

 第6図より▲3一金△同金▲7一飛△2五と▲9一飛成(第7図)と進む。 
 
 ここで木村八段は「銀を引くのは入玉の方針には即さないが、△2二銀と角の1五への転用を見せるのが良い」と述べていた。1五に角を出た形は、後手玉の脱出口を一時的に埋めてしまうが、飛車に続いて角も召し取られては駒数不足が決定的になってしまうので、角の脱出を優先させたいのだ。
 実際、第7図では、安泰な駒や相手の駒と交換できそうな駒などを見積もると20点弱で、後手の角を助ける事が出来ても足りない状況である。
 しかし、、塚田九段の指し手は△2二銀ではなく、△2四玉。
 この手を見た木村八段は、「あれ?」と声を上げ、明らかに不機嫌になった。そして、今後の展開を解説したが、声に張りがなくなっていった。


 ついに角が取られることが確定した局面。木村八段の解説もあきらめムード。


木村八段、激怒

 塚田九段の△3三桂を見て
「これはどこまでやるつもりなのかな?」
と木村八段。
 256手で判定するというルールの説明の意識もあるが、絶望の局面を前に、思わず漏らしてしまった言葉のように思える。
 角を取られた後も、先手玉の動きを制限する存在であった9三と8四の歩、8五の桂も取られてしまった。8五の桂はもともと銀取りだったというのに……

 そして、木村の怒りが爆発した。
 木村激怒図の局面で、10点ほど足りないのを確認し、安食女流の
「この2枚(先手の飛車と銀)を取れば……」
という言葉に、
「そうですね………ここからここまで全部取ればぁ」
と、大盤の先手陣の駒を両手でブルドーザーのように全部さらうように押しのけた。


 木村八段は怒っていた。
 無惨な局面に対して、
 入玉将棋にコンピュータ将棋が弱いことに期待した志の低い指し手に対して
 絶望的な局面を前にしても投了しない未練がましい対局者に対して………

 私の想像です。ただ、木村八段が怒っていたのは間違いないように見えた
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歳時メモ 意外と満開、いきなり開花

2013-06-08 14:03:10 | 歳時メモ
「歳時メモ」と勝手に銘打っていますが、このカテゴリーの意味は、植物の様子や気候などをメモして、翌年以降に現記事を振り返ると、季節の進み具合が分かりやすいかなと思い、記事にしています。

以前の歳時メモ(5月10日)で「つつじはほぼ終わり」というようなことを書いたが、意外と今が満開なものも多い。(失礼しました)

タチアオイが一気に開花し始めた。今年は開花日に気をつけていて、つぼみが膨らみ始めていたのを目撃。そろそろかなと思っていたら、5、6輪咲いてしまっていた。今年も失敗。油断ならない花である。
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不合理な投票方式 ~五輪最終候補選考~

2013-06-06 18:09:27 | スポーツ
 5月29日、IOCの理事会は2020年夏季五輪で実施する残り1競技の最終候補として、レスリング、野球・ソフトボール、スカッシュの3競技を選んだ。

 その採決方法が不合理だった。
 ロゲ会長を除く14人の理事によって投票を実施。3競技を選ぶ各ラウンドで過半数を獲得する競技が出るまで、最下位もしくは得票のない競技を除外していく方式が取られた。
 この説明だとよく分からないので、この方式を実際の投票経過に当てはめて振り返ってみよう。

【第1ラウンド】
1回目  レスリング8票 武術3票 空手1票 スポーツクライミング(以後「SC」と表記)1票
     スカッシュ1票 野球・ソフト0票 ローラースポーツ0票 ウエークボード0票


  レスリングが過半数の8票を獲得し1抜け


【第2ラウンド】(レスリングを除く7競技が対象)
1回目  空手5票 武術4票 スカッシュ2票 野球・ソフト1票 SC1票
     ローラースポーツ0票 ウエークボード0票 無効票1票

  過半数を獲得した競技がないので最下位(得票0)のローラースポーツとウエークボードを除外

2回目  空手4票 武術4票 野球・ソフト3票 スカッシュ2票 SC1票
  過半数を獲得した競技がないので最下位のSCを除外

3回目  空手4票 武術4票 野球・ソフト3票 スカッシュ3票
  過半数を獲得した競技がなく、最下位が野球・ソフトとスカッシュが同票だったので、除外種目を決選投票

 3回目その2  野球・ソフト8票、スカッシュ6票、 スカッシュを除外

4回目  野球・ソフト6票 空手4票 武術4票
  過半数を獲得した競技がなく、最下位が空手と武術が同票だったので、除外種目を決選投票

 4回目その2  空手9票、武術5票、  武術を除外

5回目  野球・ソフト9票 空手5票
  野球・ソフトが過半数の9票を獲得し選出された

 
【第3ラウンド】(レスリング、野球・ソフトを除く6競技が対象)
1回目  空手5票 武術4票 スカッシュ3票 SC2票 
     ローラースポーツ0票 ウエークボード0票

  過半数を獲得した競技がないので最下位(得票0)のローラースポーツとウエークボードを除外

2回目  スカッシュ5票 武術4票 SC3票 空手2票
  過半数を獲得した競技がないので最下位の空手を除外

3回目  スカッシュ8票 武術4票 SC2票
  スカッシュが過半数の8票を獲得し選出された

 以前(『オリンピックが競技を歪める その2「IOC理事会の歪んだ構成と不思議な採決」』)で、中核競技から外す競技を決定する際の理事会のメンバー構成や採決方法に問題があることを力説したが、今回もその採決方法に不合理を感じた。(理事会のメンバー構成についても同じ疑問を感じましたが、それは「その2」をご覧ください)

 さて、何回も投票を重ね、一見、慎重で丁寧な採決と感じさせるが、相当な不合理を感じる。
 まず、3ラウンドも必要かと言うと、これはこれで良い。3競技を選ぶことが前提なのだから、第1ラウンドだけで3競技を決してしまうのは正しい選考方法とは言えない。
 それは何故か?
 今回の投票全体を見ると、野球・ソフトは候補に残したい第1の候補ではないが第2、あるいは第3に残したい競技と考えていた理事が多かったようだ。それで、第2、第3ラウンドを設けられたので、生き残ることができた。
 これがもし第1ラウンドのみで選出する方式だったら、相当危険な橋を渡ることになっていたはずだ。たとえば、1回目の投票で、レスリングが1票少なくて、7票で過半数を得られず、その1票が野球・ソフト以外の他の競技に入ったとしたら、野球はその段階で脱落してしまうのである。
 その意味で、投票を3ラウンドまで行ったのは理にかなっている。(1人3票投票するなら、1度の採決でも良い)
 しかし、細かな点で不合理な点がある
 まず、過半数を獲得した競技がない場合、「最下位もしくは得票のない競技を除外していく」というのが不合理。第2ラウンドの1回目から2回目に移行する際、最下位で0票のローラースポーツとウエークボードを除外しても、投票結果が変わらないのが普通であるところが、変わってしまうのがIOC理事会の不可解なところだ。そんなに意思が変わっていいのだろうか?
 次に、最下位が同得票で並んだ場合(1票以上ある)、決選投票するのも無駄に近い。慎重さを重視すれば行っても良いと思うが、投票する理事が偶数人というのは不合理で、2競技の得票が同数となる可能性も大きい。その時は会長が決するのだろうか?だとしたら、決選投票になったら最初から会長も投票に加えたほうが早い。

 中核競技から外す投票の際も感じたが、票の動きも不可解だった
 まず、第2ラウンド1回目で、第1ラウンドのレスリングに投票した8票がどう動いたかを見てみよう。空手(1票→5票)に4票、武術(3→4)に1票、スカッシュ(1→2)に1票、野球・ソフト(0→1)に1票、無効票1票と動いたと考えられる。
 ここまではいいとして、次が不可解。2回目は1回目得票がなかったローラースポーツとウエークボードを除外しただけなので、1回目と変化がないはずだが、空手(5→4)、武術(4→4)、野球・ソフト(1→3)、スカッシュ(2→2)、SC(1→1)と1回目無効票の1票が野球・ソフトに入ったと考えても、空手から野球・ソフトに票が移動している点が不自然
 3回目は外されたSCの1票がスカッシュに移動しただけで整合性のある結果だった(空手4票、武術4票、野球・ソフト3票)。この結果、野球、スカッシュ(2→3)が同票最下位となり、決選投票の結果、野球が残った。
 4回目はスカッシュの3票がすべて野球に流れ、野球6票、空手4票、武術4票となり、決選投票で空手が残り、
 5回目で野球・ソフトが武術票の4票のうち3票を獲得し、9票と過半数を獲得し(空手は5票)、選出された。
 野球・ソフトは2番目、3番目に残したい競技と考える理事が多かったと考えられるが、交渉術があったのかもしれない(第3ラウンドで票を入れるから今は協力してとか)。

 第3ラウンドも不可解な得票だった
 まず、1回目の結果は、
空手5票、武術4票、スカッシュ3票、SC2票で、0票だったローラースポーツとウエークボードが除外。
 2回目の投票は、0票の2競技を除外しても結果は変わらないはずだが、
空手2票、武術4票、スカッシュ5票、SC3票と、空手が3票も失い、スカッシュに2票、SCに1票流れた。この結果、第2ラウンドからずっと上位にいた空手がまさかの最下位で脱落。

 そして3回目
スカッシュ8票 武術4票 SC2票と、空手の2票の他、なぜかSCの1票もスカッシュに流れ、スカッシュが過半数に届き、選出された。


 何か、いろいろ裏工作をするために、投票方式をまだるっこしくしているように思えてしまう。
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『幽かな彼女』 第9話「いじめ、その先に見た闇」

2013-06-05 22:42:11 | ドラマ・映画
「死んだら負けなんだよ。
 関係ない奴らが、いじめっ子を懲らしめてくれても、
 あんたが死んだら、何の意味もないんだよ。
 生きてなきゃ、意味ないんだよ。

 どんなに苦しくても辛くても、生きてなきゃ意味ないの。
 生きてなきゃ」

生きていくことは大変だけど、生きていればいいことあるよ、きっと。


「子どもの心より、自分の立場の方が大事だって言うんですか?

 大人が子どもにきれい事を言うの放棄してどうすんだよ!
 大人が間違った姿見せて、子どもにどうやって正しく生きろって言うんだ。
 あんた、最低だ。親として、大人として!

 留学なんて、させないでください。
 京塚さんを僕のクラスに戻してほしいんです。
 京塚さんを僕と僕のクラスの生徒たちに救わせてください」



心に響く叫びだった。
京塚の父の心に響いたのだろうか?


          そして、ラスボスは……教育委員会だった。



 京塚が暴走し、逆に京塚グループメンバーを中心に、京塚を爪弾きにするクラスメイト。
 今までほとんど台詞がなかった一般生徒、やっと台詞が話せると思ったら、そんな台詞(悪口)かい!



自分の嫌なところ、弱さを認めた河合先生
「河合先生、ありがとう」
 言ってもらって、よかったね。

 
 

【ストーリー】番組サイトより
学校で姿を消したアカネ(杏)が暁(香取慎吾)の部屋に戻った。記憶はよみがえったが成仏できず、部屋を出入りできる浮遊霊になったという。同じ頃、窪内(林泰文)は千穂(前田敦子)に、生徒の個人情報で実際の学校を模したゲームを作っていたと告白し、りさ(山本舞香)の意外な過去を明かす。

翌朝、和泉(真矢みき)はりさが舞(飯豊まりえ)を刺した事件を教育委員会に報告。ろくに事情も聞かず、りさに転校の処分を下す。りさは取り巻きの仲間に絶交され、クラスで孤立状態に。政治家である父親の京塚(飯田基祐)からも「またお父さんの足を引っ張るんだな」と突き放されてしまう。

アカネは孤独なりさに淳也をだぶらせていた。暁は和泉が告白した27年前の真相を思い出す。淳也は茜の説得で不良仲間が更生したことから孤立。茜を逆恨みして学校で刺したが、茜を呼び出したのは淳也に脅された和泉だった。「先生を裏切った」と罪の意識が拭えない和泉。それがりさへの厳しい処分に和泉を駆り立てているという暁に、アカネは「罰することじゃなくて、正してあげること」が大事だといい、りさを救うべきだと諭す。

一方、千穂は、窪内が話したりさの過去が気にかかっていた。りさは小学校で壮絶なイジメにあったが、政界で力のあった加害者の親族に京塚が屈し、りさに泣き寝入りさせたのだ。そのことで心に傷を負うりさを助けてあげてほしいという窪内。千穂は突っぱねるが、心中は揺れていた。

翌日、りさを助けたいという拓途(神宮寺勇太)らを連れ、京塚家に向かう暁。そのとき、りさがいなくなったと連絡が入る。りさは母校の小学校に向かっていた。かつてりさをいじめた加害者を告発するメールを教育委員会に送り、自殺しようとしていたのだ。そんなりさを止めようと追ってきたのは千穂だった。

千穂の説得に耳を貸さず、自分にナイフを向けるりさ。千穂は、駆けつけたアカネがりさの動きを封じた隙に飛びかかり、りさの頬をたたくと、「辛くても苦しくても、生きてなきゃだめ」と抱きしめる。

その夜、京塚がりさを海外に留学させると言い出した。りさを厄介払いする京塚に憤り、「あんたは最低だ!」とつかみかかる暁。だがアカネに制され、「彼女を救わせてください」とりさを学校に戻すよう懇願する。

千穂は自殺を思い止まったりさに「ありがとう」と告げられ、教師を続ようと決意。そんな折、教育委員会は暁に学校を辞めさせると通達し…。
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内館牧子氏 『月夜の駒音』 ~「精神文化を学べ」~ について

2013-06-05 17:40:07 | 将棋
『月夜の駒音』(エッセイ)は、『将棋世界』誌で連載されているが、7月号(今月号)の「精神文化を学べ」には異論がある。

 内館氏は『週刊新潮』(4/25号)の≪入玉でコンピュータと引き分け、「塚田九段を泣かせた非礼感想戦」≫という記事で、
 塚田九段が流した涙の理由のひとつは、ソフト「Puella α」の五十代開発者の
「入玉対策はしていたが、なおざりだった。名局と言われた前の2戦に比べて、つまらない将棋になってしまった。勝ちを逃がしたけど仕方ないです」という言葉だという。
 同誌はこの言い方に対し、記事中の「ベテラン棋士」の言葉
「棋士は、自分が指した悪手を“つまらない手”だと言うことはあっても”つまらない将棋”だとは絶対に言いません。(中略)やはり、それは相手に対して、尊敬の念を持って戦っているからです」
 に考察を重ねて、内館氏は
「五十歳にもなって、教養がないんだなァ。相手にするだけ無駄だわ」と思ったとして、相手への敬意として文化や精神(相手を思いやる心)を学ぶ姿勢がないと批判している。


 私自身、『週刊新潮』の記事を読んでいないので、内館氏の引用した部分のみで判断するにとどまるが、まず、『週刊新潮』の記事について考えてみたい。

 まず、開発者の伊藤氏は入玉対策について、実際には「なおざり」ではなく「おざなり」と言っている。「おざなり」と「なおざり」は両方とも「いい加減な対処をする」という意味ではよく似ているのだが、「おざなり」のはその場限りの間に合わせで、「なおざり」は何もせず放置しておくような様を表わしている。
 大きな差はないが、この対局について言うと、「入玉対策は適当で不十分だった」と「入玉対策には手をつけていなかった」となり、かなり違う。
 次に、「つまらない将棋」と発言した状況の描写も不十分で、実際は「私がやるとつまらない将棋になってしまう」というふうに述べていて、塚田九段に対して発した言葉ではない。
 さらに塚田九段の涙の理由も疑問だ。
 塚田九段は、対局直後のインタビューとその後の共同記者会見とで、2度、涙を流している。2度とも「団体戦なので負けられず、(敗勢であっても)投了はできなかった」という主旨の言葉であった。もちろん、心の内をすべて語ったわけではないが、一度目の涙の時点では、伊藤氏は将棋の内容や感想については話しておらず。塚田九段へのインタビューの後に「つまらない将棋」云々の言葉を発している。(2度目の涙に関しては、影響を与えた可能性はある)

 上記の理由で、『週刊新潮』の記事で伊藤氏を批判するのは早計のように思える。

 さらに、ベテラン棋士の発言にも疑問を感じる。

 「つまらない」という言葉には、①面白くない。興味・関心がない。②価値がない。③取るに足らない。ささいである。ちいさい。④無駄である。甲斐がない。などの意味がある。
 伊藤氏は自分を卑下して①②の意味で発したと思われる。
 棋士が「つまらない手」と口にする時は②であることが多いが、「つまらない手を指してしまった」という場合は「うかつな失着」という意味で③の意味を含む場合もある。「つまらない手」と「迂闊な手」はほぼ同意と考えて良いかもしれない。
 さて、『棋士は「つまらない将棋」とは言わない』とベテラン棋士は断言しているが、私自身、よく耳にし、文章でも目にしているように思う。この言葉は②の意味で発せられることもあるが、①~④とは別の意味で使われることが多い。
 別の意味とは「自分の意図していた将棋とは全く違う展開になってしまった」という意味で、しかも多用されているように思う。


 実際、昨日の棋聖戦第1局、羽生棋聖・王位・王座×渡辺竜王・棋王・王将戦での感想で、羽生三冠はこの表現を用いている。中継ブログによると、

「▲7一歩成(39手目)は新手だったみたいです」という言葉を受けて
羽生三冠「そうですね、早めに捨てておかないと危ない変化もあるんじゃないかなと思いました。意味としては同じなのですけどね。昼休で8五桂がなかなか取り切れないので、つまらない将棋にしたかなと思っていました」と答えている。

 私は「アンチ内館」ではなく、氏のエッセイは楽しみにしている(時々異論を持つが)。
 しかし、今回は考察不足のように感じた。
コメント (2)
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